向こう側より愛をこめて④
「改めまして……」
小さく咳払いをして、妙齢の女性が手のひらで隣に座る青年を示した。
「こちらは、現在お騒がせしている聖辺安慈……本名・御園幹也の双子の弟です」
「どう、も」
「兄は知ってのとおり、配信業を営んでおりましたから饒舌でしたが、同居していた彼はあまり言葉数が多いほうではないようです。そして……」
手のひらは舞い戻って、彼女の胸に。
「わたくしは、『
頭を下げた薬師寺葵さんは、キャリアウーマンという印象に
「こうして久遠ヒバリさん……」
「ああ、本名の草薙でいいですよ」
「では……草薙さんの元に伺ったのは、御園幹也が外部と関わった最後の相手が貴方だったからです。犯人探しをしているようで、お気を悪くされてしまわれるかと思いましたが、丁重に出迎えてくださって、こちらも安心しました」
「そんな、気を悪くするだなんて……」
無下に扱わないのは草薙さんの人徳ゆえだが、それだけではない。当たり前だが、草薙さんも御園幹也の安否を知って、ホッと胸を撫で下ろしたいのだろうと思う。
それに草薙さんが車椅子ユーザーだったのを見ても、眉一つ動かさず挨拶してみせた薬師寺葵さんには、頭が上がらない。曲者揃いのVtuber業界でマネージャーをやっているのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが、俺には到底真似できないという意味では驚嘆に値した。
「先程、『同居していた』と弟さんのことをおっしゃられていましたけれど……」
「はい。いわゆるルームシェアですね。弊社所属Vtuberの多くは実家か一人暮らしですが、友人や兄弟とルームシェアしている例も珍しくありません」
「そのため、失踪までの
「わたくし共の方では、こちらに相談をした日の夜に配信を、翌日にSNSの投稿と、わたくしへ誹謗中傷問題の進展を訪ねるメッセージを送っています。失踪は、その後」
促され、「……私もウェブライターという仕事柄、テレワークが多く、家にいたため、直前まで一緒にいました」と
「そして……えっと……」
「?」
「ごめんなさい……すみません……」
身内、しかも同居していた実の兄弟が失踪したのだ。コミュニケーション能力に支障が生じても致し方あるまい。元から口下手だったとしても同じことだ。
むしろ、平然を保って凛と対応している薬師寺葵さんの方が、逆に超人然としている。
「あの日も、直前まで一緒にいました」
思案を巡らせているうちに心が整ったのか、御園枝郎さんからの説明が再開される。
「ちょ、『ちょっとコンビニに行ってくる』……それが、幹也の、最後の言葉でした」
近所のコンビニに行くだけならば、所持品はスマホと財布が関の山だろう。なんならスマホを持っていかないことも往々にしてあり得る。ここに来て殺人と自殺の線が濃厚になってきて、俺は眉をひそめた。
「……しかし、そこまで判明しているというのに、捜査は難航しています」
「何故?」
「こちらのマンションと同じです。彼らが住まうマンションも、ミュージシャンや配信者の入居を想定して防音設備が整った環境です」
「……あ、」
「お気づきになられましたね?」
草薙さんの住まうマンションは、オートロック完備だ――そんな防犯設備が整っているのだから、必然的に防犯カメラもある。
「玄関ホールの防犯カメラには、なにも映っていなかったんです」
いわば、まともな形でマンションを出た形跡がないということだ。先日の藤原紫輝のような、例外的な行動でもしてない限り……だが、警察が近隣の防犯カメラを調べていないわけがない。それでも、影も形も映り込んでいなかったのだろう。
……段々、頭が痛くなってきた。
「早期に住人の犯行だと疑われ、調べられました」
凛とした表情に、
「収穫はなし、ね……」
「ええ。一時は御園枝郎さんの証言も嘘かと
対人への必要以上な警戒もやむなしだ。経験がないため憶測でしかないが、胃が痛くなるような心持ちだっただろう。
だがやっと、こうして二人が草薙さんの元を訪ねた理由が見えてきた。警察の
「なにか……いえ、なんでもいいんです。なにかご存じのことがあれば……」
「私達こそ、突然の悲報に驚いている側です。なんなら私達も、どうしてそうなってしまったのか知りたいくらいで」
沈痛な面持ちで、草薙さんは声を絞り出す。
「そう、ですか……」
「ただ、せめてもの
「いえ、それでも構いません。ご協力、痛み入ります」
「大和くん、手伝ってくれるかな?」
――そうして記憶を辿りながら、あの日の再現が試みられた。
緊急事態にそぐわない、安穏と気の抜けた内容がリフレイン。在りし日の記憶を想起させるようで、ちくりと心の端が痛んだ。
「――ありがとうございました」
だがそれも、あくまで事件のあった日までに辿った、一つの軌跡に過ぎない。雲を掴むような心地だっただろうに、薬師寺葵さんは丁寧なお辞儀を一つ。
「今後、またなにか思い出すことがありましたら、『
「こちらこそ、私達は部外者でしかないはずですが、色々と教えていただき、ありがとうございます」
仮に悲報に
草薙さんに並んで頭を下げた俺の視界に、にょっきりと手が現れる。
節くれ立ってはいるが、力仕事を知らない、やわらかそうな手のひらだった。
「よろしく、お願いします」
意を決したように手を差し伸べる、御園枝郎さんだった。
……彼こそ、一体どんな気持ちだろうか。半身のような相手を失って、日常が崩れ落ちたような心境は。
きっと、俺における美月の時よりも、ずっと恐ろしく、生きた心地がしないはずだ。
「はい、勿論です」
俺は
御園枝郎の手を/■■■■の手を
力強く/弱々しく
握る。
「――――え?」
「どうか、しましたか?」
「いえ、なにも……」
そんな間の悪い出来事を差し挟んで、薬師寺葵さんと御園枝郎さんは去っていった。
俺の手に――奇妙な違和感を残して。
ああ、そうか。
死んだ美月の残された体、その手を泣きながら握った時と同じ感触だったからか。
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