幹と枝と怪物③



 手土産を片手に、俺は御園宅へと向かっていた。


 選んだのはベルギーチョコレートのオムレット。デパ地下で適当に選んだものだが、花束のように華やかな見た目で結構人気らしい。

 他にもイチゴやら宇治抹茶やらと様々な種類があったが、後で咲弥が食べることを考えると、イチゴは除外だ。ならば好きなチョコレートの方がいいだろうと、宇治抹茶も除外された。


 ――「事件解決の進展がないと聞きます。図らずも一枚噛んでしまった身なので、お見舞いと言ってはなんですが、御園さんのうちにお伺いしたいと思いまして」


 草薙さん経由で『bl∞m*ブルーム』にかくかくしかじかと伝えれば、すぐに連絡と住所を教えてくれた。普通ならば、こうもスムーズにはいかなかっただろうが、今は事が事だ。そのうえ一枚噛んでいるのは事実なので、向こうも無下にしづらいのかもしれない。


「どうも、こんにちは」


 ……ほどなくして、玄関が開いた。


 招かれた俺は、促されるままにリビングへと通される。

 黙って座っているのも居心地が悪く、図らずも「あれからどうですか?」と声を発していた。


「うちに来てくれてから一週間経ちましたけど、目立った進展はないって伺ってますが」

「仰るとおりで……」


 御園枝郎は言葉少なに、お茶でも淹れてくるとキッチンへと引っ込んだ。


「ながら聞きで構わないんですけど、」


 結果を急ぐ俺は、大胆不敵に本題へと切り込む。


「ここで食べたんですか?」

「え?」

「兄貴を――御園幹也を」


 キッチンの影に隠れて、顔は見えない。

 「勝手な独り言なんで、別に無理して返答しなくてもいいですよ」と付け足せば、静寂は沈黙を選んだことが察せられた。


「見ましたよ、御園幹也――聖辺安慈の配信を」


 今時は便利なものだった。視聴者が配信の一部を切り抜いて動画投稿したり、ピンポイントでジャンプできるタイムスタンプがコメントされていたり、あるいはリアルタイムコメントを検索できるウェブサイトすら開設されていた。使いやすさユーザビリティに溢れているのも、Vtuberを愛好する人が続出する要因の一つに違いない。俺が一週間ばかりで膨大なアーカイブを追い駆けるのに苦労しなかったのは、そういう理由からだった。


 ……だが感想としては、「やはり」と言わざるを得ない。


 表面上は明朗快活な好青年だったが、見れば見るほど欠点が浮き彫りとなった。

 良く言えば歯に衣着せぬ物言い、悪く言えば口さがない。草薙さんと相談に応じた際、わずかに覚えた違和感は間違いではなかったのだ。


「弟の話題がままあったが、いつだって『自分が世話を焼いている』という旨のものばかりだった」


 ――「いやぁ、俺がいつも弟の世話してるみたいだっつーか」

 ――「アイツからルームシェア持ち掛けてきましたけど、家事はいつだって俺がやってるし、割に合わないなーって」

 ――「うーん、一人暮らしするべきなんかなぁ? あ、いや、弟が嫌いってわけじゃないけどさ」


「あなたは兄である御園幹也を、内心うとんでいたんじゃないですか?」


 時にはさげすみにまで到達した弟語りは火種となり、批判の的となって謝罪させられていたことすらあったらしい。毒舌と言えば聞こえはいいが、要は罵倒ばとうだ。好青年という印象は、あくまで第一印象でしかなかった。


「御園幹也はここ最近の配信で、一人暮らしを検討している旨を話していました。それをあなたが知らないとは考えづらい」

「…………」

「で、」


 返答はない。

 俺はそれにかこつけて畳みかける。


?」

「え……僕は御園枝郎で、」


 まず、この部屋を訪れた時からおかしかった。


 事前に来客を知らされていたとはいえ、端に見たゴミ箱は空っぽ。生憎の悪天候に、部屋干しの洗濯物も見当たらない。巧妙に隠しているのかもしれなかったが、それにしては生活感がなさすぎる。

 ちらりと覗き見た冷蔵庫の中ももぬけの殻だった。異様な雰囲気に、普段から【ギロチン】の仕事をして修羅場に耐性のある俺ですら、うっすらと吐き気を催したほどだ。


 逃亡犯の家みたいだという感想をギリギリで抱かなかったのは、カーペットやカーテンの彩りがあったからだ。

 しいて言うならば――


「なりすましの非人間さんに、今日がどんな日か教えてやるよ」


 そもそも、


「流れ込んだ寒波の影響で、時雨しぐれが雪に変わるような冬日だ――ンなTシャツ一枚で、悠々過ごせる陽気じゃないんだよ」


 部屋の主は、かれこれ十分余り茶の在り処を探して、迷い子のごとくキッチンを彷徨さまよっている。フードデリバリーに頼りきりの生活だったとして、あまりにも人間らしからぬ振る舞いだった。


 そして言うまでもなく、御園枝郎の一人称は『私』で、なんでもないように目線を合わせて話せるような相手ではない。


 ならば、


「もう一度問う――お前は、誰だ?」


 隠された三つ子かと見まごうほどにそっくりな、この男は一体何者なのか。


「……あーあ、」


 聞こえたのは、予想していたよりも甲高い声。


「こんなにも早くバレちゃうなんて、思ってなかったナー」


 不自然なアクセントを奏でながら、ずるり、と邪悪な脱皮が目の前で繰り広げられる。


の演技力がハリウッドレベルなら、こうもアッサリ見抜かれるコトもなかったんだろうケド、まあそういうコトもあるわよネ!」


 脱ぎ捨てられたのは、御園枝郎の外見そとみ

 着ぐるみ感覚で化けの皮を剥がした怪物は、可憐な少女の姿をしていた。


「中身は食べ終わってたからイイわ。許してあげる。フルーツだって、皮を剥いて食べるもの。残すのは気が引けるけど、マナーだと思うことにするわ」


 目を引くのは白銀の大きなツインテールだが、なにより異質だったのは、その服装だった。


「出会ってしまったんだもの。どうであれ、アイサツしないとネ――」


 光沢のあるリボンで飾った大ぶりの襟と、たっぷりとした袖が特徴的なトップス。薔薇の花束で作ったかのようなフリルで覆われたホットパンツは、腰から伸びる翼じみたスカートパーツで、舞台衣装もかくやという存在感を放っていた。そして華奢きゃしゃな脚は、サイハイソックスとガーターベルトで貞淑ていしゅくに守られている。


 貞淑――その腹部がトップス、ボトムス両方から守られておらず、剥き出しの状態でなければ、だが。


 俺ですら、ロリータファッションは少女性の華やかさと淑やかさを誇張しているものだと認識している。

 だというのに、目の前の少女はへそからみぞおち、背中までを露わにして、概念を真っ向から冒涜ぼうとくしていた。


「――こんにちはハロー! アタシはハル!」


 天使あくまが嬉々として名乗りを上げる。


「よろしくネ、素敵な【ギロチン】さん!」


 直感で理解できる……ハルと名乗った少女は、【エス】などという病人とは比べものにならないほどの、まごうことなき怪物なのだと。


「クソッ……!」

「あら、逃げるつもり?」


 しくった。分が悪すぎる。

 玄関へと後ずさる俺に、くすくすと鈴を転がすような笑みがこぼされる。


「男の子でも、怖かったら逃げたくなるものネ。仕方ないわ。でも……」


 一方的な鬼ごっこになるだけだと、ハルと名乗る少女はほくそ笑んだ次の瞬間。


「許してあーげないっ!」


 わずか一歩の踏み込みで俺に肉薄し、フルーツのようにひねり潰す――、


「ッ!!」


 ――かに思われた。


「合図が遅いのよ!」


 ずっと玄関前で待機していた咲弥が、ドアを開け放つと同時に飛び込み、槍のように構えた刀で剥き出しの腹部を捉える。


「がッ――!?」


 正面衝突した形となり、そのまま部屋奥まで突っ切って、窓際の壁にはりつけにされた。鮮やかな血飛沫が、殺風景な室内を彩る。


 だが、まだ終わらない。


「ヤマト! 早くッ!」

「分ぁってるよ!」


 【エス】狩りは、首を刎ねるまで終わらない。鉄則に従って、串刺しの少女へと、咲弥が用意してくれていた愛刀を手にきびすを返す。


 そして白くたおやかな首筋へと、さながら吸血鬼のごとくきばを突き立てる――!


「ちょっと」


 ギチ、と万力のような固定。


「丸腰の女の子に寄ってたかってやりたいホーダイとか、恥ずかしくないわけ?」


 


「ッ!?」


 普通、人が腹部を刺されれば、激痛と恐怖と混乱で思考がパンクする。

 だというのに、くだんの少女はまるで意に介さず、蚊でも止まったかのような軽さで俺の刀を握っていた。肉に食い込み、まったく動かない。


「嘘だろ……!?」


 こいつは、これまでの【エス】とは違う――恐怖が背筋を駆け上がった。


「ヤマト、そこ変わって!」


 咲弥の叱責で、戦慄の呪縛から解き放たれる。

 飛び退いた瞬間、腹部から引き抜いた刀を一切の躊躇ちゅうちょもなく、首の中心に突き立てようとして、


「もう! 酷い!」


 鋭い蹴りが、咲弥を紙のように吹き飛ばした。


「咲弥ッ!」

「サクヤちゃんっていうの? 酷いわ。暴力振るい慣れてるっていうか、アクマに魂売っちゃった感じ? そういう子、嫌いじゃないケド」

「……『しろいかみのおんなのこ』」


 壁に叩きつけられた際に口の中を切ったのか、血交じりの唾と共に、いつか聞いたそんな台詞を吐き捨てる。


「なん、だって……?」


 『しろいかみのおんなのこ』、片時も忘れたことはない最悪フレーズ


「アンタが、鳳美月を【エス】にした――ボクの……、【――犯人、原因、すべての元凶!」


 琥珀色の瞳が、爛々らんらんと鋭い輝きを帯びた。


「やっと、やっと見つけたわ――仇敵!」

「熱視線。ゾクゾクしちゃう」


 頬を火照ほてらせた白い人影は、「……けど、残念」という一言で、軽々と俺の刀を流して捨てる。


「アタシ、ケーキのイチゴは最後まで取っておくタイプなの。だから……」

「ガッ!?」

「また今度ネ」


 咲弥のついでだと言わんばかりに放り投げられ、叩きつけられた痛みに喘ぐ。


「逃げるな!! 待て!!」


 紙屑のように転がって来た俺など視界に入らない様子で、咲弥は必死に喉を絞った。


「お前はこのが――鬼頭咲弥が殺してやる!! 絶対に!!」


 憤怒と慟哭、そしてありったけの殺意を叩きつけて、その澄ました顔を歪ませてやりたいとさえ願う、いつかの自分に似た絶叫。取り繕うことを辞めた復讐鬼しょうじょの顔を、ハルを名乗る汚濁の白が捉える。


「あは、」


 目にしたのは、まるで安堵したかのような寂しげな微笑み――などではなく。


「あはァはははははははははははははははは――っ!!」


 まるで絶頂したかのような、下品で淫らな哄笑だった。


「――――」


 尾を引いていた悪魔の笑い声が、やっと遠ざかる。

 すべてが後の祭りとなった御園枝郎・幹也兄弟の部屋に残されたのは、かつて部屋の主だったモノだけだった。


 それが、ハルという仇敵アレと、取り逃がした形なしの猟犬二匹おれたちの邂逅だった。


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