俺達の明日②



 夢の中で、鳳美月が笑う。


「久しぶり」

「……ああ」


 愛嬌のある面立ちとふっくらとした体つきは、あの頃と変わらなかった。

 笑った時に、うっすらと浮かび上がるえくぼも。


「大和は変わらないね」


 穏やかに微笑む美月は、記憶に留めていたままだ。俺だけ歳を食っているのが恥ずかしくなり、反射的に眼鏡の位置を直した。


 しかし、恥じ入ってもいられない。

 俺は美月に伝えなければならない、大事なことがある。


「俺……美月のかたきを、討ったよ」


 あの日、俺達の運命を狂わせた『しろいかみのおんなのこ』――【エス】の保菌者キャリアーであるハルを。


「まあ、ほとんどあいつのお手柄みたいなものだったけどさ」

「私は……討ってほしくなかったな」


 美月はうつむきがちにぼやく。


「やっぱり復讐って、故人はあんまり嬉しくないか?」

「うーん、そういう嬉しいとか悲しいとかって話じゃなくて……だって、復讐って危険でしょ? しかも、相手は人間を食べちゃう強い子だったんだから、心配するのは当然だよ。『してほしくない』って思うのも」

「……それもそうか」


 危険なことには首を突っ込まない。喧嘩をするなら意見をぶつけ合わせる。

 そういう人間りせい的な側面を、美月は持っていたっけ。


「あの子……咲弥ちゃんはどう?」

「どうって、なんだよ」


 思いがけない二の句に、思わずつっけんどんになってしまう。

 俺はこのまま、美月が「【ギロチン】を続けてほしくない」と続けるものだとばかり思っていた。


「あの子は危なっかしいけど、大和と一緒にいて楽しそうだから、できればそばにいてあげて」

「そう言われてもなぁ……」


 生憎、咲弥とは引き離され、安否はおろか、生死すら分からない状況だ。

 そばにいてほしいと言われても叶わない、下っ端特有のか弱い身の上である。


「そんなことも言ってられないよ」

「……どういう意味?」

「頑張って目的に取り組んでいる時よりも、その後始末をしている時の方が大変だってこと」

「嫌なお告げしてくるなぁ……」


 夢の中だというのが特に。しっかり的中しそうな気配がプンプンしている。


「仕方ないよ。そういうものだもの」


 眉間に皺を刻む俺に、ふっと美月は頬をほころばせる。


「頑張ってね、大和。応援してるから」

「……ありがと」


 夢枕に立たれてまでそう言われては、覚悟を決めなければならない。なにがどうなろうと、幸い下っ端だ。後先気にしなくてもいい立場なのが利点だろう。

 そして既に、非日常へと足を踏み入れた身。後ずさりするほど臆病になるのは今更だった。


「それじゃあ私、そろそろいかなきゃ」

「うん。ありがとな、美月。覚悟が決まったよ」

「良かった。これは罪滅ぼしみたいなものだから」


 ――「――大和は、助けてくれなかったでしょ?」

 ――「でも、こうなったのは――大和のせい」


「私も、最期は大和に酷いこと言ったし」


 男が廃るとはよく言うが、俺はとうに彼氏として名が廃っている。愛する人のすぐそばにいながら、惨たらしい最期にさせてしまったからだ。

 今でも、あの凄惨な夜を思い出さない日はない。後悔にまみれた俺だからこそ、がむしゃらに刀を振るってこられたのだろうが、いつだってたらればを考えずにはいられなかった。


「……酷いのは、俺の方だ」


 ――俺がストーカーの害を軽く見ていなければ、美月がこんなふうにならずに済んだ。

 ――俺がキャンプに行こうなんて誘わなければ、美月がこんなふうにならずに済んだ。

 ――俺が強くて暴漢共から守れていれば、美月がこんなふうにならずに済んだ。


「俺が、美月の幸せを奪った……っ……!」


 堪えきれなくなった涙をこぼす俺を、美月はそっと抱き締める。みっともない。けれども今は、そのあたたかな抱擁ほうようが、なにより優しかった。優しさでせきを切られたように、涙が溢れ出てくる。


 やわらかな布の手触り、清潔なシャンプーの匂い、頬のぬくもり……。


「なら、約束」


 美月が半ば無理矢理、やわらかな指を絡めてくる。


「あの子……咲弥ちゃんを、守ってあげて」

「俺、どっちかっていうと、守られてる側なんだけどなぁ……」

「こういうのは心持ちが大事だから……ね?」


 そう小首を傾げられては、応じないわけにはいかない。

 グッと涙を手の甲で拭って、指を絡め返す。


「分かったよ」


 記憶からも忘却されたいつかしたような、子供じみた指切りげんまん。


「ゆーびきーりげーんまーん、嘘ついたら針千本飲ーます」


 嬉しそうな美月の声。浸る俺。

 今は遠く、はかなかすんでしまった幸せなひととき。


「ゆーびきった!」


 小指が離れる。

 その感覚が、別れの挨拶だった。


「じゃあね――大和」


 最後の言葉と共に、俺は目を覚ました。


 そんな運命的な朝、やきもきする祈りの日々がやっとのことで終わり――早々、俺は三条の家に呼び出された。


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