幹と枝と怪物②



「本当に行くのかい?」

「なに悠長なこと言ってるんですか。事は一刻を争うんですよ」


 引き留める草薙さんを振り払い、俺は商売道具の入ったギターケースを携える。

 焦る気持ちから、ずれてもいない眼鏡を直した。


「大和くん」

「なんですか。止められても行きますよ、俺は」

「問いかけることの意味が分からない君じゃないだろう」

「…………っ」


 薬師寺葵が殺された――


 薬師寺葵が一人残された御園枝郎、もとい失踪したことになっている御園幹也を気にかけているのは、草薙さんも知っている。十中八九、クロだ。

 それでも引き留めるのは、いまだ御園枝郎のDNA解析結果が出ていないからだろう。ここで出れば、大目玉を食らうことは必須。とはいえ、前提で動かなければ、被害が一層拡大しかねない。


 そうして、玄関へと踏み出した俺の前に、咲弥が立ち塞がる。


「そこをどいてくれ」

「ヤマト、アンタ馬鹿なの?」

「今は口論してる場合じゃないと思うけどな」

「あら、リンドー・ヨシユキの時に一人で先走ってしくじったの、忘れたわけじゃないでしょうね?」

「ぐ……」


 痛いところを突かれると、言葉が出ない。独りで突っ走った先にあるのは、ゴールテープではなく棺桶だ。咲弥は「そういう時に言うべき、絶好の台詞があるわ」と、優雅につややかな髪をかき上げる。


「三つ指ついて、うやうやしくこうべを垂れて、媚びへつらってこう言うの――『お願いします。か弱きわたくしめに、力を貸してください』って」

「じゃあうまくいったら、この手土産やるよ」


 性格悪いサディスティックなことこのうえないが、そんな手にみすみす乗るほど、俺も単純ではない。年上みそじ舐めんな。


「この間、先に帰った時に『菓子の一つでも持参する』って言っただろ」

「ぐ……っ」


 形勢逆転。

 やはり痛いところを突かれると言葉が出ないのを見ると、こいつもきちんと人間なのだと実感を得る。


 咲弥は唇を尖らせて、ぐむぐむと顔に似合わない変な声を漏らしていた。しかしながら背に腹は代えられなかったのか、「……ハツネの高級紅茶も用意してくれるなら、許す」と、とうとう折れたのだった。


「咲弥ちゃんにそう言われたら、私が折れないわけにはいかないな」


 やり取りを微笑ましく眺めていた草薙さんが、くすくす笑う。


「いいんじゃないかな? 茶葉の利用も、私が許すよ」

「俺が淹れるより、お前が淹れた方が旨くなるんじゃねぇのか……?」

「それを言ったら、そんな二束三文のお菓子、ボクが好んで食べると思う?」


 まさしく正論さもありなん


「こういうのはね、雰囲気が大切なのよ」

「お前の【ギロチン】作業着も……雰囲気でか……?」

「ふふん」


 咲弥は、ない胸を張る。三条の家に同情を禁じ得ない。哀れ、雰囲気で湯水のごとく消費される、岩倉女学院の制服よ。二束三文のお菓子じゃないんだぞ。


 とはいえ、雰囲気は大切だ。それだけで自分も他人も騙せてしまう……俺達は御園枝郎の弱りきった様を見て、彼を被害者だと断じてしまった。

 なりすましを完璧にこなして見せた様からして、彼の『変質』は演技なのだろう。顔面や声帯の筋肉、その繊細な操作。


 演技フェイク

 あるいは、芝居。

 三文芝居レプリカ


 ならば、フェイクとしてコピーできないもの、形容できないものをぶつけてやればいい。俺と咲弥の関係性は、そうやすやすと言葉にできるものではないのだから。


 俺は、咲弥と肩を並べて、草薙さんに見送られていった。


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