幹と枝と怪物④



「…………え、今なんて言ったの?」


 白い少女は尋ねる。

 可憐かんぺきを体現した自身の耳でも、聞き間違いはあるものだと思いながら、声の主に復唱を促す。


「わたしは、しにたい」


 しにたい――しにたいとは、「死にたい」という意味だろうか? 少女は小首を傾げる。


 日本語に慣れ親しんで久しいが、それでもいまだ細かな意味合いは取りこぼしてしまう。難しい言語だと思っているからこそ、勤勉な彼女は「どうして? アナタは今、人生の絶頂じゃなくて?」と尋ねた。


「『変質』を用いたアリバイ工作までして、憎かった兄を殺したたべたんだもの。いっそ、せいせいしたと思ったケド……」

「ちがった。ちがったんだ」


 少女は分からない。多少の差異は、何事にもあり得るだろう。玉瑕たまきずは万物が抱えているもの。それこそ、傷一つない自分以外にあると許容して当然のものだった。


「『羨ましかった』『頼られることに依存してた』『だから独り立ちしたくて』……最期に、そう、言って……ッ……!」


 だからなんなのだろう? 少女には、はなはだ理解に苦しむ些末事だった。

 疑問に思った矢先、驚くべきことに、弟はケーキを切っていた包丁を自らに突き立てた。


「が、ぐ……」


 しかし、痛みはあれど体はくずおれることを知らない。

 自身が人を喰う怪物と化したことも知らずに、やっと訪れた報いに目を白黒とさせる。


「なん、なんで……」

「アナタ、脳味噌がパンナコッタでできてるの?」


 ――もうちょっと遊べるおもしろいと思ったのに。


「まあイイわ。それならデザート代わりに味わうだけだし」

「え?」


 呆れ返っていたはずの少女が、舌なめずりをしているのを見ても尚、弟は己が愚かさに気づかずにいた。果たしてそれは、最期に訪れた幸せだったのか。なにもかも手遅れだった彼が、不幸せにまみれていたことに違いはないが。


「あーん」


 少女のたおやかな指が、青年の体をクリームのようにすくい取る。

 舐めしゃぶって味わいながら、ケーキのように丁寧に解体していった。


「あ……ア……」


 弟の哀れな脳髄を、あかいストロベリージャムがけがしていく。


 ――ドッペルゲンガーなど、実際は幻影でしかない。

 弟は怪物になるまで、兄が「人の上に立つ兄は理解者の弟がずっといてほしかった」などと思っていた弱い人間だと、理解できなかっただけ。幻影は鏡写しとなって、揺るぎない事実で命を貫く。えぐり、むさぼられる。


 弱肉強食――怪物は、より強い怪物に食い殺される。


「想定外だったケド、イイでしょう。やってくるだろう【ギロチン】の人に、ちょっとしたサプライズをしましょう。そのために使わせてもらうわ!」


 最期に聞こえたのは、そんな鈴を転がすような残虐非道。


「ああ、もっと面白いことはないのかしら!」


 枝は幹になれないし、幹は枝になれない。

 ただそれだけの話だった。


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