嵐の前の静けさ①



「――ヤマト、あれ見てよ! バラが全部オケラ! そりゃそうよね、もう秋のバラの時期過ぎてるんだもの! あははは!」


 俺と咲弥は、緑もわびしい秋の庭園を歩いていた。これだけならパパ活もかくやの光景だが、実際はそんな安穏としたものではない。


 ――『今回のことは、あまりにも不可解だ。だから私も重い腰を起こして、本家に行くよ』


 草薙さんに伴う形で、俺達は三条本家にやってきていた。

 本家と言っても、勘当された草薙さんが大手を振って本家邸宅を歩けるはずもなく、近くに併設された迎賓館げいひんかんを利用していた。だが実態は、織田おだ澪子みおこの家より少し小さいだけで、十分立派な豪邸だ。そのうえ薔薇の咲き誇る庭園まで擁し、こうして歩いて暇を潰せるのだから、金持ちはスケールが違う。


 しかし、あくまで俺達は客人の使用人だ。庭園を闊歩する咲弥もメイド服姿で、俺も申し訳程度に白衣を羽織っている。

 とはいえ、使用人もただの形式だけのため、こうして暇を庭園で持て余しているのだった。


「俺はともかく、お前は三条の家の娘なんだから、普通に出席できるんじゃないのか?」

「無理ね」


 ざっくばらんに、咲弥は舌を出して切り捨てる。


「ボクは三条の血統に名を連ねているわけじゃないから。どう足掻いても、里子は里子。そのうえ【ギロチン】のために引き入れたようなものだから、敷居をまたがれるのすら眉をひそめる人も多いわ。正式な帰省だったらいざ知らず、ね」

「愛とか情とかないのかよ……」

「あったら、人間だった怪物を殺す生業なんてさせないわよ」


 正論だが、少々わびしい。

 この庭園のようだ――と思うのは、いささかセンチメンタルが過ぎるが。


「あ、バラはもうオケラだけど、あっちのモミジはまあまあ綺麗じゃない? 行くわよ!」

「ちょっ、おい!」


 モノトーンのロングスカートをひるがえし、元気よく駆け出す咲弥に、続く俺。


 庭園なんてうろつかずに、スマホでもいじってのんべんだらりと待っていたい気持ちは山々だったが、あれやこれやが立て続けに起こり、先日の紅茶を淹れる約束も果たせていない。果たせていない約束があるのはいけない。どうにも弱みを握られているような、居心地の悪さがある。


 そうして追い駆けた俺の息は、うっすらと白み始めていた。

 ここ最近は冬日も増え、本格的に秋から装いを変えようとしている。葉の赤みが色濃くなっているのも、そのためだろう。


「ほら、綺麗じゃない?」


 見上げる紅葉は、吐息の白で赤が濁って見えた。

 この間の赤をブチ撒けられた御園宅の白い壁紙じみていると感じたのは、俺の感性がひん曲がっているせいか。


「……まあ、そうだな」


 言葉だけの肯定をして、そばにあったベンチに腰かけた。


「そろそろメシでもいいんじゃないか? もう大概見て回っただろ」

「それもそうね」


 そう言って、咲弥は手に提げていた場違いのビニール袋を広げる。どうせ空腹しのぎの軽食だと、買ってきたのはサンドイッチが二つ。カツサンドとレタスハムサンドだった。


 勿論、肉食を忌避している咲弥が後者だが、ハムを食べられるわけもなく。


「はい、口開けて」


 器用に解剖して取り出した薄切りのピンク色を突きつけられて、俺は顔をしかめた。「ならポテトサラダサンドにでもしろよ」と言いかけた内心、確か刻んだハム入りだったなと思い直す。


「あー」

「はい、えらいえらい」


 こんなところを三条本家の人間に見られていたら、マジで人生終わりそうだな……というのも杞憂だ。今頃彼らは会食形式で真面目な話に勤しんでいることだろう。


 真面目な話――『しろいかみのおんなのこ』、先日の「ハル」を名乗る異常な【エス】のこと。


「あいつ、なんだったんだろうな」

「知らないわよ」


 知るよしもない。想像を絶することは確かだが。


「まあ、【エス】なのは間違いないんじゃない? 間違いないだけで、それ以上のことは分からないけれど」


 にべもないが、実際そうだ。

 危険信号いたみをものともしない精神と、破格の馬鹿力――『全身変質』なのだとしても、あまりにも強靭な肉体だった。


「本当に吸血鬼だって方が、まだ信憑性があるかもな」


 と、口に出してすぐ。


「……いや、そんな嘘っぱちなんて、いるはずがないか。言ったそばだが忘れてくれ」


 吸血鬼などというフィクションのモンスターが、この世にいるはずがない。あるのは、どうしようもなく不可解な現実だけだ。


「吸血鬼……」

「忘れてくれって言ったろ。血迷ったんだ」

「ボク、考えたんだけど――」


 咲弥は述べる。


「――あれが、【エス】の感染源であるという可能性は?」

「…………っ!」


 一瞬、驚きと腑に落ちる感覚で、息が止まった。


 【エス】は精神疾患を起因とした、ごく稀に発生する奇病のようなものだ。未知のウイルスによるものだとも、免疫機能の暴走だとも言われている――普遍的な【エス】のくくりに収まらないのならば、普遍的ではない【エス】であればいい。


「『チフスのメアリー』ってことかよ……」


 ――二十世紀の初め、メアリーは腸チフスの保菌者キャリアーだった。

 しかし無症状だったため、多くの人へと無自覚に病を撒き散らしてしまった。結果、彼女は世紀の毒婦として、センセーショナルに報じられることとなる……この話はもっと業が深いが、抽出すべきは、感染源たる保菌者である点だろう。


 そして、だ。

 メアリーは知らぬままに病を広めてしまったが、『しろいかみのおんなのこ』――ハルは間違いなく、自覚を持って感染を広めていることになる。


 末恐ろしい憶測だが、筋は通っている。

 要はハルが親たる保菌者で、被害を受けた咲弥の両親である鬼頭きとう嶽士たけし鬼頭きとう好乃よしの夫妻や俺の彼女だったおおとり美月みづき、そして麟堂りんどう義行よしゆき来栖くるす五百奈いおな御園みその枝郎しろうら【エス】が、子たる感染者。それが現状で一番可能性が高いだろう……御園みその幹也みきや遠野とおの綿花めんかといった更なる被害者も含めるとキリがないことを考えると、罪の重さの途方もなさに戦慄すら覚えるが。


「被害規模から考えて、飛沫・空気感染ではなく、血液などの媒介物感染かもしれないわね。接触感染なら、もっと被害が出て公になっているでしょうし」

「……冷静だな」

「まさか」


 大人になってもやりきれない俺のやっかみに肩をすくめて、「ハラワタ煮えくり返ってるわよ。これ以上なくね」と咲弥は返す。


「殺せるのなら――今すぐにでも、殺しに行きたいくらい」

「…………」


 だが、そこまで無鉄砲になれるほど、咲弥も子供ではなかった。成長した――否、確実に殺すためならば、牙を研ぎ毒を盛るくらいの知恵をつけたのだ。心は変わらずとも、仕留めるための手間暇をかけるだけの待ち時間は費やせる。


 そうして、確実に、絶対に、ハルというあの悪魔てんしを仕留める。


「で、ヤマト。約束、忘れてないわよね?」


 咲弥はうっそりと、天使あくまのような微笑みを浮かべて。


「アイツを殺したら――ボクのことも、ちゃあんと殺してよね?」

「……分かってる」


 忘れたことはない。最早ごまかしきれなくなって、近い将来、俺が潰れるか、咲弥が折れるかのチキンレースになるだろう。


「えらいえらい。はい、あーん」


 俺の目の前に、またしてもハムがぶら下げられる。

 まだパンの奥底に眠っていたらしい。


 それが明日来ないことを祈りながら口を開けたところで、


「あー……」

「私は従業員同士の不純異性交遊は禁止してないけど、」

「……ーん!?」


 気づけば、呆れ顔の草薙さんがすぐそばに。


「公衆の面前で未成年とイチャコラするのは……流石にどうかと思うよ?」


 車椅子で音もなく近づくとか、この人忍者か?

 ……いや、迫り来られても一切気づかなかった俺が愚鈍だっただけか。


「えっと……く、草薙さん、用事はもう済んだんですか?」

「済んでなきゃ、こんな辺鄙へんぴなところまで来ないよ。二人を探してたんだ」

「……わざわざどうも」

「早くこんなところから我が家に帰りたくてね。まったく、形ばかりのもてなしなんて不毛だ。小鳥がついばむ程度の量しかないコース料理は嫌だね。味ばかり繊細なくせに、空腹を満たす食事の本質を見逃している。腹立たしいこと、このうえない」


 すくめた肩をよじる草薙さんは、相当張り詰めていたのだろう。「心底疲れた」と溜息を吐き出す。


「帰ったら、もつ鍋なんてどうだい? 野菜も入れて、クタクタに煮込んでしまおう。袋のインスタントラーメンも入れようか」

「えぇ~! モツ、食べられないんだけど!」

「先に野菜とラーメンを煮ておくからさ」

「それならいいけどぉ……」


 肉食忌避の咲弥こそ唇を尖らせて異を唱えていたが、こちらは想像するだけで唾液がにじむ。サンドイッチだけで腹八分目以下だった俺の腹の虫も、ぐぐうと同意を唱えた。


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