第35話

 わたしの最後の一週間は、思っていた以上に、意外なほどに慌ただしく過ぎていく。


 引退するその当日まで、詳しい話は一切表には出さないというのは、マオたちとの打ち合わせで決まったことだ。一周年記念配信自体の告知はとっくに済んでいる。わたしは、当日に大事なお知らせがあります、とSNSで付け加えれば、もうそれ以上出来ることはなにもない。


 本当だったら、当日までSNSでカウントダウンをしたり、連日配信をして、みんなと一緒に気持ちを盛り上げていこうと、そう思っていた。だけど、そんな気持ちになれるはずもなくって、カラオケボックスから帰宅した最初の夜、わたしはただ、サヤカの部屋のベッドの上で膝を抱えていた。


 そうやって、気が付いたら一周年配信の当日になっているのかな。なんて思っていたのだけれど。現実には、なにもしないまま時間だけが過ぎていくなんて、そんなことはちっともなかった。


 ずっとうずくまっていたって、おなかは空くし、のども渇けば、お手洗いだって行かないといけない。ひとり暮らしのサヤカの部屋に、そんなにたくさん備蓄もなくて、カップ麺を買いに行くはめにもなった。


 どれもこれも、わたしが全部サヤカに任せっきりにしていた、人間として暮らしていくための習慣だ。わたしはずっと、サヤカの生活に相乗りしているだけだったんだなと、今更のように実感する。食事も掃除も洗濯も、すべてサヤカがやってくれていた。その間にわたしがやることと言えば、Vtuberとしての活動の計画を立て、夜になったら配信でみんなと楽しく遊ぶ。それだけだ。肉体を使う時間が短かったから、生理現象さえサヤカに押し付けていたのだ。


 一度だけ、スマートフォンに連絡が入ったことがある。サヤカの勤めていた会社から、無断欠勤の理由を問うためだった。しどろもどろで通話に出たわたしは、サヤカの妹を名乗って、病気で臥せっていると伝えた。嘘をついたのも、これが初めてのことだった。


 サヤカの勤め先との連絡が終わると、もう誰と話すこともなくなってしまう。またベッドの上で膝を抱えていると、次第に部屋の中を、孤独感が満たしていくようだった。


 シオネもリリシアも、それぞれの活動や、ユニットの一周年配信に向けた準備で忙しく、用もないのに連絡するのは憚られる。マオにだって仕事があって、寂しいから、なんて理由で会いに行くことも出来ない。ほかには、友達も知り合いも、誰もいない。ファンのみんなは、顔も名前も知らない誰かばかり。なにより、いつでも一緒にいたはずのサヤカの不在は、見慣れたワンルームの部屋を、無性に広く感じさせてならない。


 ひとりになって何日目だったか、あんまりに手持無沙汰で、サヤカの描いたイラストフォルダを開いてしまったことがある。


 フォルダに収められていたデータを開くたびに、わたし、わたし、ゲームのキャラ、アニメのキャラ、わたし、シオネ、リリシア、わたしたち三人、わたし、そしてまたわたしが、画面に表示されていく。


 これは、サヤカがわたしに割いた時間だ。ここにいるわたしの数だけ、サヤカはわたしにくれていた。仕事に行って、家事をして、わたしの配信を観て、わたしのイラストを描いてくれていた。絵の練習をして、デザインを考えてくれてもいた。


 わたしは、そんなサヤカに、もっと時間を寄越せと、そう言ったのだ。


 それからはもう、身体を起こす気にもなれず、空腹も無視してベッドにうずくまり、まんじりともせず配信の日を迎えることとなった。



 「いっ! しゅうっ! ねーーーーーーーーーんっ!」


 ≪うおおおおおおおおおおお≫

 ≪はじまた≫

 ≪一周年おめでとうございます!!!≫

 ≪おめでとーーーーーー≫

 ≪衣装変わってる! 髪型変わってる! おへそ≫

 ≪うおいきなり新衣装!?≫

 ≪待っていきなり情報量が多い!≫


「みんな、はろーっ! デジタルの世界からみんなに”楽しい”をお届けして、なんと一周年を迎えましたっ! 非実在ストリーマーの、鳥羽アルエだよっ! みんなっ、今日は集まってくれて、ほんっとうにありがとーっ!」


 ≪おめでとおおおおお!≫

 ≪こちらこそ、いつも楽しませてくれてありがとう≫

 ≪もう1年も経つのか……1年続いてくれただけで神なんだよなあ≫

 ≪人知れず消えて行ったVを何人見たことか……≫

 ≪よその話はいいからお祝いだ!!!!≫


「なんだかデビューしてから今日まで、いろんなことがあったはずなのに、あっという間に過ぎちゃったような気もするんだっ。それくらいいつも楽しくって、それもこれも、いつも応援してくれてたみんなのおかげですっ! 繰り返しちゃうけど、わたしのこと見つけてくれて、ほんとにありがとねっ!」


 ≪すこし泣く≫

 ≪デビューしてくれてありがとう!≫

 ≪アルエも声ちょっと潤んでる?≫

 ≪確かにいろいろあったね。二の腕事件とか≫

 ≪二の腕事件のことはやめるんだ≫


「二の腕のことは禁止ーっ! それより、一周年を迎えたわたしはどうっ? いつもと違うところ、みんなは気付いたかなっ?」


 ≪なにもかも違う!!!≫

 ≪新衣装めちゃめちゃかわいいです≫

 ≪いきなりセクシーになってお姉さん動悸がおさまらない≫

 ≪もしかして:不整脈≫

 ≪ネキは病院いってもろて≫


「そうっ! なんと、一周年に向けて用意してもらった、新衣装ですっ! えへへへ、かわいいでしょっ」


 ≪めっちゃご機嫌でかわいい≫

 ≪嬉しかったんだねえ≫

 ≪ママさんパパさんありがとう、そしてありがとう≫

 ≪アルエのママってSaYaKaさんだよね。デザインが神≫


「……今日は一周年ありがとうの気持ちと、これからのことについて大事なお知らせがあるんだっ。最後まで楽しんで行ってねっ」


 ≪新衣装だけじゃなくてまだ情報があるんですか!≫

 ≪ふりしょの一周年も近いし、マジで楽しみが多すぎるんじゃ≫

 ≪ユニットの二人も観てるかしら≫

 ≪いるでしょ絶対。普段からコメントはないけど≫


「えっと、それで、それでね? まず、今日はみんなに、わたしの大事な人を紹介したいんだ」


 ≪えっ≫

 ≪は?≫

 ≪待ってやめてお願い≫

 ≪このタイミングでご報告?≫

 ≪いやうそでしょ≫


「ん、え、あっ、違う違う違うよっ!? ご報告じゃないですっ! というか男の人じゃなくて、女の人だからっ! ほんとにっ!」


 ≪よかった、のか?≫

 ≪心臓止まるかと思った≫

 ≪キマシ?≫

 ≪まあとりあえず話聞こうや≫


「というか、みんなも知ってる人ではあるんだけど。紹介したい人って言うのは、わたしのママの、サヤカのことなんだ」


 ≪ほほう≫

 ≪kwsk≫

 ≪プロじゃないんだよね?≫

 ≪なれそめとか知りたい!≫

 ≪絵が上手いことは知ってる≫


「コメントしてくれてる通り、サヤカはプロじゃないんだけど、すっごく絵が上手で、【ふりーくしょっと!】の公式イラストレーターにもなってくれた、すっごい人なのっ! 実はわたしは、サヤカの理想のVtuberとしてデザインしてもらったんだよっ。えへへ、そうなれてるかなあ?」


 ≪なれてるよー!≫

 ≪アルエは理想の推し≫

 ≪マジでSaYaKaさんには感謝しかないんだよなあ≫

 ≪来場者数が物語っている≫


「それにわたしだけじゃなくって、シオネもリリシアも、サヤカのイラストが大好きなんだよっ! 二人ともサヤカに……あっ、なんでもないっ!」


 ≪あっ(察し≫

 ≪これはやらかしw≫

 ≪聞かなかった! なにも聞こえなかったなー!≫

 ≪ログにはなにも残ってないな≫


「えっとえっとっ、とにかくすごい絵師さんなのっ! なのにサヤカって、全然自分に自信がなくって、すぐ消えたいとか死にたいとか言っちゃうんだよっ! もっと自分のこと褒めてあげてもいいのにって、ずっと思ってたんだ」


 ≪めちゃめちゃ語るやん≫

 ≪SaYaKaさんすげえ暴露されてるけど平気なのこれw≫

 ≪あんだけ描けても自己評価低くなるのか……≫

 ≪仲良し!≫

 ≪SaYaKaママが超アルエの推しなのはわかった≫


「そう、そうなのっ! サヤカは、わたしの推し、だったんだっ!」


 ≪?≫

 ≪大丈夫? 泣いてない?≫

 ≪涙声になってる≫

 ≪推しだった?≫


「あ……あのね、サヤカのことを話したのはね、サヤカはわたしのママで、わたしが生まれたときからずっと一緒だったの。ほんとに、毎日ずっと一緒に暮らして、配信も観ててくれたし、お風呂も一緒に入ったことあったんだよ」


 ≪え、リアルママ? お義母さん?≫

 ≪お義母さんではない≫

 ≪同居してたんだ!≫

 ≪塔建てていいのか悩んでる≫

 ≪まだだ、まだどっちに転がるのかわからない……≫


「ごめんね、いきなりこんな話して、混乱しちゃうよね。えっと、最初から話すと、嘘みたいな話になっちゃうんだけど、聞いてくれる?」


 ≪もちろん≫

 ≪聞かせて聞かせて≫

 ≪気になります!≫

 ≪どんな話でもどんとこい≫


「みんな、ありがと。あのね、わたしは、サヤカから生まれた、もうひとりの人格。二重人格の片割れだった。でも、もういないんだ。サヤカは、消えちゃったから」


 言ってしまってからしばらく、どんな反応をされるのか怖くて、みんなのコメントを読むことが出来なかった。

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