在りし日の思い出②



 ――だが残酷なことに、四年も経てば、人の心も変わる。


 否、あの時の怒りに任せた俺は、悲しいほどにあまりにも無知だった。

 【スワンプマン症候群エス】は心を病んだ人間が変貌した末路の怪物で、最早首を刎ねて始末しなければ止まらない暴走状態であることも、まるで知らなかった。


 なにより決定的だったのは、【エス】と化す原因りゆう――『病因』だ。


 生活に支障をきたすレベルで心を病んでいなければ、【エス】は発症しない……裏を返せば、【エス】として歪み果てるには、相応のなげきがそこにはある。

 つまるところ、暴漢に襲われた美月が、どれほどの恐怖と絶望に晒されたかを意味している……その『病因』が引き金となって現れたのが、苦痛すら快感に変わるほどの皮膚感覚の暴走という『変質』。健全な精神がみにくく濁るほどのストレスを浴びせられたと知れば、憤怒と慟哭、そしてありったけの殺意も、動揺と後悔で希釈される。


 ――後に残ったのは、哀れな男が一人だけ。


 言うまでもなく、俺の悲痛な叫びは、無知むち蒙昧もうまいであるがゆえの八つ当たりでしかなかった。

 それを臆面もなく年下の少女にぶつけたのだから、厚顔無恥もはなはだしい。


 それを酷く羞恥したわけではない。だが、人間が心を病んだ末に怪物と化すというおぞましい現実を知って尚、俺は日常に戻れるほど、心残りはとうになくなってしまっていた。


 ……愛していた美月がいた、愛すべき日常は、もうない。

 美月の存在は俺の過去、現在、そして未来へと食い込んでいた――かけがえのない恋人だった。すっかり忘れられるほど、俺の未練は薄くはなかった。


 そんな俺の行く末など、三十路の俺げんざいが物語っている。


 聞き及んでいた、『三条』の名前。表沙汰になっていない奇病……道標に辿れば、すぐに三条グループへと辿り着いた。 政財界では名の知られた大家。美月の事件も、表面上は暴行殺人事件として処理されたところから、握り潰して隠蔽いんぺいできるだけの力はあって当然である。


 そして事件時に渡された名刺から、俺は【ギロチン】へと至ったのだ。


 ――「三条さんじょう鷹虎たかとらだ」


 応じてくれたのは、品のいいスーツと撫でつけた髪が良く似合う、貫禄のある壮年の男性だった。


 ――「君はこれから、【ギロチン】というバケモノの首切り役人になろうとしている。当たり前の生活は失われるが……それでもいいのかい?」


 「構いません」――俺は即答した。


 既に俺は、日常あいとむらった身。残りカスがなにかを成せるなら、どれだけ暗い闇の底に落ちようが構わない。


 ――「紹介しよう。私の娘に当たる養女だ」


 そう思って、俺は死神の手を取った――のだが。


 ――「彼女が新しい君の相棒バディだ」


 【ギロチン】になってから三年後。

 そして、今から一年前。


 出会った。

 否、出会ってしまった。


 ――「


 お辞儀をすると、つややかな長い黒髪を飾る現代的なあかいリボンがくすくすと揺れる。


 あかいスカーフがたっぷりと優雅にリボン結びされた、気品溢れる黒のセーラー服。標準的なプリーツスカートに合わせるならばローファーだろうに、ワークブーツの濃い飴色が足元を彩っていた。

 まるで化け物退治をするべく、伝奇世界から飛び出してきたようないで立ちの少女だ。浮世離れした美しさが、尚のことそのような非常識じみた空想を引き寄せる。


 ――「これからよろしくお願いね。ヤマト」


 死神の手を取ったはずが、現れた悪魔は天使のような微笑みを浮かべていた。


 ――「約束どおり……ボクをちゃあーんと、殺してね?」


 握手で顔を寄せたほんの一瞬、成長して大人びた悪魔は舌なめずりをしながら、子供じみたチョコレートのように甘く囁いた。


 それが、巽大和おれ鬼頭咲弥あいつの再会だった。


 【ギロチン】などという日常をかなぐり捨てた愚か者は、【エス】事件関係者……特に親しい人間が被害者となった場合が大半。

 それは俺も、と知ったのは、まだ少し先のこと。


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