第28話

 秋葉原デートでカラオケに行ってからというもの、アルエはこれまで以上に歌の練習にまい進するようになった。朝と昼とを問わず、時間さえあれば常にユニット曲のメロディを口ずさみ、家に帰ればさっさと浴室に引っ込み、音源に合わせて歌い続けている。これまで2日と空けずに行っていたライブ配信さえ、今週は1周年配信の準備のためと告知して、休んでいるほどだ。


 やはりデートの日に秋葉原で見た街頭広告に、なにか触発されるものがあったのだろうか。自分の目標を見出したか、あるいは思い出したのかもしれない。


 ともあれ、いまのアルエは本気だ。本気でVtuberとして次のステップに進むため、ユニット曲の習得に精を出している。


 そんなアルエと共に過ごしながら、創作活動に本腰を入れているのは私も同じだった。相も変わらない昼間の契約社員の時間を終えれば、アルエと競うように帰宅してパソコンの前に齧りつく。


『さあ、お嬢様、私の声に集中してください。他の余計なことに気を取られてはいけません。目を瞑って、耳にだけ意識を集中させるのです』


 【ふりーくしょっと!】のユニット曲のためのイラストは、先日三人に見てもらい、OKをもらって納品済み。ネットで探した資料を参考にしながら作ったポートフォリオも、すでに真央に送っていまは返事待ち。


 なので、スピーカーから再生される低く艶めかしい声を聞きながら手掛けているのは、リリシアに依頼されたキャラクターデザインなのだが、これがまた、なかなかに難しい仕事だった。


 キャラクター自体は、このシチュエーションボイスのために描き下ろされる新キャラなわけだが、コンテンツとしての売りは、リリシアというVtuberが演じていることだ。Sっ気の強い慇懃な執事キャラは、リリシアとは別人だ。けれど、コンセプトを考えると、リリシアの気配を完全に消してしまうわけにもいかない。髪型か、服装か、あるいは目の形か、どこに要素を残して組み立てるか、なかなか頭を悩ませてくれる。


「サヤカーっ! 来てーっ、歌ってるの聴いてほしいなっ!」


「ちょっと待ってー! すぐ行くから!」


 風呂場からアルエに呼ばれれば、黙々と液タブに向かってもいられない。こうしてたびたび呼び出されては、浴室に馳せ参じて、彼女の歌に耳を傾けることになる。


 私とアルエはどうしても、二人でひとつの身体を共有しているという縛りがある。こうして聞いている間は、アルエが肉体を使って、実際に発声して歌っている。この時間は、私は聴き手に徹する以外にできることはない。もどかしいが、致し方ない。歌は実際に歌わなければ上達しないのだし。


 けれど。


 アルエの歌は、素人の耳にもずいぶん上達しているように思う。それがますます、ささやかな私の焦燥感を燻らせる。


 私もステップアップしなければ。アルエたちに置いて行かれないように。


 そうして、以前にも増して忙しない日々を送っていれば、節目の日はあっという間にやってくるのだった。



 先日初めて訪れたときは、思いがけない高級マンションっぷりに圧倒されていた、シオネの部屋。再び【ふりーくしょっと!】の三人と、そして私が訪れた、ひとり暮らしには広すぎるリビングには、あのときとは異なる緊張感が漂っている。


 さもありなん。今日は、【ふりーくしょっと!】の初めてのユニット曲の、その収録のために集まっているのだから。


「いよいよ来ちゃいましたね、この日が……」


「うわーっ、どうしよどうしよ、すっごいドキドキしてきちゃったっ! ちゃんと上手く歌えるかなあ……!」


 歌の収録なんて経験のないアルエとリリシアは、二人ともそわそわと落ち着きがない。見ている私まで緊張してきてしまう。唯一落ち着いているのは、部屋の主でもあるシオネだ。到着した私たちにも出してくれた紅茶を飲みながら、椅子に深く背を預けて泰然としている。


「別に、そんなに緊張する必要ないでしょ。失敗したって撮りなおせばいいだけなんだから。というか、リリシアはいつも台詞の収録とかしてるんじゃないの」


「それはそうなんですけど……こんな立派な設備で録ったことないですもん。やっぱり落ち着かないですよ」


 シオネの家の機材は、文字通り桁違いの投資によって賄われ、ちょっとしたスタジオを思わせる充実ぶりだ。以前は練習のためにだけ使った防音室を、今回は収録ブースとして使うことになる。あそこでこれまでの練習の成果を発揮するのだと考えればこそ、収録そのものには無関係な私まで緊張を覚えてしまう。当人たちの心持など、推し量るべくもない。


「でもでもっ、今日はやっと三人で一緒に歌えるんだよねっ! 楽しみだなあっ」


 え?


 緊張とは違うそわそわに身体が揺さぶられるアルエに、視線が集まる。思わず私も見てしまった。もしかして、アルエ? 怪訝な表情のシオネが、ティーカップを置いた。


「一緒になんて歌わないけど」


 至極当たり前のことを告げるシオネに、アルエは目を丸くする。


「……へっ? だ、だって、今日は三人で歌う曲を収録するんじゃないの?」


「あのね、ユニット曲だからって、歌録りを三人同時にやるわけないでしょ。それぞれ歌った音源を、あとで編集するの」


「えええぇぇぇぇぇっ!? うそっ、わたしシオネとリリシアと一緒に歌えるんだと思って、すっごく楽しみにしてたのにっ!?」


 アルエはテーブルに手をついて、本気で愕然としている。まさか、歌の収録の仕方を理解していなかったなんて。


「なんでそうなるんだか。あと私はもう、自分の分は昨日録り終わってるから」


「そんなっ、ずるい、なんでっ!?」


 シオネとアルエのコントじみたやり取りに、リリシアと私は笑いを堪えるのに必死だった。めちゃめちゃかわいいけれど、ここで笑ってしまったら絶対にへそを曲げられてしまう。


「もう、もうっ! なんで笑ってるのリリシアも、サヤカもっ!」


 堪えられていなかった。


「ご、ごめん……」


「すみません、まさかそんな勘違いされてるなんて思わなくて。でもそれなら、個別の収録が終わってからでも、三人で歌ったバージョンも録ってみませんか?」


「それだーっ! そうしようよっ、いいでしょシオネっ!?」


 天啓を受けたとばかりに身を乗り出すアルエに、シオネはひとつため息を返す。


「終わったらすぐ編集したかったんだけど」


「1回だけだから、ねっ! じゃないとわたし、なんかテンション下がってきちゃうかも……」


 えらく露骨で可愛らしい脅迫である。ただしアルエの場合、みんなで一緒に、ができないと本気でテンションだだ下がりになる可能性が否めない。それこそ、目的の収録に影響が出かねないほどに。


 唇を尖らせるアルエと、仏頂面のシオネがにらみ合い、結局根負けしたのはシオネのほうであった。


「わかった。全部収録が終わってからね」


「やったーっ! 一緒に歌えるって、リリシア!」


「ふふ、楽しみですね」


 三人で一緒に。それが決まった途端に、アルエの顔には満面の笑みが浮かぶ。現金なアルエに苦笑いを浮かべていたシオネは、ふと表情を改める。


「そういえばサヤカ、イラストコミッション始めるって?」


 思いがけず話題を振られ、私はあわててシオネに向き直る。


「うん……というか、仕事としてイラストレーター出来ないかなって模索してる感じだけれど」


「ふうん、いいんじゃない? もうリリシアから依頼請けてるんでしょ。私も新曲発表するときお願いしようかな」


 ぜひぜひ、いつでも言ってほしい。


 けれど、なぜか返事をしたのは私ではなかった。


「それすっごくいいと思うっ、絶対請けるよっ! ね、サヤカっ?」


「いやサヤカに聞いたんだけど、なんでアルエが答えるの」


「だって、そんなの断るはずないよっ」


 もちろんシオネからの依頼を断るなんて、そんなつもりは毛頭ない。ないのだけど。


「う、うん、新曲のイラストは描かせてもらいたいんだけど」


「ほらねっ! そうだ、わたしも今度、新しい実況シリーズのサムネとか描いてもらおうかなあっ」


 割り込むように身を乗り出して、妙にテンション高く捲し立てるアルエの様子には、やっぱりなにか違和感を覚える。シオネもリリシアも、顔を見合わせて首を傾げている。


 いったいどうしてしまったのだろう。


 思えばチャンネル収益化の報告配信の日から、コミッションや職業イラストレーターの話題になるたびに、アルエは妙な態度を取るようになった。はじめは私にイラストを描かせたくないんだろうか、なんて邪推してしまったりもしたのだが、その割には自分のイラストや、リリシアからの依頼を斡旋してきたりと、いまひとつ真意がわからない。


「まあ、なんでもいいけど。そろそろ収録始めるから。まずはリリシアからね」


 結局この日も、アルエがなにを考えているのか掴み切れないまま、主目的であるユニット曲の収録が始まるのだった。

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