事の起こり②



 咲弥の話では、概要はこうだ。


 ――先日、学校の屋上から飛び降り自殺をした女子生徒がいたらしい。

 それだけでも相当な悲劇だが、自殺は十代の死因一位二位を争う多さである。残念なことに、病んだこの国では決して奇異な現象ではない。

 悲しまれるのは、その瞬間だけ。薄情なわけではなく、受験だ就職だ人間関係だと社会に出る前から人に揉まれる若人にとって、悲しむのにすら時間効率タイパが求められるというのが、塩辛い現実なのだ。


 だが――悲劇はなしは、そこで終わらなかった。


 女子生徒の葬儀には、クラスメイトも参列していた。通夜は粛々と執り行われ、追悼する静謐な空気が秩序となって場を満たしていた。

 その最中、調和を粉々に砕いたのが、あろうことか女子生徒の母親だった。


 『クラスに吸血鬼がいる。私は人間のまま死にたい』――それは遺書ではなく、告発文と呼ぶべきもの。


 しかし、吸血鬼などという非現実的な言葉がまともに受け取られるわけもなく、思春期特有の詩的な文章だと扱われた。そのうえ通夜も終わってしまえば、生者と死者を繋ぐものは次第に薄れていく。既に終わったこととしてクラスメイト達も捉えているらしい。


「……でも、ボクはそうは思わないわ」

「して、その理由は?」

「勘かしら」

「勘かよ」

「というのは冗談で、ボクがそのクラスメイトの一員だから思ったんだけど」

「オイ」

「じょーだんじょーだん!」


 なにそんな重要情報を伏せてんだこいつ。ぺろっと舌を出した顔は可愛らしいが、メイドとしては失格だろう。


 俺と同じように、咲弥もまた草薙さんに使用人として雇われている。反発して白衣を羽織っている俺とは異なり、咲弥にそのような反骨精神はなかったのか、メイド服を着用している。こうして静かに窓拭きをしていれば、楚々とした使用人に見えるのがなんかずるかった。


「まあでも、【エス】の存在に確証はないのはホント。だって見たわけじゃないもの」

「やっぱ勘じゃねぇか」

「それは否定しない。けど……だからって普通、『吸血鬼』なんて表現は使わないでしょ」


 もっともな直感に、俺は言葉を返せず口をつぐむ。


 『鬼』ならばまだ分かる。道徳に反した加害者を、『人でなし』だと侮蔑する意味合いが含まれるからだ。だが『吸血鬼』となると話は別だ。文字通り、『血を吸うひとでなし』。

 そんな非現実的な形容、実際に血を吸ったところでも目撃しなければ――、


「血を吸ったところを目撃したから、被害者は殺された?」


 【エス】は膨大なカロリーを要する。タンパク源たる人の生き血など、絶好のエナジードリンクだろう。だが咲弥は「いえ、」と否定する。


「自他問わず殺される危険性があったから、免れるべく先んじて……かもしれないわ。いずれにせよ、遅かれ早かれ死が彼女を呑み込んでいたのは、確かかもしれないけれど」


 遺書というよりも告発文、告発文というよりも警句のようだ……と思うのは、俺達が【エス】という埒外の存在をよく知っているからだろう。クラスメイトや自殺に第三者の関与がないか調べている警察ら認知していない人々には、被害者の決死の叫びは届かない。

 だが、真実を知る者達には執行猶予の宣告となって、心を大いに揺さぶったに違いない。どこからか秘密が漏れ出て、あまつさえ口封じが不発に終わったという。


「それと、葬儀に立ち会ったから分かった……ボクを見て、眉をひそめるような、煙たがるような空気が充満してるのが。線香の匂いがキツいと感じてたのかもしれないけど」


 だから麟堂義行の時に遅れてきたのか……と思うのと同時に、そんな針のむしろのような場所から脱出する口述になったのならば、死にかけたことも清算チャラにでき……るわけではないのだが。


「ボクの学校――岩倉いわくら女学院は、中高一貫の女子校でね。エスカレーター式の中学入学組と、高校入学組で大きく分かれてるの。学校全体だけじゃなく、クラス単位でもそんな感じにグループがあるわ」


 窓にはぁーっと息を吹きかけると、白魚のような指先がたおやかに縦線を一本引く。区分けの仕切り。

 左が中学入学組で、右が高校入学組。


「言ったとおり、中学入学組はエスカレーター式だから、それなりにいいとこのお嬢様が多くいる。被害者の遠野とおの綿花めんかもそう。その小学校時代からの幼馴染らしい、リーダー格の墨染すみぞめかおるなんかが最たる例かな。有名な医者の家系で、学校に多額の資金援助もしてるとかなんとか」


 左側に二人の名前が書かれて、遠野綿花にだけ丸がつけられる。快くはない、被害者の目印。


「んで、成績は良かったけれど家柄はごく普通なのが、高校入学組。リーダー格というか、一番目立ってるのは織田おだ澪子みおこかも。見た目も派手だから黒い噂が尽きなくて、中学入学組からは白い目で見られてるわ」


 黒いんだか白いんだか、若さに関係なく、人間とは分からないものだ。

 続いて右側に、織田澪子の名前が書き加えられる。


「……正直、個人的な交流まで漁ったら、キリがないと思う。だけど、クラス全体を取り巻く空気そのものまで支配するとなると、相応な人望や注目を集めてる人間じゃないと難しいんじゃないかしら」

「お前はどっちなんだ?」

「ボク?」


 グループを分かつ線の真下、まるっきり外れた場所に鬼頭咲弥と書き込まれる。


「ボクはここ」

「おい、笑えない冗談もほどほどにしろよ」

「流石にこれは冗談じゃないわよ。客観的に見て、爪弾き者だってこと。というか、三条の家から来てるのに名字が違うとか、『まともな奴じゃない』って物語ってるようなものじゃない」


 まともな奴じゃない――人でなし。


 三条とは、草薙初音の父方の名字だ。雇い主でもある草薙さんは半ば勘当された身ではあるが、里子として迎え入れられた咲弥を介して繋がりがある。というより、草薙さんを雇い主として仕事をするべく里子として迎え入れられた……というのが正しいのだが、それはまた別の話。


「あと、良くないのが名字かしら」

「あー……」

「クラスメイトの何割が事件に関わってるのかは分からないけれど、『頑張ればスケープゴートにできるかもしれない』……なんて空気が漂っていたわ」


 鬼のかしらと書くのだ。咲弥を生贄の羊にすれば、神の目けいさつも黙って見過ごしてくれるかもしれない。それがクラスメイトの心境なのだとすれば、反吐が出ることこのうえないが。


「流石に先生方も、マズい雰囲気なのを感じてくれてね。嘘の体調不良を理由に、早々に帰ってきたってわけ」


 名前を書いていた窓を拭うと、かくして使用人業務に打ち込んでいるのだと見せつけるように、メイド服をつまみ上げてくるりとステップを踏む。


 元々結ばれているもみあげはそのままだが、普段は腰まで届く長い黒髪も、きちんとまとめてシニヨンキャップにしまわれている。かがんでの作業もしやすいよう、膝下丈に調節されているエプロンとワンピースは実にシンプル。曰く、ヴィクトリアンメイドという古いタイプのものらしい。フリルも最小限に留められているが、だからこそより咲弥の見目麗しさを引き立てていた。悔しいが、草薙さんの趣味は最高にして最低ということになる。未成年になにやらせとんのじゃ。


 当の咲弥は別段気にしている様子もなく、「さてさて!」と手を打った。


「司令官のハツネを除いて作戦会議しても意味ないから、掃除、終わらせちゃいましょ!」

「……まあ、それもそうだな」


 【ギロチン】は、自発的なボランティアではない。純然たる業務内容である。仕事は効率よく、がどこの世界でも常識だ。

 吸血鬼の生業しごとでも同じか……までは分からないが、それは余計な妄想だろう。脳味噌にまで贅肉をつける趣味はないのだから。


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