第1話

 その日のこと。


 ワンルームマンションの自室。私が張り付くパソコンの画面には、いつもの通り、私の推しが両手をいっぱいに広げ、蜂蜜色の髪を輝かせながら元気に配信する姿が映し出されている。


『みんな、はろーっ! デジタルの世界からみんなに"楽しい"をお届けする、非実在ストリーマーの鳥羽アルエだよっ! みんな、今日もわたしと、いーっぱい遊ぼうねっ!』


 ≪はじまた≫

 ≪はろー!≫

 ≪はろーアルエー!≫

 ≪アルエかわいいハロー!≫


 パソコンモニタの中で、元気よく手を振る金髪少女と、一斉に挨拶を返すコメント欄。大人気配信者の、それも金曜夜の生配信ともなれば、コメントの流速は普段に輪をかけて増し増していく。


「は、はろー。ふふ、アルエ今日も、か、かわいい」


 思わずテンションが上がって、私も手を振ってみたりしてしまう。たったそれだけで、今日どころか、今週分の疲れが根こそぎ吹き飛んで行ってしまう。


 例えば、契約業務外の作業をさらっと横滑りさせてくる上司とか。人を見かけるたびに嫌味を零すのがルーチンになってるお局様とか。派遣元が同じなばかりに、いつも私が尻拭いをする羽目になる学生気分の抜けない後輩とか。


 なにかにつけて生き辛い現代をさらに煮詰めた、会社というストレス要因の伏魔殿に勤める社会人生活。根っから気が弱くて、なにを言われても「あ、はい、すみません」しか言えないような私がどうにか生き延びられているのは、しがない派遣社員が故に定時退社が約束されているからだ。より正確には、そのおかげでこうして、自室で欠かさず推しの配信を観ることができるからなのである。


 艶やかなブロンドのセミロングヘア。抜けるように白い肌。人懐っこく口角を釣り上げる薄紅の唇。きらきらと瞬く星を散りばめた碧い瞳は、宝玉のようにまん丸。まさしく文字通り、アニメの世界から飛び出してきたような、3Dグラフィックの美少女。


 私の推しVtuber、鳥羽アルエは今日もかわいい。


『予告していた通り、今日もこの『アート・オブ・ザ・デッド』の続きを遊んでいくよっ! みんなも知ってると思うけどこのゲームでは、ゾンビパンデミック後の世界の美術館を舞台に、夜な夜なゾンビたちを館内に引き入れて撃退。その血やら肉片やらが飛び散ったアートを作品として、生存者コミュニティの人たちに見せて評価してもらうんだ』


 ≪がんばえー!≫

 ≪wktk≫

 ≪聞くたびにとんでもねえゲームだと認識させられる≫

 ≪楽しみです。ただそろそろAoDは見飽きた感がないでもない≫


『あはは、V界隈でもみんな実況してるし、ちょっとゾンビでアートするのも見飽きちゃうよねっ。それに、ゾンビでアートってなんだろうね? 毎回この説明してるけど、毎回意味がよくわかんなくなっちゃうんだ』


 ≪今更wwww≫

 ≪冷静に考えちゃだめ!w≫

 ≪百万年前に通り過ぎたツッコミである≫

 ≪それはそう≫

 ≪散々ゾンビでアートしてただろ!≫


『でもねでもね、聞いてっ』


 ≪はい≫

 ≪はい≫

 ≪なに?≫


『わたしはこの主人公にね、ちょっと共感しちゃうの。崩壊した世界でも頑なにアーティストとして、みんなの心に残る作品を残そうとしてるところに、Vtuberとしてシンパシーを感じちゃうっていうかっ。わたしも、みんなが楽しめて、みんなの心に残る配信をしたいから! だからこの実況シリーズでは、ゾンビ界のピカソを目指していきたいと思ってるよっ!』


 ≪イイハナシダナー≫

 ≪イイハナシカナー?≫

 ≪それホントに感じていいシンパシーかな?≫

 ≪がんばれ!≫

 ≪もう十分心に残ってるよ! いろんな意味で!≫

 ≪ゾンビ界のピカソは、それはもうゾンビなのよ≫


『あああああ違う違う違うの、ゾンビアート界のピカソ! いまの間違い! わすれてー!』


 ≪落ち着いてwww≫

 ≪忘れられませんねえ!≫

 ≪●REC≫

 ≪切り抜けばいい?≫


「ゾンビ界のピカソ、ふ、ふふふ、ふふ、ゾンビになっちゃダメ、ふふ……」


 私の推しが今日もかわいい(3回目)。


 インターネットによる双方向通信が普及し、高性能なハードウェアやソフトウェアを、一般人でも手軽に入手できるようになった昨今。動画配信サイトでコンテンツを展開するストリーマーたちに次いで現れた、次世代タレントとも言えるVtuber。アニメーションイラストや、3Dグラフィックで描かれるサブカルチックなアバターを、ウェブカメラとモーションキャプチャソフトで動かし、ゲーム実況等々、オタク向けコンテンツを主として発信する、バーチャルアイドルたち。


 あっという間に数を増やし、気付けば私たちインターネットに巣食うオタクたちの新たな隣人になっていたVtuberの中に、鳥羽アルエが颯爽と姿を現したのは、かれこれ1年ほど前のことだ。快活で親しみやすいキャラクター、小気味良く軽妙な喋り口。コメントを積極的に拾ってくれるフレンドリーさと、時々見せるとぼけた愛嬌。彼女の人好きのするキャラクターに、デビューするなり視聴者たちは瞬く間に惹きつけられた。


 組織的なプロデュースを受けられる企業勢ではなく、なにもかもをセルフマネジメントしなければならない個人勢でありながら、高頻度の配信でストリーマーとしての魅力を存分に奮い、同時期に活動を開始したVtuber仲間と組んだ3人組ユニット【ふりーくしょっと!】としての活動も功を奏し、活動開始1周年を前にしてチャンネル登録者数は100万人を記録している。


 ただ、これだけ人気があるのならば、個人勢であっても広告案件などが来そうなものだが、そうした仕事は一切行わず、それどころか投げ銭などの収益化を一切行っていないのが不思議なところでもあるのだが。


 さておき。


 そんな数多いるアルエのファンの中で、私は本当にたまたま、彼女のデビュー配信をリアルタイムで観ることのできた幸運なひとりだ。そして、そのたった一回で一目惚れし、限界鳥羽アルエオタクにされてしまったうちのひとりでもある。どれくらい限界かというと、時々氾濫しそうになる愛を調整するために、ファンアートなんぞを描いてこっそり放流しているくらい限界だ。


『じゃあ、さっそくアトリエの準備をしていくねっ! この彫像どっちに置いたらいいかな? それからこの絵は……えー、この絵すごいキレイだよっ! これにもゾンビぶちまけるの!?』


 ≪そういうゲームだからね! 昨日も散々ぶちまけたでしょ!≫

 ≪右側がちょっとスペース空いてる≫

 ≪綺麗な絵画をぶち壊しにする快感って、あるよね≫


『やだあ……わかるけどわかりたくないぃ……でもアートのために手段を選んでいられない。なぜならわたしは、ゾンビアート界のゴッホになる女だから』


 ≪ピカソはどうしたwww≫

 ≪いきなり目標切り替えたぞ!≫

 ≪ピカソ「大変遺憾である」≫


『ほ、ほら、ピカソもゴッホもゾンビぶちまけちゃえば同じかなーって。ともかく設置も終わったし、アトリエ開場だよっ! さあ画材のみんなー、寄っといでー』


 ≪なんてこと言うんだ≫

 ≪やだこのひとこわい≫

 ≪朗らかな顔して完全にサイコパスの発言である≫

 ≪元気で明るい狂人とかいう属性の合体事故≫

 ≪武器準備した?≫


『え? ああああああ! 忘れてた、待って武器ない武器、やだやだやだどうしようゾンビ来てる! なんでー!』


 ≪なんでもなにもないwwwww≫

 ≪自分で入れたんだろwwwww≫

 ≪落ち着いて、その辺にあるもの武器になるから≫

 ≪どっかに鉄パイプとか転がってないっけ≫


『どこどこわかんないほんと無理だよー! ああああやめてやめてこないで、あ、これ、これでも食らえー!』


 ≪絵画ァ!≫

 ≪確かに絵も武器に出来るけどさあ!≫

 ≪さっきすごいキレイって言ってたやつwwww≫

 ≪行動が脳直過ぎて草≫


『はあ、はあ……アート! これもアートだよ! でしょ!』


 ≪お、そうだな≫

 ≪せやろか≫

 ≪ゲーム的に正しくはあるんだけどなあ≫


 にぎやかで元気で、なにかとドタバタして慌ただしくて。内容と一緒に血しぶきもぶっ飛んでいるゲームを遊びながら、それでも今日もアルエの配信は、底抜けに明るい空間だった。観ているみんなと鳥羽アルエが、一緒になって笑って騒ぐ、どこよりも何よりも楽しい時間。


 私にとってもそうだった。これまでもずっとそうだったように、この日も楽しい気持ちを抱えたまま配信を観終わって、余韻に浸りながらベッドに横になる。そのはずだった。


 配信の終わり。いつものようにアルエが、自分を描いたファンアートの紹介するコーナーを始めるまでは。


『今日のアル絵はこちらっ! SaYaKaさんが描いてくれた、ゲームをしているわたしなのっ! ほらほら見て、すっごくかわいいでしょっ!』


「……え?」


 画面の中でアルエが指している、コントローラーを握った鳥羽アルエのイラスト。構図にも、色使いにも、あまりにも見覚えがありすぎて、だからはじめは、何かの間違いかと思った。


 だってそれは、まぎれもなく私が描いて、SNSにそっと放流したうちの一枚だった。

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