エピローグ

起きて見る悪夢①



 草薙さん曰く、今回の【エス】は割合実態が判明しているらしかった。


 【エス】の名前は、平坂ひらさか椿つばき――『病因』は、いじめによる抑うつ状態と判明している。しかし、『変質』は不明だった。

 だが、両親である平坂ひらさかしゅう平坂ひらさか香紗音かさね夫妻、家庭訪問にやってきた担任の羽生はにゅう未散みちると、運悪くプリントを届けにやってきてしまった幼馴染の朝比奈あさひなみなと、そしてこれまた運の悪いことこのうえなかったお巡りさんを、自分の部屋に取り込んでしまっている。

 その現状から、なんらかの足止め効果のある『変質』なのだと推理されている。どちらにせよ、危機的と呼ぶ他ない。


 そう、廊下を歩きながら思い返してみても、実際に突入しないことにか分からないことだらけだ。

 ほどなくして、『TSUBAKI』というネームプレートがかかった部屋へと辿り着いた。


「鬼が出るか、蛇が出るか……」


 意を決して、俺はドアノブをひねって、部屋へと踏み込んだ。

 年頃の少女らしい部屋の様相が見えたが、それも一瞬。


「おいおい……」


 すぐさま、俺の視界いっぱいに悪夢のような光景が広がった。


「こりゃまた、大盤振る舞いだな……」


 ほの暗い、鬱蒼うっそうとした森。

 出てきたのは、鬼でもなければ蛇でもない、見渡す限り人界のことわりを通さない神域の木々だった。巨人が密集しているかのような威圧感が、辺り一帯を支配している。

 まかり間違っても、女子中学生の部屋が抑うつ状態のついでに変貌していいものではない。


 なるほど、【エス】平坂椿の『変質』は幻覚か。来栖くるす五百奈いおなの時のように、汗のような分泌物が媒介となって幻覚を見せているのだろう。


 念のため、スマホを確認。

 やはりという結果に、俺は「これ以上使うことはなさそうだな」とぼやいて、ポケットへとしまい込んだ。


「あ、あの……」


 すると、俺へと向けられたか細い声があった。

 すわ敵かと睨みつければ、そこにいたのはブラウングレーのブレザー姿の少女だった。先んじて目を通していた資料から、それが平坂椿と幼馴染の朝比奈湊が通っているみなもと高校のものだと気づく。


 特徴的な髪型ギブソンタック

 すぐさま誰なのか見当がついた。


「君は……朝比奈湊さんだね」

「は、はい。あの、あなたは……?」

「しがない清掃業者ってことかな。名乗るほどの者じゃないよ」


 流石に弱り切った女子高生相手に、悪魔祓いだの解体業者などといった、剣呑な職業を名乗るわけにはいかなかった。

 それでも怪しげな自己紹介になってしまったのを「そんなことより、」と無理矢理切り替える。


「体は平気? 喉乾いてたりしない?」

「ちょっとお腹が減ってますけど、それ以外は大丈夫です」


 顔色も悪くない。混乱や不安感はあるものの、健康状態は十分良好と見受けられた。


「不安かもしれないけれど、移動しよう。このまま立ち尽くしてても脱出できない」

「そうですね……」


 力ない様子にいっとき不安を抱いたが、涙をぬぐうとしっかりとした足腰で立ち上がった。


「……大丈夫です。歩けます。ただ、」

「?」


 可憐な目鼻立ちが紅潮し、おずおずと片手を差し出す。


「あの……手を、握っていてくれませんか……?」


 長いこと独りぼっちだった孤独感からか、人恋しいのだろう。

 しかし俺は「ごめんね」と端的に断りを入れる。


「応えたいのは山々だけど、そういうのって昨今、問題セクハラになっちゃうから」

「あ……す、すみません……」


 無償奉仕ボランティアとはいえ、この手はとうに予約済みなのだ。事情があれど、一人の少女に貸し出していいものではない。


「じゃあ、行こうか」

「はい……」


 ――そうして俺は、辿


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る