向こう側より愛をこめて⑤



「……話を聞いて、余計気になることが増えた」


 コーヒーに口をつけながら、草薙さんは凛と呟く。


 本来であれば、来客に茶の一つでも振る舞うのが使用人として雇われた奴の責務だったのだろうが……俺まで話の輪に加わってしまえば、あとは【エス】絡みでないと興味を持たない咲弥だけだ。

 結局、出しそびれた紅茶は棚にしまわれ、代わりに草薙さんのオーダーでコーヒーが淹れられた。俺も余りものだが、ご相伴に預かる。


「彼が……御園幹也がどこに消えたか、だね」

「入れ替わりトリックとか?」


 咲弥は不謹慎だと釘を刺されたのを、すっかり忘却したらしく、楽しそうに声を弾ませる。


「実はあのミソノ・シロウがミキヤなのよ。だって双子らしいし。アイディアとしては定番でしょ?」

「お前なぁ……そりゃ娯楽作品ミステリーでの定番であって、現実のアリバイ工作の定番じゃないっての。つーか、あれが双子のどちらさんかだったとして、もう片方が綺麗さっぱりいなくなってるってところは、どう解決するんだ?」

「ちぇーっ」


 人目をはばからず唇を尖らせるその屈強さが、時折憎らしさを通り越して羨ましく思われてしまう。


「……というより、警察プロフェッショナルの捜査も難航してるっつーのに、俺達みたいな素人が安楽椅子探偵ごっこして、犯人なんて分かるものかね」


 悲しきかな、事実である。

 俺達はあくまで【ギロチン】であって、【エス】絡みでない事件には手も足も出ない。そもそも先の岩倉女学院の事件で、素人推理丸出しで大恥をかいたばかりだ。


 喉に小骨が刺さったような気持ちだが、ここは大人しく、捜査の進展を待つしか――。


「じゃあ……?」

「!」

「人一人なんて、始末するのにどうってことないと思うけど」


 思いがけない発想の転換に、俺は声が出なくなる。


「というか、これはもうただの行方不明事件じゃなくて、【エス】絡みでもおかしくない異常犯罪に片足突っ込んでると思うんだけど……ボク、間違ったこと言ってるかしら?」

「言ってない……言ってはいない、けどよ……」


 間違ったことは言っていない。外出した形跡のない中での失踪など、様相はミステリーの密室トリックに肉薄している。

 しかもそれが、【エス】による犯行だとすれば尚更だ。時間は相応にかかるだろうが、綺麗に食べれば、証拠隠滅にもなる。


 ……折角飲んだコーヒーが、心の底から不味くなる仮定だが。


「じゃあ、なにか? 恨みも買いやすいVtuber業に嫌気が差した兄が、【エス】を発症。弟を身代わりにして殺害、及び食事によって、証拠隠滅。弟になりすますことで、新たな人生を開始したって言いたいのか?」

「そうそう、そういうこと」

「……お前なぁ、それだって流石に無理があるわ」


 あくまで【エス】の『変質』は、超能力や魔法のような万能の力ではない。麟堂りんどう義行よしゆきの催眠会話然り、来栖くるす五百奈いおなの洗脳フェロモン然り、……鳳美月の過剰な皮膚感覚然り、五感などに代表される身体能力の延長線上にあるものだ。それがたとえ、見知った双子の弟だとしても、この現代日本において完全になりすませるわけがない。


 一時的ならいざ知らず、それまでの人生――記憶までもが同じなわけがないからだ。それは【ギロチン】である俺達が一番よく知っている。


 仮に、相手が人の記憶を脳の電気信号から読み取る『変質』持ちだったとして、そこから同一人物として演じ続けるのは至難の業だろう。ハリウッド俳優並みの演技力でもない限り不可能だ。


「――じゃあ、逆は?」

「逆?」

「ああ」


 あごに手をやった草薙さんが言う。


「――

「!」


 それは……あり得なくはない。

 今も御園枝郎本人であれば、事が済んだ後は普通に過ごせばいい。

 そう難しい話ではない……難しい話ではないのだが、返答の言葉に詰まる。


「失踪の時間をずらすなりすましも、Vtuberだから、配信といっても顔出しではない。SNSの投稿は定型文を少しいじれば問題ない。マネージャーと誹謗中傷に関するやり取りをしていたというのも、それまでのログを辿れば違和感の少ない文章をしたためられる。そして――」

「食べた、ってことね」


 自分好みの話に移り変わってきて嬉々とした咲弥が、舌なめずりをしながら起き上がった。


 そうして今に至る……不可能ではないだろう。食性の変わった【エス】といえど、己と同じ大きさの肉塊を瞬時に食べきれるわけではない。そういった『変質』の可能性もあるが、前述の方法で時間稼ぎをすれば、二、三日に分けて食べられる。

 ……よもや密室トリックが、人喰いのいる檻の中だとは。


「とはいえ、私が述べたのは、あくまで仮定でしかない」

「えぇー? ほとんど決まりみたいなものじゃない?」

「そんなわけがあるか。実際に普段の配信と休止直前の配信を見比べたわけでもなく、あの薬師寺葵というマネージャーから様子の変化も聞いたわけじゃない。まだ机上の空論だよ」

「えぇー」

「だがまあ、【エス】事件の可能性が浮上したとあっては、警察も静観はしていられないだろう。そう遠くないうちに、貴方達の出番だよ」


 おあずけを食らってソファに倒れ込んでいた咲弥は、バネ仕掛けのような俊敏さで「ぃいやったー!」と再び起き上がる。水を得た魚のごとき歓喜の雄叫びだが、相手が人殺しかもしれないとあっては、娯楽に騒ぐなと釘を刺してもいられない。


「ということで、私はこれから配信部屋を使うから、二人はもう仕事を終えてるから、ゆっくりしてるか、なにか用事があるなら早く帰っても構わないよ」


 そうして、草薙さんは「それじゃあ」と一言残すと、車椅子を滑らせていった。


「…………」


 閉まる扉の音を合図に、俺の頭の中では、一つの疑念が浮かび上がる――それは『病因』に関してだ。


 仮に御園枝郎が【エス】だとして、その『病因』がなんなのか。


 今時、生きづらさを抱えた人間はごまんといる。彼のように、人とコミュニケーションを取ることが苦手な人間は、特にそうだろう。

 だが本当に心療内科への通院歴があるような重篤な人間が、肉親を失った不安定な状態で犯人捜しの相談に駆り出されるだろうか?


 ……おそらく、マネージャーという人を管理する職業柄、そうとは考えづらい。

 ならば当人が自薦したと見て相違ないだろう。


 だとすれば、そこが鍵だ。


「……そうか、逆か」


 「じゃあ、逆は?」――先程発された草薙さんの声が、鮮明にリフレインする。


 逆なのだ。心療内科への通院歴がない――、【


 心は、一朝一夕では病まない。それこそ、美月のように凄惨な事件に巻き込まれて、外因的に心を壊されない限り。

 ならば病は、安堵するべき日常の中で彼をむしばんだに違いない。


 誰からもかえりみられることもなく、着実に、静かに、悪性腫瘍のように……。


「悪ぃ、俺も用事ができた」

「は?」


 半ば脱ぎ捨てるような形で白衣を片付け、荷物を引っ掴む俺を、咲弥がぽかんと目を丸くする。


「ちょっと確認することがあってな」

「え、なにそれ。ボクは放っぽっていくっての? 正気?」

「なにガキみてぇなこと言ってんだ。つーか、もう仕事は終わったんだから、後の時間をどう使おうと俺の勝手だろ」

「ぶー!」


 子供っぽいが、趣味が皆無(しいて言って【ギロチン】の仕事が趣味)の咲弥にしてみれば、俺という遊び相手がいないと暇で暇で仕方ないのだろう。

 しかしながら、生憎俺はこれから腰を据えて確かめなければならないことがある。環境の整ったここでもできなくはないが、咲弥の相手をしながらでは気が散ってしまう。


「んじゃ、悪いけどな。覚えてたら、次は菓子の一つでも持参するからよ」

「イチゴ入ってない奴なら、許す」

「はいはい」


 咲弥はまだねている。その後頭部のリボンがソファの背に隠れたのを尻目に、俺は退勤した。


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