(4)


 恐らくザカリエルが危惧していた通り、そしてアレクサンダーが予想していた通り、マツリは反対の声を上げた。

殿のご命令だからアレックスは拒否出来ないんだろうと思いますが、私は反対です」

「君が反対してるのは、アオイが同行することだろ?」

「そうとも言います」

 ザカリエルが口元に笑みを浮かべながら突っ込むと、マツリはあっさりと頷く。しかし、続けた。

「私もそうですが、アオイ君はこの世界に来て一年も経っていません。色々なことに少しずつ慣れて来たって程度なのに、突然別の国に、しかも危険かもしれない仕事に向かわせるなんて、最悪の事態だって考えられます。それと、正直アレックスにだって行って欲しくないです」

「マツリ、君の心配はわかるが、俺は大丈夫だ。慣れてる」

 アレクサンダーが口を挟むと、マツリは眦を上げてキッとアレクサンダーを睨んだ。

「アレックスが強いことはわかってるよ。ぶっちゃけ、殺しても死なないくらいに思ってる。けど、それと心配するかどうかは別の話なの! わかった!? 返事は!?」

「わ……わかった」

 火を吐かんばかりのマツリの形相に、アレクサンダーが汗を流しながら頷くと、マツリは再度ザカリエルに顔を向けた。マツリの横顔を面白そうに眺めていたザカリエルは、別のパンに手を伸ばしながら、空の方の掌をマツリに見せる。

「そこまで言うなら、を理由とした反対程度のものじゃなさそうだな。君の考えをお聞かせ願おうか」

 ザカリエルが促すと、マツリは一瞬半眼になって唇を尖らせたが、大きく息を吐いた。

「……私とアオイ君を利用したあのお爺さんが、まだ何かを企んでいたようだったら、それは何とかしないといけないと思います。そこまで何か言ったりはしません。けど、首謀者がもう亡くなっているんだから、急ぐ必要はないんじゃないかって思います。ずっと先延ばしにしろって言うんでもないですけど……」

「要するに、性急すぎると」

「そうです」

 ザカリエルの補足にマツリは頷き、アレックスとアオイに視線を一瞬やった。

「例えばですけど、最初に向かわせるのはもっと他の……諜報員みたいな人にして、様子を探って実態を知ってから、アレックスが行くとかは駄目なんですか? アオイ君は勿論ですが、アレックスが『執行人』として貴重な人材なら、少しは大事に……無用な怪我を負わないように配慮しても良いと思います」

 言って目を伏せるマツリを、ザカリエルはパンを食べながらじっと見つめ、無言で食べ終えてからジュースを飲む。そしてヴィルヘルミナが差し出したナプキンで手を拭いてから、背をソファに預けて腕を組んだ。

「なかなか説得力のある意見だ。そういう意味では君も貴重な人材だな」

 実質政治を取り仕切っている人間に、正面切って異論を唱える者はそうそういない、と揶揄し、ザカリエルは嘆息する。

「……というより、大元が感情論とはいえ、君の言い分は真っ当だと思うし、俺も出来るならそうしたい」

「なら……」

「だが惜しいかな、君がアオイについて言ったように、君もこの世界のことをまだわかっていないからこそ、君の案は蹴るしかない」

 実際惜しいと思っているのだろう、ザカリエルは前髪を掻き上げてから数秒だけ目を閉じ、また瞼を開けてアメジスト色の瞳でマツリを見る。マツリがその視線を受けて、僅かに身動ぎした。

 その様に対し、ザカリエルは口元を緩める。

「君に恨まれたくないし、アレックスを雑に扱っているという誤解も解きたいから言うが、今から言うことは口外無用だ。いいか?」

 ザカリエルが室内にいる全員を見渡して発した台詞に、アレクサンダーは勿論、アオイもマツリも頷く。ヴィルヘルミナは既に知っているのだろう。

 全員の視線が集まる中で、ザカリエルは足を組んで目を伏せる。

「まず……アレックスとアオイに向かって欲しいのは、ここから馬と船を使って三日ほどの場所にある、『セパ』という国だ。この国とは違って一年中気温の高い地域にあり、気候だけじゃなく文化も違う。当然風習も国民の思想も異なるから、我が国とはどちらかというと縁が遠い場所なんだ」

「縁遠いって言うか、仲が悪い……とか?」

 ぽつりと口を挟んだアオイに、ザカリエルはふと歯を見せる。

「その通り。で、その仲の悪い理由ってのは、ずばり召喚獣だ。召喚獣を利用して生活をしている俺達を、神をも恐れぬ不届き者として見ていてな」

「待て」

 そこでアレクサンダーは、軽く手を挙げて声を発した。

「セパには『執行人』の仕事絡みで行ったことがあるが、そんな風じゃなかった。いつからだ?」

「七年ほど前だ。基本的に、この国を拠点にして行動しているお前が知らないのも無理はない」

 アレクサンダーの質問に即答し、ザカリエルは片手を振った。

「続けるぞ。――国間交流として、ボケた親父の代わりに俺が訪問しても、対応は礼儀は弁えていても冷たいものだった。隙を見て、俺が国盗りを企んでいるとでも考えているような感じだ」

 ザカリエルはそこで、ヴィルヘルミナに一瞬だけ視線をやる。が、彼女には何も言わず、また顔を前に向けた。

「ともかくそういう感じだから、この国どころか他の国に対しても敵愾心を露にし、普通の観光客にさえ目を光らせる始末。今回アレックスとアオイの訪問も、粘って粘って粘りまくって話がやっと通ったくらいなんだ。マツリの言うような、まず諜報員を潜り込ませて……なんて余裕はなかった」

「身分を隠して旅行客を装って、じゃ駄目だったんですか? 公式訪問にしなきゃいいじゃないですか」

 マツリが唇を尖らせて言うが、ザカリエルは半眼になった。

「んなことして、万一ばれた時は戦争だ。いっそ何もかも大っぴらにして向かわせた方が、あっちも国の誇りにかけておかしな真似はしないと踏んだ。アレックスとアオイに何かあれば、それこそこっちが戦争を起こす口実が出来る……って訳だ」

「成程な……」

 一応筋は通っているので、アレックスは頷いた。

 それを機にザカリエルは腰を上げ、軽く伸びをする。

「アレックス、裏庭で少し打ち合わないか」

 腹ごなしに、という体で言われたが、それが建前であることはすぐに分かったので、アレックスも立ち上がった。

「アオイ、マツリ、それにヴィリー。俺達はちょっと外に行くが、君達はここでゆっくりと話していてくれ」

「うん」

 アレクサンダーがアオイの肩を軽く叩くと、アオイは目を細めて頷いた。


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