俺達の明日④



 ここからは、生きている俺のエピローグだ。


 茶の一つも出さず、もてなしというものが一切なかった非情な三条の家を後にして、俺はいの一番に最寄りのファミレスへと直行していた。

 正直、腹が減っていたが、それ以上にあんな話を聞いた手前、草薙さんの下へすぐ戻る気分になれなかったのが本音だった。


「お待たせしました。ハンバーグランチとグリーンサラダです」


 頼んでからしばらくして、少し早い昼飯がテーブルに到着する。ドリンクバーも注文しているので、小一時間はこれでしのげるだろう。


 ハンバーグは大衆向けらしい、王道のデミグラスソース。

 企業努力で改良を重ねた結果、それなりに美味しい……はずなのだが、いまいち味が分からなかった。


 ――「ガンが人の個体に発生した自滅因子アポトーシスだとすれば、【エス】――【スワンプマン症候群】は、それが人間という種に発生したものだ、とね」

 ――「『人間は増えすぎた』……この仮説を立てた学者の言に則るならば、そういうことらしい」


 考えたくて考えているわけではないが、無心にフォークを進ませていると、自然と先程まで話していた三条帝人との会話が思い起こされる。


 ――「精神疾患はスイッチでしかない。今や人間誰しもが内包している自滅因子アポトーシスが、自殺という凶行に及ぶほどの懊悩おうのうで起動する……今のところ、それが噛み合うためには、保菌者キャリアーである『特級』からの媒介物感染が絶対条件だがな」

 ――「お前が討ち倒した『特級』は、あくまで保菌者キャリアーだ。【エス】の撲滅にはならない」


 これから俺は……どうすればいいのだろう。

 単純な話だ。これまでどおり、【エス】を倒し続ければいい。加齢によって体がしんどくなれば、適当に引き際を見極めて去ればいい。


 だが――仮にも目的だった仇討ちも、既に果たした身。

 これ以上、身を粉にして励める未来予想図が思い描けなかった。


 最早、これまでだと諦める潮時なのかもしれない……。



 ……そんな時、見知った声がこだました。鈴を転がすような、凛とした声音。

 いつの間にかうつむいていた顔を上げるや否や、声の主は我が物顔でチョコレートパフェとドリンクバーをタッチパネルで注文する。


 思いがけず、声がこぼれた。


「……ここの系列、チョコレートパフェにイチゴ入ってたの、忘れたのか?」

「げ」

「人のことあれこれ言うくせに、お前も大概そそっかしいよな」

「うるさい。いいわよ、イチゴはアンタに食べてもらうから」


 向かい合うのは、白皙はくせきの美貌。凛としたはなじりに縁取られた琥珀色の瞳が、気の強さを物語っていた。


 気品溢れる高級志向の黒いセーラー服に身を包み、傷みのない黒くつややかなロングヘアには、現代的なあかい髪飾りのリボンが揺れている。

 右目を覆う医療用の眼帯だけが、見知らぬ白色をしていた。


「お前、ハルに関して聞いてるか?」

「まあね。『特級』だとか保菌者キャリアーだとか」

「……それについて、どう思った」

「あんなのがごじゃまんといるかもしれない……って考えると気が遠くなるけど、別にボク達は【エス】を絶滅させるつもりで活動していたわけじゃないんだし? 今更あれこれ考えなくてもいいんじゃないかしら?」

「……そうだな」


 言葉を交わすたびに、段々と心が軽くなっていく。

 そうだ。既に主目的だった仇討ちは済んだのだ。あとは正義の味方でも気取って、ご町内の平和でものんべんだらりと守っていればいい。引退を気にするのは、四十路アラフォーにでも差し迫った自分に任せておけばいいのだ。


 大事なのは、今生きている自分自身。


 なんだ、こんなにも簡単なことだったのか。

 思い至れば、黒く淀んでいた気持ちが、鮮やかに晴れ渡っていく。


 ……こいつはいつだって、物事を端的に捉え、一刀両断せしめてきた。憎らしいくらいに澄んだ輝きを見せつけてきたのだ。


「あと、言うことが一つあったのを忘れてた」

「なに? お小言はハツネのだけで十分なんだけど」

「帰ってきたら、先に言うことがあるだろ」

「うん、そうだったわね――ただいま、ヤマト」

「おかえり」


 頬杖をつき、ぺろりと悪戯っぽく舌を出した――鬼頭咲弥が、そこにいた。


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