陶酔と狂乱③



 藤原紫貴の蛮行ばんこうは、謎が残るものだった。

 動機の不可解ぶりは言うまでもなく、警察に連行された後は実に令嬢よろしくしおらしくしているという――だがそれだけではない。草薙宅を特定した方法までもが不明瞭なのだ。


 確かに、学校へは草薙さんに関して知らせてある……知らせてあるだけだ。あくまで保護者は三条の家。ここにいるなど知る由もないだろう。

 ――深まった謎は、解かなければならない。


「でっか……」


 ということで、俺と咲弥は草薙さんの使いとして、藤原紫貴の先輩に当たる織田澪子の家を訪問していた。


 学力にものを言わせた高校進学組と聞いていたので、勝手に一般的な中流家庭を想像していたが……ものの見事に裏切られた形となった。

 なにせ、縦にも横にもデカい。邸宅は、デパ地下でしか買えない高級洋菓子詰め合わせを、縦横無尽に積み重ねたように見えた。

 名門学校に進学できるだけの成績を備えているということは、それだけ勉学に注げる財力があることに他ならない。当人の資質も無視できないが、岩倉女学院の生徒と聞いていたのだから、これくらい予期できなかった俺の非が大きい。


「そう? 三条本家の方が大きいと思うけど」

「山一個と比べんな」


 とはいえ、さもありなん。今更この程度でビビってはいられない。

 ……遠野綿花の自殺から、織田澪子は欠席を続けている。

 ショックを受けたがゆえの体調不良と学校には説明されているらしいが、実態は疑わしい。咲弥曰く、あの告発文を耳にしてからだというのだから、おそらくは仮病だろう。


 いや……ある意味では、あながち嘘でもない。

 病が外からやって来るものか、内からやって来るものか、という話なだけで。


 ――「織田澪子さんと同じクラスの鬼頭咲弥です。プリントを届けに来ました」

 ――「ああ、こちらは私の兄です。ほら、おうちの方もお聞きしていませんか? うちのクラスは吸血鬼騒ぎとかで……だから不安で、一緒に来てもらったんです」


 といった具合に、俺はうやうやしくお辞儀をするだけでスムーズに訪問することができた。嘘も方便である。弁舌まで草薙さんに似てきた気がするのは、決して錯覚ではないだろう。


 そうして織田澪子の部屋に通されたが、これまた外観は見掛け倒しではなかったのだと物語る、豪奢ごうしゃ極まりないものだった。

 ベッドルームとプライベートスペースが同居したかのような部屋で、全容は仕切られたカーテンで把握できない。だがざっと見ても、草薙さんの事務所を移築しても問題なさそうなくらいの規模はあると思われた。


 だからこそ、洒落たアロマディフューザーが寂しく捨て置かれている状態が……妙に気にかかった。


「織田澪子さん。伺っていると思いますが、鬼頭咲弥です」


 使いの者が先んじて話しかけていたが、答える声は蚊の鳴くようにか細く、カーテンに阻まれた俺達にはただの音としか聞こえなかった――それは、咲弥が話しかけても同じことだった。


「ここまで通してくれたということは、相応に信用してくださっているということでしょうか。まあ、信用してくださっていなくてもいいですけど」


 猫かぶりなのか、それともクラスメイトと相対する時の外ヅラなのか、敬語は崩さない。なんなら一人称もボクから私に変わっており、どうにもそれが馴染まなくてムズムズした。


「藤原紫貴さんが私の元を訪ねてきました――刃物を携えて」

「――――っ」

「なにか、思うところがおありのようですね?」


 カーテンの奥で明確に空気が震えたのをみすみす見逃さず、咲弥は追撃をかける。


「あ……あなたには関係ないでしょ……!」

「関係ありますよ。だって同じクラスメイト、仲間じゃないですか」

「あの方に目をかけてもらえなかったくせに! 今更のこのこと……!」

「『あの方』――それがくだんの吸血鬼さんですね」

「っ」


 有無を言わさぬ尋問は、蜘蛛か蛇を思わせた。


「吸血鬼さんは、誰ですか?」

「あははは――あははは!」


 堪えきれなかったと言わんばかりの嘲笑が、空虚な部屋を満たす。


「可哀想。あなたは『あの方』に目をかけてもらえなかったばっかりか、『あの方』がもたらす至上の法悦さえも知らない。自慰も知らない生娘みたい、あははは!」

「…………」

「わたしは、あなたとは違う。外のうるさい連中がいなくなったら、またあの喜びを与えてもらえる。それまで、さなぎになったみたいに静かに過ごすの。蝶になる日を夢見て。そしたら永遠に若く、永遠に美しく、永遠に過ごせる楽園を貰え――――!」


 カーテンが開かれた。

 他ならない、咲弥の手によって。


「なるほどね」


 耳障りな嘲笑も無視して、つかつかと歩み寄っていたのも、ハイになってまくしたてていた織田澪子は気づかなかったらしい。こちらとあちらを隔てる壁を取り払われて、愕然と硬直していた。


 少女趣味なパジャマや、化粧を落としたあどけない面立ちなど、今はどうでもいい。

 問題は――当て放たれた直後に発せられた、藤原紫貴と同じ濃密な匂いだ。


「ヤマト、吸血鬼の『変質』が分かったわ」


 被っていた猫をかなぐり捨てて、咲弥は俺に言う。


「匂いによる魅了……要はフェロモンって奴。『変質』しているのは汗腺で、襲撃を補佐したことも考えれば、間違いなく『全身変質』タイプね」


 フェロモン。簡単に言えば、体内で生成された後、体外に分泌、別個体に受容され、なんらかの影響を及ぼす物質のことだ。


「……どうして自殺者が出るまで発覚が遅れたのか、これでハッキリしたな」


 『変質』がどのタイミングで発生したかにもよるが、岩倉女学院に通っているような身分で、日々の食事に困るようなことはないはず。『変質』によってフェロモンを手に入れてからは、至極簡単。織田澪子、藤原紫貴……彼女達を魅了し、ごく少量ずつ捕食、もとい血を吸っていたのだ。


「女の園が笑えるわ。蜜滴る花をむさぼる女王蜂がいたんだから」


 学校という閉ざされた箱庭の中、慎重に行えばうまくいく。そしてフェロモンに快楽物質が含まれていれば、口封じも兼ねられるだろう。


「もう一度問うわ――」


 ガタガタと恐怖におののく織田澪子に、咲弥は追い打ちをかける。


「――誰が吸血鬼なの?」


 その姿は、まさしく本物の鬼のよう。


「い、言えない……っ!」

「言えるんじゃないかしら」

「!」


 ひと際大きく肩を震わせる様は、言外に「言える」と白状しているようなものだった。


「藤原紫貴は、自身が不利益をこうむるのもお構いなく、刃物を持って乗り込んできた。それほどの強硬手段に誘導できる強力なフェロモンなのに――ただ一人、逆らえたと思われる人物がいるわ」


 ――そう、自殺した遠野綿花だ。


「なんでだと思う? ……フェロモンによる洗脳も完璧じゃない、ということよ」


 遠野綿花は特例だった。そして特例には、必ず理由がある――仕事で防音室を使うため、俺に掃除除外の特例を言ってきた、草薙さんのように。


「遠野綿花がこの特例かは分からないけど、一つ仮定があるわ」


 よ、と指を一本立てた咲弥は言った。


「百年の恋も冷めるとは言うけど、薬だって効果は永遠じゃない。特に、何日も学校にいかず、ここに引きこもってるアンタに、フェロモンの効果が残留しているとは思えないわね」

「…………っ」

「さてさて! ここで一つ、クイズでーっす!」


 言葉を詰まらせる織田澪子を、咲弥は更に追及する。


「かけた洗脳が解けていると気づいた吸血鬼さんが、アンタに辿り着くのは……あと何日でしょうか?」

「は、」

「もうそろそろ、仮病でごまかすのも限界がくるでしょうね。たとえキミが吸血鬼に心酔しているとしても、洗脳で統率を図るような相手が、大人しく信じてくれるとは思えないわ」


 カーテンの境界を越え、ベッドへとにじり寄る。


「そしたら……いつまで時間稼ぎできるかしら?」

「ひっ!」


 そのまま退路を失って逃げ腰になった織田澪子を、壁際へと追い詰めた。


「明日?」


 右脇、


「明後日?」


 左脇、


「もしかすると、もう……そこまで来てるかもしれないわね」


 腕は柱、髪は天蓋。

 聖堂となって、無力な少女を恐怖おりに閉じ込める。


「聞いてないかしら? 吸血鬼は、藤原紫貴をまともな足場のないマンションの三階まで連れて行ったって。それぐらいの腕力があったら、両手にすっぽり収まるキミの首なんて、花みたいに手折たおれるかもしれないわね――こんなふうに」


 咲弥は少女の細い首筋に手を添える。決して力は入れず、ひたりと。しかし秋風で冷えた手のひらは、ナイフのように命を奪う温度だろう。爛々らんらんとぎらつく金色の瞳に魅入られて、はりつけにされる気持ちやいかに。


 触らぬ神に祟りなし――否、触らぬに祟りなし。

 病で生じた吸血鬼などまがい物だと言わんばかりに、本物の鬼がそこにいた。


「――――いい加減にしろお前」

「あいだっ!?」


 笑止千万。そんなものなどいやしない。

 ここにいるのは、鬼頭咲弥。ただちょっと頭のおかしい少女だけだ。


「だからって殴ることはないじゃない!」

「身内がクラスメイト恐喝してるのを見過ごすほど、俺も根が腐っちゃいないんでね……おら、帰るぞ。用は済んだだろ」


 既に毒気を抜かれたのか、引きずる咲弥はといえば、ぶつくさ文句を垂れている。

 曰く、女子高生の頭を問答無用でブッ叩く三十路男とか、論外よ論外。世が世なら、死刑ね絶対。

 曰く、こんなにも恐ろしい蛮行に及ぶ奴は、絶対に人間ではないわ。何色の血かしら。お前にだけは絶ッッッ対に言われたくない。


「ま……待って!」


 そんな俺達を引き留める声があった――他でもない、織田澪子だ。


「話す、話すから……吸血鬼の正体を……」

「……本当か?」


 疑念からではなく、耳を疑って聞き返してみれば、必死にうなずく誠実さがそこにはあった。先程までのことを思えば、嘘を吐く胆力があるのは疑わしい。


 そうして聞いた名前に、俺は首を傾げ、咲弥はニマニマと人の悪い笑みを浮かべ――俺達の吸血鬼探しは、最終局面を迎えることとなった。


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