向こう側より愛をこめて④



「改めまして……」


 小さく咳払いをして、妙齢の女性が手のひらで隣に座る青年を示した。


「こちらは、現在お騒がせしている聖辺安慈……本名・御園幹也の双子の弟です」

「どう、も」

「兄は知ってのとおり、配信業を営んでおりましたから饒舌でしたが、同居していた彼はあまり言葉数が多いほうではないようです。そして……」


 手のひらは舞い戻って、彼女の胸に。


「わたくしは、『bl∞m*ブルーム』プロダクションで聖辺安慈のマネージャーを務めております、薬師寺やくしじあおいと申します」


 頭を下げた薬師寺葵さんは、キャリアウーマンという印象にたがわず、お辞儀の角度といいアップで綺麗にまとめられた髪といい、きっちりとしている。社会人半人前の俺とはレベルが違うと、まざまざと見せつけられた気分だった。


「こうして久遠ヒバリさん……」

「ああ、本名の草薙でいいですよ」

「では……草薙さんの元に伺ったのは、御園幹也が外部と関わった最後の相手が貴方だったからです。犯人探しをしているようで、お気を悪くされてしまわれるかと思いましたが、丁重に出迎えてくださって、こちらも安心しました」

「そんな、気を悪くするだなんて……」


 無下に扱わないのは草薙さんの人徳ゆえだが、それだけではない。当たり前だが、草薙さんも御園幹也の安否を知って、ホッと胸を撫で下ろしたいのだろうと思う。


 それに草薙さんが車椅子ユーザーだったのを見ても、眉一つ動かさず挨拶してみせた薬師寺葵さんには、頭が上がらない。曲者揃いのVtuber業界でマネージャーをやっているのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが、俺には到底真似できないという意味では驚嘆に値した。


「先程、『同居していた』と弟さんのことをおっしゃられていましたけれど……」

「はい。いわゆるルームシェアですね。弊社所属Vtuberの多くは実家か一人暮らしですが、友人や兄弟とルームシェアしている例も珍しくありません」


 「そのため、失踪までの足跡そくせきも明らかになっています」との言葉に、御園枝郎さんも相違ないと首肯する。


「わたくし共の方では、こちらに相談をした日の夜に配信を、翌日にSNSの投稿と、わたくしへ誹謗中傷問題の進展を訪ねるメッセージを送っています。失踪は、その後」


 促され、「……私もウェブライターという仕事柄、テレワークが多く、家にいたため、直前まで一緒にいました」と台詞せりふが続く。


「そして……えっと……」

「?」

「ごめんなさい……すみません……」


 うつむき気味だった顔は蒼ざめ、冷や汗が伝うのすら見て取れた。


 身内、しかも同居していた実の兄弟が失踪したのだ。コミュニケーション能力に支障が生じても致し方あるまい。元から口下手だったとしても同じことだ。

 むしろ、平然を保って凛と対応している薬師寺葵さんの方が、逆に超人然としている。


「あの日も、直前まで一緒にいました」


 思案を巡らせているうちに心が整ったのか、御園枝郎さんからの説明が再開される。


「ちょ、『ちょっとコンビニに行ってくる』……それが、幹也の、最後の言葉でした」


 近所のコンビニに行くだけならば、所持品はスマホと財布が関の山だろう。なんならスマホを持っていかないことも往々にしてあり得る。ここに来て殺人と自殺の線が濃厚になってきて、俺は眉をひそめた。


「……しかし、そこまで判明しているというのに、捜査は難航しています」

「何故?」

「こちらのマンションと同じです。彼らが住まうマンションも、ミュージシャンや配信者の入居を想定して防音設備が整った環境です」

「……あ、」

「お気づきになられましたね?」


 草薙さんの住まうマンションは、オートロック完備だ――そんな防犯設備が整っているのだから、



 いわば、まともな形でマンションを出た形跡がないということだ。先日の藤原紫輝のような、例外的な行動でもしてない限り……だが、警察が近隣の防犯カメラを調べていないわけがない。それでも、影も形も映り込んでいなかったのだろう。


 ……段々、頭が痛くなってきた。


「早期に住人の犯行だと疑われ、調べられました」


 凛とした表情に、かげりが差す。それはもう、雄弁に語るよりも明らかな返答だった。


「収穫はなし、ね……」

「ええ。一時は御園枝郎さんの証言も嘘かとうたぐられ、必要以上の事情聴取も執り行われました」


 対人への必要以上な警戒もやむなしだ。経験がないため憶測でしかないが、胃が痛くなるような心持ちだっただろう。

 だがやっと、こうして二人が草薙さんの元を訪ねた理由が見えてきた。警察のわらをもすがる捜査も空振りに終わり、辿れる少ない糸……それが草薙さんここだったのだ。


「なにか……いえ、なんでもいいんです。なにかご存じのことがあれば……」

「私達こそ、突然の悲報に驚いている側です。なんなら私達も、どうしてそうなってしまったのか知りたいくらいで」


 沈痛な面持ちで、草薙さんは声を絞り出す。


「そう、ですか……」

「ただ、せめてもの情報ヒントになるなら、受けた相談内容を思い起こしてみますね。残念ながら録音はしていなかったので、完全ではないですが……」

「いえ、それでも構いません。ご協力、痛み入ります」

「大和くん、手伝ってくれるかな?」


 ――そうして記憶を辿りながら、あの日の再現が試みられた。


 緊急事態にそぐわない、安穏と気の抜けた内容がリフレイン。在りし日の記憶を想起させるようで、ちくりと心の端が痛んだ。


「――ありがとうございました」


 だがそれも、あくまで事件のあった日までに辿った、一つの軌跡に過ぎない。雲を掴むような心地だっただろうに、薬師寺葵さんは丁寧なお辞儀を一つ。


「今後、またなにか思い出すことがありましたら、『bl∞m*ブルーム』プロダクションにわたくしの名前を出してください。出来る限り応対します」

「こちらこそ、私達は部外者でしかないはずですが、色々と教えていただき、ありがとうございます」


 仮に悲報に狼狽うろたえるままだったならば、こうも協力を志す前向きな気持ちにはなれなかっただろう。感謝するべきなのは、むしろこちらなのかもしれない。


 草薙さんに並んで頭を下げた俺の視界に、にょっきりと手が現れる。

 節くれ立ってはいるが、力仕事を知らない、やわらかそうな手のひらだった。


「よろしく、お願いします」


 意を決したように手を差し伸べる、御園枝郎さんだった。


 ……彼こそ、一体どんな気持ちだろうか。半身のような相手を失って、日常が崩れ落ちたような心境は。

 きっと、俺における美月の時よりも、ずっと恐ろしく、生きた心地がしないはずだ。


「はい、勿論です」


 俺は

 御園枝郎の手を/■■■■の手を

 力強く/弱々しく

 握る。


「――――え?」

「どうか、しましたか?」

「いえ、なにも……」


 そんな間の悪い出来事を差し挟んで、薬師寺葵さんと御園枝郎さんは去っていった。


 俺の手に――奇妙な違和感を残して。


 ああ、そうか。

 


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