起きて見る悪夢②



 ――「前みたいに、部屋に入った瞬間、悪夢の世界へご招待! ……ってこともあるんじゃないかしら」


 そんな不吉なことを、咲弥は言っていた。


 ――「やってきた人間を大口開けて丸呑みしてたら、ハニュー・ミチルに通報された運の悪いお巡りさんはいなかったはずでしょう? 一撃必殺ではなく、五里霧中だと思えばいいのよ。だって――――■■■■■■■■■■だもの」


 咲弥の予測を全面的に信じたわけではなかったが、俺が講じたのは、いわゆるヘンゼルとグレーテル戦法だった。とはいえ、用意したのは小石やパンくずではなく、ホームセンターで買える縄だったが。

 それをドアノブにくくりつけ、部屋へと侵入を試みた……ドアも縄も見えなくなっていたが、触覚だけは残っていた。


 ……つまり、咲弥の予測は嫌に的中した形になる。


 どこに視線を投げても、見渡す限り、辺り一帯にはおどろおどろしい樹木が並び立っている。彩りとなり得るのは、椿と思しき赤い花だけだ。

 平坂椿だからか。自己主張の激しさは思春期特有のものだ。できれば、健康で文化的な形で発揮してほしかったが。


 しかし目印もなしに迷い込んでいれば、一発で脱出不可能になっていただろうことは、想像に難くない。一歩進んでも百歩進んでも、周囲の風景は大差なかった。

 悪夢の森には月も星影もなく、あくまでただの部屋に展開されていることを考えれば、コンパスも無用の長物だろう。


 だが、しっくり来ないことがある――それはこの、どこまでも続くかのように思われる空間だ。


「参ったな……」

「……大丈夫ですか?」

「あ、いや、あんまり歩いたもんだから、ちょっと弱音が出ただけだよ。心配しないで」

「そうですか。なら、いいんですけど……」


 【エス】の『変質』は、異能と呼んで遜色ない常識離れしたものだ。それこそ、いつかの麟堂りんどう義行よしゆきのような催眠話術ならば、こうして物理的な目印を辿ることも叶わなかっただろう。確かに指先には感覚がある。だが、歩けども歩けども、出口へと繋がっているはずのドアノブに当たらない。


 『変質』は常識離れしてはいるが、あくまで人間の五感といった身体能力の延長線上にあるものだ。空間を捻じ曲げているのかもしれないといった想像など、【エス】の異能の範疇はんちゅうを越えている。否定して然るべきことだった。


 だというのに、一向に縄は手繰り終わらず、そろそろ小一時間が過ぎようとしていた。


「――――

「え?」


 懐かしい声が聞こえた。反射的に周囲を見回す。



 今度はもっとハッキリと。

 俺が聞き間違えるはずがない、この声は、もう聞こえるはずのない……。


「大和。ねえ、大和。無視しないでよ」

「趣味悪いっつーの……」

「どうしたんですか? 顔色が悪いですよ」

「いーや、大丈夫。年寄扱いされるのはまだ早いから」

「もう三十路でしょ? 私達の頃だって、『三十路はおじさん』みたいな風潮あったよね」

「…………」

「私は思わなかったけど。今もだよ? だって三十路になった大和もカッコいいもん。大人の魅力って奴を感じるよ。自信を持って」


 冷や汗が止まらない。

 眼鏡を直して心を落ち着けようとするまでもなく、どうやら焦れた【エス】ひらさかつばきは強行手段に出たらしかった。


 裏を返せば、出口はそう遠くないことを示している。……しかし相手は、難敵と呼んで然るべき厄介さだ。皮膚分泌物による幻覚作用、などと予想していたことを恥じたい。これは、生体電流による幻覚こざいくだ。小賢しいことこのうえないが、一介の女子中学生が操っていい代物でもない。


「美月……」

「うん、なあに? 大和」


 俺の彼女だったおおとり美月みづきが、そこにいた。


 愛嬌のある、穏やかな面立ち。

 体重を気にしていた、少しふくよかな体つき。

 記憶の中そのままの彼女が、目の前に立ち塞がっていた。


「そこをどいてくれ」

「え? あの、誰と喋ってるんですか?」

「なんで? 一緒にまたキャンプ行こうよ。少し寒いかもしれないけれど、時期的に空気が澄んでいるから、きっと星が綺麗に見えると思うよ」

「行けない」


 そばで聞こえる「『行けない』? え、どういう意味ですか……?」という声も気にせず、俺は幻影の美月と対峙した。


「お前はあの時、【エス】に成り果てて死んだんだ。その事実は……もう、受け入れた」


 敵討ちも済ませた。美月を忘れて新しい恋をする気はないが、さりとてみじめったらしく忘れ得ぬ思いを引きずる気は毛頭ない。


「残念だが、自己嫌悪は売り切れオケラだ。一昨日おととい来やがれ、偽物」

「――よく言ったわね」


 その瞬間――宵闇よりも純度の高い黒が舞い降りた。


「お待たせ、ヤマト」


 今時古風な黒いセーラー服に、傷みのない黒くつややかなロングヘア。濁りのないまっさらな黒は、あまりにもまばゆい。それを飾るあかいリボンだけが現代的だった。


 白い医療用の眼帯だけが、いまだ見慣れない――鬼頭咲弥がそこにいた。


「これでもアンタが入ってから、すぐさま部屋に飛び込んだんだけど、そっちだと時差はどれくらい?」

「一時間強ってところか。生体電流で覚醒剤じみた成分を分泌して、取り込んだ対象の視覚や時間感覚、果ては記憶までも引きずり出して混乱させる……ってのが、奴さんの『変質』だろうな」


 標準的なプリーツスカートに合わせるならばローファーだろうに、ワークブーツの濃い飴色がつかつかと歩み寄る。


「だから部屋の前ではスマホが繋がりにくかったし、即座に突入したボクと出くわすのが遅れに遅れたわけね」


 二人一組バディでやってきて、時間差で突入した俺達には不要だったが、この部屋では繋がりにくいというだけで、スマホは普通に通じていた。

 ……理由は簡単。【エス】の被害者である羽生未散が、警察へと通報できていたからだ。


 ――「やってきた人間を大口開けて丸呑みしてたら、ハニュー・ミチルに通報された運の悪いお巡りさんはいなかったはずでしょう? 一撃必殺ではなく、五里霧中だと思えばいいのよ。だって――――


 時間感覚まで狂わされて、合流までにえらい時間がかかってしまったのは、ご愛嬌だが。


「それで、ドアノブに繋いでおいた縄を手繰っていたが、一向に辿り着けなかったんだが……」

「それも感覚が狂わされていた証拠かもね。歩いているつもりが、足踏みしているだけだったとか」

「とんだ道化だな……」

「あら、ヤマトが道化なのは、いつものことじゃない」

「うるせぇ」


 そうして、咲弥はクラスメイトにでも話しかけるような気軽さで、俺の影に隠れていた少女へと声をかける。


「で? こっちがその奴さん?」

「そう。椿

「え――え?」


 朝比奈湊――ではなく、平坂椿は後ずさりながら疑問符を浮かべる。


「どう、して……私は、朝比奈湊で……」

「資料で見てるよ。

「ッ!」


 朝比奈湊は平坂椿に戻ると、キッと眉尻を上げて飛び退すさった。


「チェックメイトって奴だ」


 咲弥がさやから刀を引き抜き、銀の輝きをかざす。

 生体電流などという繊細で骨が折れるものの操作が、何人も受け持ってうまくいくはずがない。


 ポトリ、ポトリ――悪夢の森は、椿の花が落ち始めていた。


「く、そォ……!」


 めざめの合図。

 逆らうように、平坂椿がきびすを返して逃げようとする。


 だが……、


「あ、ぅ!」


 弱々しい悲鳴が上がる。

 見れば、平坂椿が頭を抱えて倒れ伏していた。


 二人もの人間の時間感覚を操作するのは、限界だったようだ。

 グリッチノイズめいたほころびで、悪夢の森がほどけかかっている。逃げおおせるほどの余力は、残されていない様子だった。


「清掃業者なんて嘘だったじゃない! どうして騙していた!」

「お前もいたいけな被害者のフリをしてたんだから、おあいこだろ」


 まあこちらも、それを利用して咲弥との合流を優先させたのだから、悪さの度合いで言えば一枚上手かもしれないが。


「違う! 私は被害者だ! 上履きを隠されたり、教科書を汚されたりした! 無視もされた! だからこれから、あいつらに復讐してやるんだ!」

「アンタの言いたいことは分かったわ」


 逃げられないと分かった途端、平坂椿の溜め込まれた不平不満は爆発の一途を辿っていた。それを冷笑の面持ちで咲弥は静かに受け止める。


「されてきたっていういじめも、復讐に足るものなんでしょうね」

「なら!」

「でも……だからって、人を喰っていい理由にはならない」


 担任である羽生未散も、幼馴染の朝比奈湊も、ここにはいない。

 悪夢を見せられて、復讐とやらをたっぷり味わわされた後、とうにこいつの胃袋の中だろう。


 それが許されるのは、怪物の理論だ。十人殺せば殺人鬼でも、百人殺せば英雄。ならば怪物なら、千人殺したって構わない。なんといっても怪物なのだから。食べたパンを数える人がいないのと同じだという。


「それとね、復讐の先輩だから餞別せんべつがてらに忠告してあげる――」


 だがその理論には、人間の感情が欠落している。

 この世界は、怪物の跳梁跋扈ちょうりょうばっこを許しておく道理は存在しない。それを忘れているのだ。


「復讐って、命がけだよ――一方的な蹂躙じゅうりんを夢見ているなら、大間違い」


 腰を落として、重心を下げる。

 標的に狙いを定めた、狩人の構え。


「――それを分からせてあげる」


 春一番。一陣のつむじ風と化した咲弥が、怪物の首めがけて疾駆する。


「せめて……」


 その一瞬が、抵抗を呼び起こすには十分な時間だった。


「新手のお前だけでも!」

「っ!」


 幻影の矛先が、咲弥へと向けられる。まだ幻影を破っていない咲弥に目をつけたのか、平坂椿は敵愾心を一直線に浴びせかかった。


「咲弥」

「咲弥」


 ――間に割って入るように現れたのは、中年の夫妻だった。

 つんのめった咲弥が、足を止める。


 みるみる変わった咲弥の表情を見れば分かる……あれは、鬼頭きとう嶽士たけし鬼頭きとう好乃よしの夫妻。

 【エス】として処理されて亡くなった、咲弥の両親だ。


「お前は生きていてはいけない」

「生きていてはいけないわ」

「私達が死ぬのを間近で見ておいて、追い駆けもしない薄情者」

「とてもじゃないけど、娘失格だわ。愛さなければよかった」

「産むのが間違いだったんだろう」


 人の親とは思えない罵詈雑言ノイズ

 聞いているこちらまで頭が痛くなるような不快感に、俺は思わず眉を歪めた。


「死ね」

「死ぬんだ」

「死ぬのよ」

「私達と来るんだ」

「来い」「来い」「来い」「来い」

「お父さん、お母さん……」


 耳を覆わずにはいられないであろう咲弥は、しかしうっそりと微笑んで。


「大好きよ。今も、昔も――人の道を踏み外しても、親の情だけは忘れなかった、二人のことが」

「なら!」

「死になさい!」

「私達と一緒に来るの!」

「だからこそ――ッ!」


 咲弥はよどみを振り払い、一気呵成に駆け抜けた。

 清廉な銀色の刃がひるがえり、呪いの鎮魂歌レクイエム、その首元を捉えた。


「死ぬのはアンタだ――ッ!」


 真一文字の一刀両断。

 最後の椿が、ポトリと落ちた。


「は――――ァ」


 幻影が消える。悪夢の森が晴れていく。


 残されたのは、普遍的な少女の部屋。あか色と鉄錆てつさびの匂い。首の主が平らげたであろう人骨が四人分。

 おそらくは、両親である平坂柊・平坂香紗音夫妻、そして担任の羽生未散と、幼馴染の朝比奈湊だろう。


 短いながらも、静かに手を合わせる。

 ――朝が来たのだな、と端的に思った。


「大丈夫か?」

「なに、心配してくれるの?」

「相棒になんかあったら、それこそ名折れだろ」

「まあ! 大変、明日は槍でも降るのかしら」

「ほざけ」


 その間に入る声が、一つ。


「死ね……呪われろ……地獄に落ちろ……!」


 負けても心は折れなかったのか、平坂椿が落ちた花と成り果てても尚、恨み節を紡ぎ続けていた。


「残念だけど、地獄はとうに知ってるわ。ご近所さんみたいなものね」

「生憎と地獄も住めば都……は言いすぎか。慣れれば下町くらいだ」

「強がりやがって! 嘘! 嘘嘘、嘘ばっかり! そうやって弱者を食い物にして私腹を肥やしているんだ!」


 こうして現実から目を逸らし続けた結果が、気遣ってやってきてくれた担任と幼馴染をむさぼり食らう末路か。それを憐れみもせず、俺はいつものことだと割り切り、首を組み立てた箱へとしまった。閉じ込められた後も平坂椿は散々喚き散らしていたが、せんなきことだ。この後は三条から手配された本当の清掃業者と、息のかかった警察が入るだろう。

 ほどなくして到着したそちらさんに後始末は押しつけて、俺達は平坂椿の家を後にした。


 幸いにして血飛沫を浴びなかったスーツに、咲弥が腕を絡めてくる。


「愛してるわ、相棒ダーリン


 言ってる自分が照れくさそうにしながら、そうのたまいやがった。

 冗談でも言われたくなかった俺は、「愛していないぜ、相棒ハニー」と意趣返し。


「あら、いけず」


 ぺろりと舌を出しながら、「でもいいわ」とスッキリ言ってのける。


「愛って、一方的でも成立するのが、最高クールよね」

「戯言にゃ付き合ってられん。用は済んだんだ……さあ、帰るぞ」

「えー、ボクはチョコレートパフェ食べたいんだけど」

「ほーざーけ」


 ――そうして俺達は、いつもの非日常にちじょうへと帰っていった。

 イチゴのように赤く、チョコレートよりもとろけた、怪物殺しの饗宴カァニバルへと――。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完結】ストロベリィ・チョコレヱト・カァニバル 羅田 灯油 @rata_touille

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画