幹と枝と怪物①



 ――「■■おまえは苦手だもんな」


 頭蓋の内側にこびりついて、振り払っても振り払っても、剥がれてくれない言葉がある。


 「勉強が苦手だもんな」「運動が苦手だもんな」「会話が苦手だもんな」……嫌というほど繰り返されてきた台詞せりふ。実際に事実、ではある。認めざるを得ないのが、はなはだ悲しいが。

 私は勉強も、運動も、会話も、なに一つ得意なことはなかった。それは事実だと認めざるを得ない。だが、その言葉は挑戦を阻む重石おもしとなって、私の動きを奪っていった。「苦手だもんな」と事実を突きつける言葉の数々は、「身の程を知れ」という血塗られた十字架だった。


 ――「なりたいんだ、Vtuberに」

 ――「……なんだって?」


 私は、彼になりたかった――勉強も、運動も、会話も、なにもかもが得意で、人気者だった彼に。


 ――「私みたいに会話が苦手な人もいると聞くから……だから、私も同じように色々な苦手な人にも勇気を与えられるような存在に、」

 ――「あのさぁ、それって本当に言ってるのか?」


 意を決して話を切り出した私に、冷ややかな視線が注がれる。怒りも垣間見える眼差しに、思わずたじろいだのを覚えている。


 ――「え」

 ――「自称コミュ障リップサービスって分からないか? じゃなきゃ人前で面白おかしく喋り続けるとか、無理に決まってるだろ」

 ――「でも、私は■■おまえみたいになりたくて……」

 ――「だから、それが無理だってこと、分かんないのかよ」


 大空を目指す必要はない。鳥籠の中で翼が腐り落ちるのを見ないようにしていればいい。安穏とした答え。停滞という選択。

 だが現実問題、それが一番安心できる。誰が? 私か。それとも彼か。どちらもか。


 ――「■■おまえは苦手だもんな」


 そうして彼は、いつもの決まり文句を告げる。

 か細い枝わたしが、たくましい幹かれになりたかった。ただそれだけの、単純な話。


 普段ならばそこで終わるはずのストーリーは、不可思議な続きがあった。


『なら、食べちゃえばいいのよ』


 夢見心地な、甘い言葉。

 とろけるような声色。

 迷える私にとって、まさしく天啓だった。


 そうだ、医食同源という言葉もある。

 治すためには努力も必要だが、なによりエネルギーを消費する。気力・体力がなければ、治るものも治らない。


『――いただきます』


 人間がエネルギーを補給する方法は、ただ一つ。


 それに、

 私はお腹がとても空いていた。


『ハッピーバースデイ トゥーユー♪』


 小鳥のさえずりのような歌が聞こえる。鈴を転がすような、愛らしい歌声だ。


『ハッピーバースデイ トゥーユー♪』


 私の手元には、真っ赤なイチゴがたっぷりと乗ったケーキがワンホール。

 食べるのに骨が折れそうだが、甘いものは疲れに効くという。空腹の私には、なによりのご馳走に見えた。


『ハッピーバースデイ ディア――♪』


 バースデーケーキはどうしてか、自分とそっくりのデコレーションをしていた。


『ディア……うーん、新しい名前、どんなものがいいかしら?』

『ドッペルゲンガーで、いいです』


 曰く、ドッペルゲンガーに出会うと、どのような道理か、死んでしまうらしい。

 ならばここで死んでしまったのは、私だったのか。彼だったのか。今や些末な問題だった。


『そう? なら――』


 生誕を祝福する歌は、軽やかに再開される。


『――ハッピーバースデイ ディア ドッペルゲンガー♪』


 か細い枝わたしが、たくましい幹かれになりたかったという話。

 だが枝は幹になれないし、幹は枝になれない。ただそれだけのシンプルな摂理はなしを、私は理解できずにいた。

 ただ一つ知っておくべきだった真実から、目を逸らし続けた。


『ハッピーバースデイ トゥーユー♪』


 胡乱うろんな私を嘲笑うように、天使あくまは高らかに歌う。

 歌声に乗せて、ケーキのぐじゅぐじゅとした咀嚼音だけが、いびつに響いていた。


『あなたのお腹こころが、満たされますように!』


 そんな日は、きっと来ない。

 ――確信を持って、私は思った。


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