俺達の明日③



 呼び出されたのは、以前咲弥と共に草薙さんへ伴う形で訪れた、三条本家の迎賓館げいひんかんだった。


 その時は通されなかった館内を案内され、来賓用の応接室の一つへと通される――そこにいたのは、優雅に高尚リッチなソファへ腰かける、一人の男性だった。


「あ、なたは……?」


 俺を呼び出したのは三条鷹虎だとばかり思っていたし、顔を合わせるのもまた、三条鷹虎だとばかり思っていた。

 しかし予想を裏切られ、面食らった俺は、呆けて鼻白む。


初音いもうとより社会経験を積んでいるだけ、多少はマシだと思っていたが……認識を改めよう」


 丁寧に撫でつけられた髪型に、俺の二束三文リクルートスーツとは比べものにならない、高級品オートクチュール。塗装の剥げ一つない銀縁の眼鏡も、俺とは天と地ほども違う特権階級セレブリティの男性だった。

 見た目の年齢こそ同じアラサーだろうに、一本芯の通った背筋といい、怜悧れいりな目つきといい、威厳に溢れる居住まいだった。


「まともな挨拶すらできないとは、三条鷹虎ちちいとうわけだ」


 ――三条さんじょう帝人ていと

 三条鷹虎の実の息子であり、咲弥の義兄だった。


「こ、これは大変失礼いたしました!」

「どうせ、僕は父の小間使いでしかない。初音の小間使いのお前と大差ない。取り敢えず腰かけろ。脚は組んでいても構わん。話はそれからだ」


 名前こそ知ってはいたが、初めて顔を合わせるにしては態度がデカい。小市民の俺は肩身が狭い。


 だが、そうもいっていられないのは、状況が物語っていた。


「私……いや、俺を呼び出したってことは、咲弥の処遇について……でしょうか?」


 話はそれからだと言われては、向かい合うようにソファへと身を沈める他ない。そのまま寝られそうな材質に体を委ねた俺に視線を向けつつ、三条帝人は控えていたメイドに一声かけて下がらせた。

 否応なく、背筋が伸びる。


たつみ大和やまと、君は【エス】をなんだと考えている?」

「え?」

「呆けた返事をするな。気が散る。『答えを聞かせろ』と言っている」


 愚問甚だしい。そんなことは、問われるまでもないだろう。【ギロチン】の初歩中の初歩だ。


「そんなの……」


 【エス】――【スワンプマンSwampman症候群】は精神疾患を起因とした、ごく稀に発生する奇病のようなものだ。

 だがただの奇病ならまだしも、事実上怪物へと変異する病なのだから性質タチが悪いが。


 未知のウイルスによるものだとも、免疫機能の暴走だとも言われているが、前提として【エス】と化すまでに、こころの病の諸症状が出てくる。

 摂食障害、睡眠障害、セルフネグレクト、自傷行為、人間不信、妄想や幻覚、思考能力の低下……病んだ心に従って、体が変異する。


 この病んだ心が、【エス】に成り果てる原因――『病因』と呼ばれる。


 人間の細胞は入れ替わる。心臓や神経といった例外を除けば、一番遅い骨でも約五ヶ月で入れ替わるのだから、半年後にはほとんど別人のようになっていると表しても過言ではないだろう。個々で差はあれど、傷が治ったり老いたりするのは、体の機能のおかげだ。

 そう、【エス】は脳からの命令で、成長期の幼子に匹敵する変貌を遂げる――その際、是が非でも必要とするのがエネルギー、もといカロリーだ。特に体を作るなら、動物性タンパク質が相応しいだろう。

 非売品タダで手に入り、食い甲斐のあるグラム数――だから人を食べる。心を病み、追い詰められた末に麻痺した人格は、どうしようもない空腹の解決に、築き上げてきた倫理を捨てる――その果てに心拍を止め、生命の範疇はんちゅうから逸脱するのだとしても。


 そしてガン細胞よろしく暴走した肉体は、異能と呼ぶべき身体機能――催眠話術、洗脳フェロモン、過剰な皮膚感覚、強靭な肉体に端麗な容姿――『変質』を手に入れる。

 法外と化した【エス】を法外に裁く、もとい捌く【ギロチン】は、そんな異能者と渡り合って首を刎ねなければならない。心臓を弾丸で穿うがっても死なない【エス】は、脳と四肢を分離して焼却処分するまで止まらないからだ。


「俺が知ってるのなんて、それくらいですけど……まさか、『これが嘘だった』とかって言い出しませんよね……?」

「半分正しく、半分間違っている」

「は……?」


 これまでの常識が、崩れていく音すら聞こえそうだった。


 半分正しいが、半分は間違っている……どこからどこまでが? よもや、来栖五百奈が全能感に陶酔してほざいていた「死を克服した人間」だとでも言うのだろうか? つまるところ、【エス】は「進化した新人類」だと?


 だが、今はそれを否定しづらい。なにせ更に進化したと呼ぶべき【エス】――ハルがいたからだ。腹を刺されてもケロっとしていて、散歩でもするように三階から飛び降りる。

 今思えば、あれを【ギロチン】を統べる三条の家が、草薙さんが進言するまでもなく認知していないわけがない。


「――それを、今から説明しよう」


 ごくり、と生唾を呑み込む。

 常識という薄皮一枚を剥いだ向こう側に、俺は踏み込んだ。


「【エス】――【スワンプマン症候群】は身体が変異する。その特徴から人類の進化系だという認識が、君達【ギロチン】の中でもまかり通っている」

「実際は?」

。共喰いをする進化種など、根底から狂っている。ゾンビなど、フィクションの見過ぎだな」


 思いがけず息を止めていた肺が、ホッと呼吸を再開する。


「ならばなにに似ているのか? 驚異的なスピードで変貌し、仲間を増やし、社会を圧迫するその様は」

「吸血鬼、とか……?」

「……吸血鬼など、フィクションの見過ぎだな」


 三条帝人は「夜にしか闊歩かっぽできず、人間社会を圧迫すらしない怪物など、取るに足らない脅威だ」と傲岸ごうがん不遜ふそんに吐き捨てる。


「……ここまで言って流石に分からないのは、失望を禁じ得ないぞ。今君が言った中に正解が含まれている。むしろあの個体ハルと遭遇しておいて、考えが至らなかったことの方が僕にしてみれば、不自然極まりないが」


 焦れていると言外に、三条帝人が眉根を怒らせる。早いところ正答に辿り着けなければ、俺の給金が危うそうだ。めいめい頭を回す。


 【エス】は、ゾンビや吸血鬼フィクションのモンスターではない。だが生命維持機能を質に入れてまで、驚異的な変貌を遂げ、膨大なエネルギーを欲する特徴は、ゾンビや吸血鬼を連想しかねないほど似ている。

 フィクションの産物ではない、三条帝人の言に則るならば、至極現実的な事物が正体なのだろう。


 そうだ。既に俺は述べていた。

 【エス】の変異がなにに似ているのかを――。


「――

「ご名答。いささか遅すぎたくらいだがな」

「まさか、怪奇ガン細胞人間とでも言うんですか?」

「……前言撤回だ。君の脳味噌は大分と言わず、相当参ってしまっているようだ。入院をもう少し延ばすべきか」

「すみません、本当に分からないんです。というか、今回の話だって、寝耳に水すぎて……」

「……まあ、仕方あるまいか」


 三条帝人が足を組み替えて、「時間を無駄にするのは趣味じゃない。ここからは講義に切り替えるべきか」と咳払いをする。


「【エス】の正体は基本、シークレットだからな。だが『特級』と呼ばれる個体と接触した【ギロチン】には、明かす手筈になっている」

「『特級』……」


 あの個体と呼ばれた、ハルのことか。


「つまるところ『特級』とは、【エス】の保菌者キャリアーということですか?」

「ここまで言えば流石に分かるか。だが、よく考えてみろ。ガン細胞が――もっと言えばガンという症状が、人間の間で感染するか?」

「あ、」


 しない。血筋による傾向はあるかもしれないが、あくまでガンは細胞分裂のバグだ。なんなら、日々誰しもに降りかかっており、免疫機能によって事なきを得ている。


「今から約五年前、君の恋人があの『特級』と接触した可能性が示唆されているのは、知っているだろう? そして更に前、二年前――今から七年前、鬼頭きとう咲弥さくやの両親である鬼頭嶽士・鬼頭好乃夫妻と接触した可能性もある。そしてなにより――正しくは前組織だが、【ギロチン】の記録によれば、姿

「!」

「……おかしいと思わないか? 三十年以上もの間、少女の姿をしているなど」

「そ、れは……」

「通常の細胞分裂の枠組みから逸脱した【エス】は、研究によって、人間の寿命である百二十歳を超えて生存できる可能性すらあることが分かっている」


 ガン細胞のように死滅する運命から逃れ、人間エネルギーを食らい続けていれば、三十年、あるいはそれ以上もの長きに渡って、生き長らえることもあるかもしれない――だがそれだと、ごく普通の人間に感染し、こころの病をキッカケにして発症するメカニズムが分からない。


「『特級』という【エス】の保菌者キャリアーの存在によって、我々は一つの仮説を立てた……」


 三条帝人が人差し指を立てる。


「ガンが人の個体に発生した自滅因子アポトーシスだとすれば、【エス】――【スワンプマン症候群】は、、とね」

「ま、まさか!」


 俺はソファを蹴り倒さんばかりに立ち上がった。座っていられなかった。


!?」

「ああ。現状ではそういう話だ」

「だ、だったら精神疾患で発症するのはどうしてですか? それこそ、人間という種に発生した自滅因子アポトーシスだなんて……」

「『人間は増えすぎた』……この仮説を立てた学者の言に則るならば、そういうことらしい」


 曰く、人間の細胞は、天文学的な回数で誕生と死滅を繰り返しているらしい。それだけ繰り返していれば、コピーミスとして死滅の運命から勝手に逃れた個が生まれても、おかしくないと。


 そして、人間は知性をつけすぎた。悩み、苦しみ、心を病んだ末に自殺を選ぶ生物など、破綻していると呼ぶ他ない。


「精神疾患はスイッチでしかない。今や人間誰しもが内包している自滅因子アポトーシスが、自殺という凶行に及ぶほどの懊悩おうのうで起動する……今のところ、それが噛み合うためには、保菌者キャリアーである『特級』からの媒介物感染が絶対条件だがな」


 なんだそれは。それじゃあまるで……、

 人間こそが一番の怪物みたいじゃないか!


「じゃあ、俺達があいつを討ち倒しても……」

「そうだ。お前が討ち倒した『特級』は、あくまで保菌者キャリアーだ。【

「…………」

「説明は以上だ」


 大金星を挙げたつもりになっていた心の端が冷えて、俺は力なくソファへと再度身を預けた。


「言うまでもなく、他言無用なのを忘れるな」


 【エス】自体が事実上の他言無用なのだ。誰に言っても信じてもらえないことは、目に見えている。新手の小説だと、鼻で笑われるのがオチだ。


「質問は?」

「……このことを、草薙くさなぎ初音はつねも知っているんですか?」

「ああ。君達もここを訪問したという時に、説明があった」

「その時、彼女はなんて?」

「怒り狂っていたよ。馬鹿げている、イカれた話だ……とね」


 その光景が目に浮かぶ。

 なにも知らない俺達の手前、平静を装いながら、きっとはらわたは煮えくり返っていたに違いない。


「さて、僕の小間使いもここまでだ」


 対して三条帝人は、ソファから立ち上がる。


「失礼する」


 そう心の底から忌々しげに吐き捨てて、三条帝人は来賓用の応接室から去っていった。


 ……残されたのは、これからどうするべきか分からず、眼鏡を外して目元を覆う、哀れな男が一人きり。


「マジかよ……」


 悪夢は続く。

 しかし、それこそが人生だというのなら――、


「【エス】の撲滅にはならない、か……」


 おっかなびっくり、歩み続けるしかないのかもしれない。


 ……こうして、最悪の後味を残して、俺の天使あくま退治は幕を閉じた。


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