堕天使③



 咲弥は奇跡的に回復した……というのは語弊がある。

 現状、発症する気配がないと言うべきだ。いまだに気は抜けない。それは、これからの身の振り方にも言えた。


「心苦しいけれど、今一歩でも外に出れば、張り込んでるであろう三条の手の者が気づかないわけがない。見つかれば……あとは分かるね?」

「はいはい。言われなくても分かってるわよ」


 釘を刺す草薙さんに、咲弥はいつもの調子で舌を出す。


三条あっちにしてみれば、ボクは発症している【エス】となんら変わりないって」


 奇跡のような均衡は、半歩たがうだけで崩壊する。俺は眉をひそめずにはいられなかった。


「けれど――立ち止まってもいられないのだって、同じでしょ?」


 張り込んでいるのは、三条の手の者だけではない――『しろいかみのおんなのこ』であるハルだって同じだろう。咲弥が同類【エス】となって姉とシスターの関係が結実するのを、今か今かと待っている。

 果実が熟れて落ちるのを、舌なめずりしながら待つ……けだもののように。


 ……そんなクソったれな暴挙、誰が許すか。


「まず考えるべきは、ハルとかいうあいつの攻略法だな」

「基本は、普通の【エス】と変わらないと思うわ。首を刎ねてまで活動できるとは思えない。でも、ボクらが愛用してる日本刀じゃあ、やっぱり限界があったわね」


 慣れはあっても、俺達は剣客ではない。アスリートとアマチュアの歴然とした差が、そこには横たわっている。絶対的な力が必要だった。


「防がれるなら、隙を作るしかない」


 草薙さんの無茶振り発言も、しかし的を射ている。

 相手が不老不死ではない以上、首を刎ねれば勝敗は決することに違いはない。吸血鬼退治よろしく、銀の弾丸を用意しなければならないとかではないのが救いだが。


「……骨が折れるな」


 そもそも、【ギロチン】の仕事は容易たやすくない。それに輪をかけて手間暇がかかるとあれば、辟易へきえきを禁じ得なかった。


「隙はさておき、首を刎ねるに足るものはロッカーに入っているよ」


 あごで指し示す草薙さんの視線も尖っている。

 普段は穏便に事を済ませることが多い彼女も、随分とご立腹の様子だ。とはいえ、身内が毒牙にかけられては、黙って見過ごすことなどできなくて当然なのだろう。


「あとは隙、か……」


 ハルの優位性は、その単純明快にして驚異的な身体能力だ。人間らしい痛覚への忌避も薄く、他の【エス】のような隙は作りづらい。【エス】になってからどれほどの時が経過しているのかは分からないが、普通の【エス】よりもひと回り、ふた回り強大な脅威だと思われる。

 剣客アスリートならいざ知らず、シンプルな力比べでは対等に渡れない以上、絶対的な隙を作る他ない。


「それもなんとかなるわ。ちょっと俗っぽい方法だけどね」


 一番の憂慮を、舌を出す咲弥はきっぱりと言ってみせる。


「俗っぽいだろうがなんだろうが、あるならそれに頼らせろ」

「いいわ。心のアキレス腱は――ボクが断つ」


 因縁の清算、といったところか。だが任せられるならば、それに越したことはない。

 俺も自らの手で美月の仇を討ちたいのは山々だったが、それよりも確実性の方が勝る。


 絶対に仕留める――万感の思いを込めて、俺は咲弥へとうなずいた。


「なら二手に分かれよう。私は、二人が決戦の舞台に行けるまでの時間稼ぎを。それと……」


 草薙さんは咲弥へと近づくと、「ちょっとかがんで」と一つ注文。


「願掛けとか餞別せんべつじゃないけどさ、咲弥ちゃんにはこれを」


 後ろ髪を飾ったのは、咲弥がいつも身に着けているあかいリボンの髪飾りだった。


「大切なものだろう?」

「ハツネ……」


 眠り続ける咲弥を気にかけて外されていたものだったが、このたび元のさやに収まったというわけだ。


 ……いつだったか、咲弥から明かされたことがある。両親からの宝物プレゼントだと。だから過酷な【ギロチン】の仕事中でも、肌身離さず髪を飾っていた。


「さてさて! しんみりし続けるのは後に回そう」


 発破をかけるように、草薙さんは咲弥の柔肌の両頬をぱちんと叩く。


「私はひと芝居打とうじゃないか。Vtuberらしく、声の演技には自信があるのでね」


 自信に満ちたウインクは、このうえなく頼もしい。

 指でつつかれた『それ』を見て、俺と咲弥は意を察し、身支度を整えた。咲弥は今回の戦闘装束へと着替え、俺は白衣を脱ぎ、ロッカーの中にあった新たなる武器を、咲弥のスクールバッグへと収める。日本刀専用だったギターケースには、『それ』は収まりが悪かった。


 支度を整えたそれを担ぎ上げたところで、草薙さんが固定電話の受話器を握る――それが火蓋の落ちる合図となった。


「もしもし、叔父さん……いや、三条鷹虎さん」


 応じる声を聞き届けるより先に、俺達は事務所を後にした。


「緊急の連絡ですよ。やはり大和くんが咲弥ちゃんを保護していたらしい。部下から連絡は? 用意周到な貴方のことだ、張り込んでいたんじゃないですか? ……やっぱり、来ていないか。マンションの使われていない空き部屋に隠していたみたいでね。これから逃げるとしたら、海を渡って県外に逃れるはずだ――」


 ――俺達にとって、運命を決する戦いが始まろうとしていた。


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