第33話

 姿を消したサヤカについて、誰よりも彼女と付き合いの長かったマオを頼ろう。


 そう決めたわたしたちが向かったのは、駅前繁華街に店を構える、24時間営業のカラオケボックスだった。マオの家とシオネのマンションの中間地点で、夜でも営業していて、込み入った話を他の人に聞かれない場所を見繕うと、自然と場所は限られてくる。


 思えば、わたしがサヤカと初めて話した日に使ったのも、同じようなカラオケボックスだった。あのときは、突然現れた私に驚いたサヤカが、マオに助けを求めていた。いまは、突然姿を消したサヤカのことで、やっぱりマオに助けを求めている。まるで鏡写しのように真逆だった。


 違うのは、シオネとリリシアも一緒に来てくれたこと。二人とも、もうずいぶん遅い時間だというのに、ひとつの躊躇もせずに付き合ってくれている。唯一リリシアについては、家族に連絡したときに多少反対されていたようだが、友達の一大事だから、といつになく強い口調で押し切っていた。わたしの大好きな人のために力を貸してくれている、わたしのせいで大好きな人に迷惑をかけている。嬉しさと居た堪れなさがせめぎあって、顔を見ることもできなかった。


 そしてもうひとり、話を聞いたわたしの大好きな人は。


「は? 安方サンがいなくなった……人格が消えたァ!?」


 あげられた大声に身を堅くする間もなく、マオの両手がわたしの肩を掴む。指が肌に深く食い込む。


「ちょっと、嘘スよね、安方サン!? タチの悪い冗談ならやめてほしいスよ、死んだふりドッキリでキャラ曇らせとか、アタシがそういうの嫌いなの知ってるスよね!?」


「ご、ごめんなさい、ごめんなさいマオ! で、でもほんとに、もうサヤカはどこにもいなくて……!」


「落ち着いてください真央さん、嘘でも冗談でもないんです!」


「私らにも詳しいことはわからないけど、サヤカがいなくなってるのは確かみたいだから」


 唇を振わせ、額を突き合わせるようにして、限界まで瞠られた眼が射貫くようにわたしを覗き込む。しかしやがて、マオは深い息を吐き、肩を掴む手からは力が抜けてだらりと垂れ下がる。


「マジ、なんスね。いま安方サンは、マジでどこにもいないスね……」


 腕どころか、体中の力が失われてしまったかのようなマオの姿は、いままで見たこともないほどに痛々しい。ごめんなさい、ごめんなさい。わたしのせいで、マオの大好きな人を奪ってしまって。


「いったい、なにがあったスか? 安方サンが消えちゃうなんて」


 経緯を順番に伝えていく。サヤカがイラストレーターとして独立したがっていたこと。わたしは、まるで自分が置いて行かれるようで、反対していたこと。今日になって、サヤカがゲームの仕事に就けるかもしれないと知って、抱えていた不安をサヤカにぶつけてしまったこと。そして、サヤカが姿を消したこと。


 話を聞くにつれて、マオは眉根を寄せ、苦い顔になっていく。そして話を聞き終えると、またひとつ深いため息をついた。頭痛をこらえるように目頭を押さえている。


「……あー、もう! あの人はほんとに、どこまで……!」


 どうもその言葉は、わたしに向けられたものではないようだった。


「事情はだいたいわかったス。それで、消えちゃった安方サンが、どうしたら戻ってきてくれるか、って相談スよね?」


 尋ねる視線は、やっぱりわたしではなく、シオネとリリシアに向けられている。


「はい。このまま放っておくなんてできません。それに、お願いしていたお仕事も、まだ終わってませんから」


「解離性同一性障害がどうとか詳しいことはわかんないけど、サヤカのこと、真央さんならなにか思いつくなかと」


 マオの目が、わたしを見据える。


「アルエは、どうしたいの」


 どうしたいって、そんなこと決まっている。


「このままサヤカが消えちゃうなんて、そんなの絶対いやだよっ!」


「安方サンがいなければ、もっと自由にVtuberとして活動できるのに、スか?」


「そんなの、そんなのなんにも意味ないっ! だって、サヤカは」


 サヤカは、わたしのママで、誰よりもそばにいた最初のファンで、わたしに夢を託してくれた、もうひとりの自分で。


「一番、大好きな人だもん……」


 わたしはVtuberで、配信を観てくれている画面の向こうに、たくさんのファンがいてくれている。だけどわたしは、サヤカの夢のために生まれた存在なんだ。だからサヤカに見ていてもらわなくちゃ、なんにも意味がない。


 不意に、両の手が温かく包み込まれる。マオの手が、わたしの手を握りしめていた。


「マオ?」


「ごめんね、アルエ。アタシ、アルエのパパだなんて言いながら、ちっともアルエのこと見てなかったスね」


「ど、どうしたの、マオはいつもアタシの相談に乗ってくれてたし、アバターだって作ってくれたよ」


「ゲームの仕事、安方サンに紹介したのはアタシなんスよ」


 少しだけ、顔が強張ってしまったかもしれない。知らなかった、マオが紹介してたんだ。考えてみればなにもおかしなことはない。マオはいつだってサヤカの味方で、サヤカのことを考えていた。生まれたばかりのわたしが、初めて連絡したときだってそうだった。


「アタシは結局、安方サンのことしか見てなかったス。アバターを作ったのだって、安方サンが喜ぶかもと思ったからスよ。ゲームの仕事だって、安方サンの助けになりたい一心だったス。それでアルエがどう思うかなんて、これっぽっちも真剣に考えてなかったスね」


 直接そう言われてしまうのはショックだったけれど、仕方のないことだと思う。学生時代に出会い、趣味で意気投合して、進みたい道へと背中を押してもらって。それからマオはずっとずっと、サヤカのことが大好きだった。わたしはサヤカとマオの娘だけど、あとから現れた第三者でしかないんだから。


「ううん、わたしのほうこそごめんなさい。マオの大切な人、わたしのせいで奪っちゃって」


 マオの両腕が背中に回され、わたしの顔はマオのやわらかな胸に埋もれる。


「アタシ、安方サンに言いたいことがいっぱいあるス。それに、アルエの話ももっと聞かせてほしい。一刻も早く安方サンに戻ってきてもらって、三人でたくさん話しましょ」


 背中を撫でるマオの手が、優しくて、温かくて、わたしはしゃくりあげながら、何度も頷くことしかできなかった。



「けど、実際のところなにか案はあるんです?」


 散々泣いて、マオの服を濡らして、赤く腫らした眼を拭ってもらった頃に、しびれを切らしたようにシオネが口を開く。そうだった。結局のところ、どうすればサヤカに戻ってきてもらえるのか、なにも検討がつかないままだ。


「私たちにはどうすればいいか、ちっともわからなくて。どうでしょう、真央さんはなにか思いつきますか?」


 リリシアにも問いかけられ、マオは腕を組む。


「まあ、もともとあった人格が消えちゃうなんて、普通に考えたら大問題スよね。医者に連れて行くかどうかって話になるところスけど……」


「う、やっぱり、そうなるのかな……」


 わたしにだって、自分が普通じゃない自覚くらいはある。サヤカから分離して生まれて、Vtuberとしてデジタルの肉体と自意識を得た人格なんて、病気だと思われるに決まっている。もしもサヤカのために消えろと言われたら。


「ま、でも、アタシに任せてほしいスよ。安方サンの考えそうなことなら、だいたい想像がつくスから」


「ほんとに!?」


 やっぱりマオに話して正解だった。見えてきた希望に、シオネとリリシアと顔を見合わせる。


「一個聞くスけど、安方サンのためになんでもやる覚悟はあるスか?」


「もちろんだよっ! サヤカのためならなんだってするっ!」


 サヤカが帰ってきてくれるなら、なにを差し出したっていい。意気込むわたしに、マオは声を低くし、真剣な表情でこう告げた。


「だったら、やることはひとつしかないスね。アルエ、Vtuberを引退するスよ」


「……へ?」


 わたしが、Vtuberを、引退する? 引退するってことは、Vtuberをやめるってことで。もう配信をしたりゲーム実況をしないってことで。


「え、ええええぇぇぇぇ!?」

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