第27話

 秋葉原駅に到着した私とアルエは、さっそく最寄りのカラオケボックスに向かう。なんてことには、当然なるはずもない。


「わっわっ、すごいっ、見て見てサヤカっ! グラアカの広告、おっきい! そういえば、もうすぐ新イベント始まるんだっけっ!」


「えっ、このビル全部ヨダバシなのっ!? 見たい見たいっ、なんでも売ってそうっ!」


「表通りにもいろんなお店があるんだねっ。ゲームショップに、アニメグッズに……武器屋さん? えっ、斧投げバー!? 斧投げるの!? なんで!?」


 天真爛漫で好奇心旺盛なアルエのこと。初めて訪れた秋葉原で、真っ直ぐ目的地に進んで行けるはずもなく、目に付いたものに惹かれるままに街の中を散策する。私としてもこうなることは予想済みだったので、歩きやすい靴にしておいて正解だった。


 想定外だったのは、アルエの行動力だ。


「ねえあのお店、あれってなにかなっ!? 見に行ってみようよっ!」


「ちょ、ちょっと待って、もう少しゆっくり……!」


 万年運動不足な陰キャの私と対極に位置するアルエは、散歩にはしゃぐ犬のような行動力と、障害物をものともしない猫のような俊敏さで、人混みをすり抜けずんずんと先に行ってしまう。こっちは人とぶつからないようにするのも一苦労だというのに。


 やっとの思いで通りを抜ける。路地に入れば、人通りも多少は緩和される。アルエは、表通りからひとつ折れた道の先で、きらきらと目に星を輝かせながら何かを見つめている。大きく開いた口からいまにもよだれを垂らしそうに見えたのは、鼻をくすぐる脂と香辛料の香りのせいかもしれない。


 ガラス張りの店頭で、串に刺さった巨大な肉の塊が、くるくると回っている。秋葉原でおなじみのファーストフードのひとつだった。


「ケバブだあ……っ!」


「そういえばもうお昼だね。ここで食べちゃおっか」


「いいのっ!?」


 食べてみたくて仕方がない。そう全身で訴えているアルエに苦笑いしながら、中東系と思しき店員さんにオーダーする。一瞬気後れしそうになったが、さすがこんなところで店を構えているだけあって、日本語は流暢だった。


「わ、わ、すごいすごいっ」


 注文を受けるなり、店員さんは鉈のような巨大なナイフを取り出して、開店する肉塊の表面に刃を走らせ、削り取った欠片をピタパンに受け止めていく。流れるように千切りキャベツをつかみ取ると、こぼれ落ちるのも構わず豪快に詰め込んでいく。スライストマトを差し込み、ソースがたっぷりかけられれば、ぱつんぱつに膨らんだケバブサンドの出来上がりだ。


 あっという間に出来上がった商品を受け取り、アルエと二人、店の脇に広げられているテラステーブルに腰を下ろす。ずっしりと重たいケバブサンドから、食欲をそそる香りがこれでもかと漂ってくる。いけない、私までよだれをこぼしてしまいそうだ。久しぶりに人込みの中を歩いて、思っていたよりもおなかが空いていたのかもしれない。


「わああ、美味しそうっ! いただきまーっす……ってこれ、どっから食べればいいのかな?」


「うーん……」


 紙に包まれたケバブサンドは、手のひらからこぼれ落ちそうなほどに膨らんでいて、とても口に収まりそうにない。


 実をいえば、私も食べるのは初めてだ。秋葉原に来ることがあっても、目的の買い物だけ済ませてさっさと帰ってしまうことがほとんどだったし、食事をするにしても、食べ慣れたチェーン店ばかり選んでいた。気ままに路地に入って、目に付いたお店で食事をするなんて、初めての経験なのだ。


「えーいっ、もうかぶりついちゃうしかないよねっ!」


 思い切りのいいアルエに倣って、可能な限り口を開いてケバブサンドに齧りつく。


「んーっ! おいひいっ!」


「んっ、ほんと美味しい」


 一口齧るごとに、シャキシャキとした野菜の食感にジューシーな肉の柔らかさが絡み合い、ソースとスパイスの甘辛い風味が口の中いっぱいに広がっていく。肉の脂っぽさが野菜のみずみずしさに中和されて、いくらでも食べられてしまいそうだ。


 夢中でほおばる私たちを、店頭のカウンターから褐色肌の店員さんがにこやかに見つめている。こんなに美味しいんだったら、もっと前に食べてみるんだった。何度も秋葉原に来ていたのに、一度も食べたことがなかったなんて、ずいぶんもったいないことをしてしまっていた。


 これもアルエがいなかったら出来なかった経験だ。


 そう思うと、隣でケバブサンドを頬張る少女が、推しとかファンとかいう感情を抜きに、無性に愛おしく思えてくる。


 この子は、私にありったけの元気と、まだ知らない世界を見せてくれる。無邪気で奔放で自由気ままで、飛び切り愛くるしい私の……なんだろう? 絵師とVtuberとしては親子かもしれないけれど、娘と呼んでしまうと語弊がある気がする。友達とも、家族とも、似ているようで違う存在だ。


 目の前の相手との関係どんな言葉で言い表すべきか、そんなことを考えながらじっと見つめていると、視線に気づいたアルエが、大きく開けていた口を閉ざして、ケバブサンドで顔を隠してしまう。


「もーっ、食べてるところそんなに見られたら恥ずかしいよっ」


「え、あっ、ごめんそんなつもりじゃなくて。あの、ほっぺにソースついてるから」


「うそっ! もっと早く教えてよーっ!」


 慌てて指で拭おうとするが、なかなか目標を捉えられないアルエの頬を、紙ナプキンで拭いてあげる。はにかみ笑顔が帰ってきて、私は死にかけた。


「んむむ、ありがとっ。でもでもっ、ほんとにいろんなものがあってすごいね、秋葉原ってっ! なかなか外で遊べないから、すごく新鮮っ!」


「あー……ごめんなさい、私が引きこもり体質なばかりに」


「あ、いや、おうちは落ち着くから仕方ないって言うか……ってこのやりとり、前にもしたよっ!」


 ばれた。


「ふふ、初めて会った日にしたね、こんな話。あのときは、ほんとにテンパってて、わけわかんなくなってたけど」


「……ごめんね、あのときは、どうしてもサヤカにわたしのこと、気付いてほしくって」


 しゅん、と、ポニーテールが力なく垂れ下がる。いけない、そんな顔をさせたかったわけじゃないのに。


「ううん、確かに最初は混乱したけど、私もアルエのことを知れて本当によかったと思ってるから。こうしてデートするのも楽しいし、新しい衣装だって用意してあげられたし」


 アルエのデジタルボディは、私がデザインして、真央がモデリングしない限りは更新されることがない。もしも私が彼女の存在に気付かないままだったら、いつまでもアルエは同じアバターでい続けるしかなかったのだ。ファンとしてもママとしても、1周年を前に真実を知ることができて、本当に良かったとつくづく思っている。


 ちなみに目の前のアルエもその縛りを受けるようで、基本的に着替えたりはしない。唯一、服を脱ぐことだけはできるのは、彼女をデザインしたときに裸体も描いていたからなのだろうか。


 だから、これでよかったのだ。そう伝えると、アルエは顔を上げて笑顔を浮かべる。


「……うんっ! ねえねえ、また新しいわたしのことも描いてくれるっ?」


「描く描く、いくらだって描きますとも。ね、次はどんな衣装着たいかとか、要望はある?」


「えーっ、どうしよどうしよ、着てみたい服いっぱいあるよーっ! さっき見たメイド服とかも気になるしっ」


 ついさっき表通りで見かけた、メイド喫茶の店員さんを思い出す。ふりふりとして可愛らしい、スカート丈の短いエプロンドレス姿でチラシ配りをしていた。なるほど。個人的には、シックなロングスカートのクラシックスタイルが好みなのだが、アルエはああいうフレンチスタイルに近いタイプが好みなのかもしれない。


「そうだメイド喫茶っ! このあとさ、メイド喫茶行ってみようよっ! どんなところなのかずっと気になってたんだーっ!」


「えっ、でも、いまケバブ食べてるところなのに」


「だって飲み物買ってないから、のど乾いちゃったんだもんっ」


 言われてみれば、ケバブサンドを買うことにばかり夢中になって、ドリンクを注文し忘れていた。


「ほらほらっ、早く行こうよっ」


 こうなるとアルエは、もう止まらない。あっという間にケバブサンドを飲み込んで、早く早くと私の手を握る。私は、手の中に残っていたケバブサンドを慌てて口に押し込んで、もごもごと席を立つことになった。


 ところで、アルエの姿は私にしか見えない。一緒に店に入って、私だけご奉仕されたりしては、ものすごく気まずいことになりそうなのだが。


 そんな懸念を余所に、私の手を引いてメイド喫茶に向かおうとする彼女の足は、しかし往来の激しい表通りに戻ったところで、ぴたりと止まった。


「わ、アルエ?」


 どうしたのだろう。立ち止まったアルエの視線は、どこか遠く高くをじっと見つめている。


 広い車道の向こう側。アニメショップの入ったビルの上。大きな看板に、髪の色も、着ている衣装も、見た目の年齢も様々な、少女たちのイラストが描かれている。


 ライヴサーキット。何人ものタレントを擁する、大手Vtuber事務所の広告だ。


 その所属Vtuberたちの人気はすさまじく、各人のチャンネル登録者数は100万人が最低ライン、上は200万人に上るとまで言われている。企業的なバックアップを受けられるだけあり、活動の幅も配信ばかりにとどまらず、ライブや各種イベントへの出演、ときにはテレビ番組に登場することさえある。ひっきりなしにグッズが発売され、ゲームや食料品メーカーなどとのコラボにも事欠かない、まさに業界第一人者と言えるだろう。


「……すごいね、あんな大きな広告になるんだ」


 どこかぼんやりと、アルエは呟いた。


「わたしたち、まだまだだなあ」


 比べたところで、仕方のない話だ。個人の活動はどうしても限界がある。企業からの広告案件も来たことはないし、リアルイベントの開催なんて望むべくもない話だ。ましてやアルエには、私という制限までかかっていた。


 むしろ個人勢のVtuberとしては、アルエたちの人気は驚異的と言って差し支えない。だから、大丈夫。アルエたちだって十分すごい。


 けれど、硬く握られた手の感触が、慰めの言葉を飲み込ませる。


「わたしも、わたしたちも、あんな風になれるかな」


「なれる、絶対なれるよ」


 アルエは振り向いて、いっそう強く私の手を握り締めた。


「ごめんサヤカ、やっぱりもう、カラオケに行こう。いっぱい練習して、ユニット曲を完璧に歌えるようにしなきゃっ」


 駆け出したアルエに置いて行かれないよう、私も必死で足を動かした。

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