第三章『堕天使』

在りし日の思い出



 ――むかしむかし、あるところに、幸福な家族がおりました。


 父親と母親、そしてとても可愛い愛娘が一人。満たされた三人家族。

 他より少しだけ裕福で、他より少しだけ平穏な、どこにでもあってどこにでもない、幸せな家族でした。


 ――愛娘である女の子は、そんな両親のことがとても大好きでした。


 働き者なお父さん。頑張り屋なお母さん。

 世界で一番の両親だと胸を張って言えるほど、女の子は両親を愛していました。

 同じように、お転婆だけれど愛嬌のある自慢の娘を、両親も心から愛していました。


 ――転機が訪れたのは、父親の仕事が致命的な失敗をしてしまってから。


 それからというもの、家族は食うに困る生活に陥ってしまいました。働き者なお父さんはもっと働き者になって、頑張り屋なお母さんはもっと頑張り屋になりました。

 それでもまだ足りなくて、女の子がお菓子やお洋服を我慢をすることも、しばしばありました。


 けれど、女の子は全然構いませんでした。それで、大好きなお父さんとお母さんの負担が少しでも軽くなるのなら、ちょっと大変だけど大丈夫だと――大丈夫ではなかったのは、自分ではなく、両親だったとも知らずに。


「ただいま。■■、今日はご馳走があるよ」


 ――ある日、父親がお肉を貰って帰ってきました。


「『しろいかみのおんなのこ』がね、助けてくれたんだ。■■よりも、少しお姉さんくらいかな。とてもいい子だったよ」


 それを聞いて、女の子は久しぶりに嬉しくなりました。

 張り詰めた雰囲気だった両親も、その日は穏やかな優しい顔をしていたからです。


 とてもいいお肉らしく、ちょっとお洒落にお醤油だけで食べました。大人の両親は、ワサビを少しつけて食べました。


「ただいま。■■、またお肉を貰ってきたよ」


 ――またある日、父親がお肉を貰って帰ってきました。


 切り落とした残りを貰ってきたらしく、玉ねぎと炒めた生姜焼きにして食べました。ご飯によく合ったので、女の子はおかわりするくらい、沢山食べました。


「ただいま。■■、お肉を貰ってきたよ。ちょっと食べづらいところだけど、美味しいと思うよ」


 ――そのまたある日、父親がお肉を貰って帰ってきました。


 骨付きの部位を貰ってきたらしく、こんがりと焼いてガーリックバターを乗せました。香ばしい匂いと共に、バターがじんわりとろけた時。


 ――こわいおとながいっぱいやってきて、

 ――おとうさんとおかあさんが、

 ――ハンバーグになってしまいました。


 あかいストロベリージャムが食卓を彩る。

 イチゴのジャムなんて、お肉には合わないのに。


 あったはずの団欒しあわせが滅茶苦茶に壊れていくのを、女の子は呆然と眺めていた。


「【エス】と化した鬼頭きとう嶽士たけし鬼頭きとう好乃よしの夫妻、制圧完了。一人娘の鬼頭きとう咲弥さくやも保護しました」

「よもや、ここ最近を騒がせていた連続猟奇殺人事件の犯人が、夫婦揃っての【エス】だったとはな……」


 意味は分かる。

 今度中学に上がる女の子には、父親と母親がなんらかの団体が突入してきたのを見るや否や、怪物のごとく襲い掛かり、銃器による反撃を受けて倒れていく光景の非日常さが理解できた……理解できただけで、呑み込めたかはまた別問題だったが。


 ……その頃はまだ、頭部切断という方法が確立されておらず、全身を再起不能なまでに滅茶苦茶ミンチにする他なかったのは、どうしようもない悲劇だった。


「お、とうさん……おかあさん……!」


 だが、言葉は分からない。

 えす? せいあつ? ほご?

 れんぞくりょうきさつじんじけんの、はんにん?


「『病因』は生活苦、と言ったところか。だとしても、『変質』はなんだろうな……」


 女の子の不幸は、両親が人喰いの怪物【エス】だったことでも、大義名分の名のもとに殺し尽くされたことでもない。

 分からないことだらけの中で、だった一つの真実に気がついてしまったことが、なによりの不幸だった。


 ここ最近、父親が貰ってきたというお肉。

 両親が連続猟奇殺人事件の犯人という事実。


 いずれ知ることとなる両親の『変質』は――本来【エス】ですら美味しいとは思わない栄養源である「それ」を美味しいと感じてしまう、『部分変質』の


「う、そ」


 食卓から転がり落ちた、ガーリックバター香る骨付き肉の正体は。


「――――、――――ッ!!」


 その瞬間、

 少女――鬼頭咲弥は、理性を嘔吐した。


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