起きて見る悪夢②



 ――鬼頭きとう咲弥さくやは夢を見ないかもしれないが、たつみ大和やまとは例外ではない。

 睡魔に誘惑されれば、抗うすべを持たないので当然だ。シンプルでイージーな答えである。


 夢の中で、俺は寝ていた。だが夢の中で夢を見る道理もなく、見覚えのあるベッドに体を横たえていただけだ。


 いつもの風景。いつもの寝姿。

 だがただ一つ、異なっている点がある――俺を見下ろすように、女がまたがっている。


 一糸まとわぬ裸体は、色という概念も知らぬ無知むち蒙昧もうまい。およそ、この世の者ではなかった。

 なにせ、眼鏡をかけていない俺の目に、しかと輪郭が映っていたのだから。窓から差し込む月の光を集めたヴェールを被り、黒くつややかな髪ですらほの白く輝いて見えた。


 生活感のある部屋の中で、女だけが異質かつ幻想の存在だった。


「ねえ、やまと」


 清い月は、ふしだらに吐息を漏らす。


「――――」


 俺は、それを無感動に見つめている。


「わたしはやまとをあいしてる」


 清純かつ淫蕩の化身が、木偶でくの坊の俺へと腕を絡める。足を戒める。そうして全身あますところなく、四肢で包み込まれる。閉じ込められる。それは檻か絆に似ていた。


 俺は、彼女から逃れられない。逃げても逃げても、きっと追いつかれて捕まえられる。そもそも逃れる気がないのだから、妄想は無意味に堕ちる。


「わたしを犯して愛して。わたしを穢して愛して。わたしを刺して愛して。わたしを騙して愛して。わたしを害して愛して。わたしを壊して愛して。わたしを潰して愛して。わたしを崩して愛して。わたしを罰して愛して

「それは、できない」

「……どうして?」

「その席は、もう埋まってるから」


 言い訳に過ぎない。既に空席のそこを、俺は後生大事に保ち続けている。虚空こくうを愛するなど、愚者以下の行いだと知りながら。


「ならせめて、」


 月の重力は地球の六分の一だと、どこかで聞いたことがある。だが月そのものの重さとなれば、そう軽んじてもいられない。

 月の表層かおは軽くとも、中身こころは致死の質量だ。惑星と人では、天秤が釣り合わない。


「やまとを犯したい愛したい。やまとを穢したい愛したい。やまとを刺したい愛したい。やまとを騙したい愛したい。やまとを害したい愛したい。やまとを壊したい愛したい。やまとを潰したい愛したい。やまとを崩したい愛したい。やまとを罰したい愛したい


 ……ああ、

 仮に彼女を受け入れれば、俺は人間ではなくなるだろう。


「やまと、わたしを――」


 漠然と確信を得たところで、この悪夢は泡沫うたかたとなって唐突にエンドロールを迎えた。


「――愛して?嫌って!


 最後の台詞は聞かないフリをして、意識は現実へと浮上していった。


 月が満ちて欠けゆくように、人の心も移ろうものだ。豊穣の神が死の神と近しくあるように、俺にとっての死が蠱惑的に美しかったという単純な話。

 それは誰に話すでもない、無価値で恥ずべき夢物語フェアリーテールだった。


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