(2)


 暑くなる時間帯になる前にイーヴォと会うことになっているので、彼が用意してくれた服を身に着けた。

 セパの服は暑い国らしく、ゆったりとした造りと通気性の良い生地で、着心地は良いのだが慣れるまでは動き辛そうだ。

 アレクサンダーには白のズボンに、ハイネックと広がる袖の紺色の長衣が用意されていたので、腰と肩にベルトを通す形の剣帯を上に巻く。靴はサンダルが用意されていたが、いざという時に動き辛いと困るので、持ち込んでいたブーツを履いた。何か聞かれた場合は、履き慣れた靴を履いたと言えば良いだろう。長い髪は軽く編んだ。

 アレクサンダーが服を着る間、アオイには同室で待っていてもらったので、アレクサンダーが着替え終えてからアオイの部屋へ移動する。時間はかかるが、アオイを一人にする気にはなれなかった。

 アオイが着替えている間はアレクサンダーは廊下で待つと、そう時間をかけずにアオイが出て来る。彼女の服はアレクサンダーとは対照的な、湖面を連想させる薄い水色の長衣だった。ズボンもアレクサンダーとは異なり、袖と同じく裾が広がるデザインになっている。その代わりにウエスト部分が絞られており、アオイの華奢な身体のラインが綺麗に浮かび上がっている。

 イーヴォは何も言っていなかったが、アオイの衣服は女性用だろうな、と見当をつけた。

 とまれ、使用人が用意してくれた朝食を二人で摂ると、応接間に移動してイーヴォを待つ。時間に余裕があったので、廊下にいるであろう使用人に聞こえないよう、小声で会話した。

 話題はやはり、ヨーナス・アコンニエミのことだ。

「イーヴォにどう切り出すべきかな……」

「っていうか、血縁者だよね?」

「あそこまで似ていたらな」

 腕を組んで嘆息するアレクサンダーに、アオイは眦を下げる。

「どこまで話すつもりなの?」

「俺達が正式な場で会っていないはずのヨーナスを知ってるのだから、襲撃の件は言うしかない。ただ、アオイを狙っているということを話すと、心当たりを聞かれるだろうな」

「……僕が『二人目』だってのは、関係あると思う?」

 アオイが目を伏せて問うて来たので、アレクサンダーは顎を指先で撫でる。

「あるかもしれないし、ないかもしれない。『何に』選ばれたのか分からんし、ヨーナスが言う『選ばれた』人間が、アオイ一人とも限らないしな」

「あ、そっか」

 今は『選ばれた』理由よりも、『選ばれた』事実だけを重く見るべきだとも考えられるが、理由がわかれば対応も変わるかもしれないと思うと、安易には捨て置けない。

「……アオイには、思い当たることはないか? この国がおかしいと言っていたが、それに関係がありそうか?」

 この国の文明が進みすぎている、と言ったのはアオイだ。アオイの元の世界がこちらよりも発展しているとは聞いていたが、話に聞いていただけでは漠然としたイメージしか出来ず、いまいちピンと来ないのも事実だ。アオイが嘘を言っていると思った訳ではなく、自身の目で見ていないものと比べようがないという意味で。

 アレクサンダーの問いに思案する様子を見せるアオイを見ながら、アオイが異世界人ということも関係があるのだろうか? と疑問を抱く。

 ふと気付くとアオイがアレクサンダーを見上げており、アレクサンダーが小首を傾げると、アオイは意を決したように口を開いた。

「アレックス……どう言おうか僕にも分からなくて迷ってたんだけど、実はさ……」

 先よりも声を抑えるアオイに、アレクサンダーが耳を寄せるように身を屈めたところで。

「――お待たせして申し訳ありません」

 扉が開き、イーヴォが入室した。

 アレクサンダーは彼の姿を一旦見てから、アオイに続きはまた後で、という意味の目配せを送ろうとし、しかしそれをする前に再度イーヴォを見る。そして、瞬きもせずに凝視した。

 アレクサンダーが動いたのは、きっかり三秒後だ。

 隣のアオイを右手で抱え、もう片方の手で傍らに置いていた剣を持ち、更にはソファから飛び退くようにしてテーブルセットから部屋の奥へと移動する。

 背後からの襲撃を避けるように窓のない壁の前に行くと、アオイを降ろして彼女の前に立った。

「アレクサンダー様? 一体……」

「動くな」

 戸惑いの表情で一歩踏み出したイーヴォに、アレクサンダーは堅い声を発しながら、剣の柄に指先を添えた。抜剣はまだしてはならない。

 アレクサンダーが睨む先をアオイもそっと確認し、そして僅かに震える。

「……ヨーナス……?」

 やはり震える声を吐き出したが、そこでアレクサンダーにしがみ付いたりしないのは流石だ。無意識だろうが、アレクサンダーの動きを制限しないようにしている。

 アオイが昨晩の襲撃者の名を口にしたのは、イーヴォの姿を見たからなのだが、それだけではない。先までアオイは、彼らを別の人間として認識していたのだから。アレクサンダーもそうだ。

 だが、今はアレクサンダーとアオイは、くだらない喜劇を見せられた時のように、イーヴォを睨みつけていた。

 その理由は、イーヴォの頬に貼られた白いガーゼだ。生成の生地の衣服を身に着けていても、褐色の肌に黒髪の彼を見れば、真っ白なガーゼは一番に目に入る。しかも、ヨーナスが怪我を負った箇所と寸分違わない。

 アレクサンダーが口を閉じてイーヴォを見続けると、彼は居心地が悪そうに身動ぎした。

「あの、アレクサンダー様? アオイ様も……何か失礼があったなら、お詫びいたします。まずはお話しして頂けませんか?」

「とぼけるな、ヨーナス・アコンニエミ」

 アレクサンダーが低い声を発すると、イーヴォは金の瞳を瞬かせ、驚いた声を上げた。

「ヨーナスに会ったのですか!?」

「ああ、会った。昨晩、ヨーナス・アコンニエミと名乗るお前にな!」

 アレクサンダーが尖った声を返すと、イーヴォは両手を胸の前に挙げて空手であることを示しつつ、一歩だけ後退する。

「あなた方に何かよろしくない振る舞いをしたようですが、落ち着いて下さい。ヨーナスは私ではありません。私の双子の兄で……」

「ルタザール!」

 イーヴォの台詞を遮ってアレクサンダーがひと声上げた途端、アレクサンダーの結っていた髪が散り、深紅へと染まる。同時にアレクサンダーが剣を抜くと、前方に魔法陣が出現した。

「あ……アレクサンダー様!?」

「俺はルデノーデリア王国のザカリエル=グシオン・エメライト皇太子殿下の命の元、この国に来た国使だ。伴侶を攫われかけた上、ここまで愚弄されたとなれば――」

「お、お待ちになって下さい! 話を……!!」

 イーヴォが尚も言うが、アレクサンダーが剣先を魔法陣に近付けると、口を閉じて汗を流しながら、アレクサンダーをじっと見た。引き絞った口元は、僅かに震えている。

 彼の瞳に本物の恐怖を見て取ると、アレクサンダーは剣を引いて魔法陣を消す。

 髪の色が漆黒に戻ったアレクサンダーを見て、イーヴォがほっと息を吐いた。


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