第8話

 休日昼間の渋谷なんて、休みは全日引きこもりが主義の陰のオタクにとってあまりにも未知の世界で、ましてや有名チェーンの小洒落たカフェともなれば、アウェーが過ぎて敵陣ど真ん中が過ぎて、そもそも足を運ぼうという発想すら浮かばない場所だ。


「も~……そんなにおどおどしなくたって、大丈夫だよっ!」


「だって、絶対私浮いてるでしょ……」


 だから、売られて連れてこられた仔牛みたいに、警戒心丸出しで視線を左右に泳がせてしまうのは、本能的な防衛反応のようなものなのだ。


 正直、ここに来るまでの道すがらでさえ、すれ違う人々の若くファッショナブルな装いに、あまりにも場違いな自分が居た堪れなくて仕方なかった。いまだって、地味で野暮ったい陰キャ女がこんなところでなにしてるんだと、誰も彼もが奇異の目で見ている気がしてならない。


「そんなことないって、一番びしっとカッコいいの選んだでしょっ! それにサヤカはすらっとしてるから、すっごく綺麗!」


 物は言いようである。


 身体を見下ろして目に入るのは、地味目のブラウスにロングスカート。申し訳程度に、真央に選んでもらったもののタンスの肥やしにしていたデニムジャケットを羽織ってきたが、食が細くてガリヒョロなだけの私は、完全に着られている。


 こんなありさまで、本当に『私が鳥羽アルエです』なんて出て行って大丈夫なのだろうか。ここで待ち合わせしている相手は、あの≪ふりーくしょっと!≫のメンバー二人なのに。


「う、胃が痛くなってきたかも……やっぱり私なんか一緒に来るべきじゃなかったのよ」


「それじゃ意味がないでしょっ!」


 仕方がないのだ。


 私たちはどうしたって、別れて行動することはできない。でなければ、大人気Vtuberたちの初顔合わせに、なんの縁もゆかりもない限界Vオタ女が居合わせるなんてことにはなりっこない。いや、確かにアルエとは縁もゆかりもあったのだが、いずれにしろ彼女たちの活動にはなにも貢献してないので、ほぼ無関係みたいなものだ。一般通過オタクだ。


「とにかく、二人を探そっ。えっと、もう先に着いて待ってるみたいなんだけど……」


 憂鬱な私を余所に、アルエはそわそわとシオネたちの姿を探し始める。リアルで会うと決めてからも、彼女たちは直接お互いの容姿を見せはせず、大まかな特徴だけで待ち合わせをしている。SNSに届いていたダイレクトメッセージを見る限り、アバターに違わず二人とも女の子らしい。その点だけは少し安心できる。


 ちなみに私のスマートフォンやパソコンでは、やはり私の知らないうちに、二つのSNSアカウントでログインできるようになっていた。もちろん私のアカウントと、アルエのアカウントだ。本当に、どうして今まで全く気付かなかったのか。あるいは、配信を観ていた時と同じように、認識できないようになっていたのかもしれない。


「あれ、もしかして」


 はたと、店内の一点に目を向けたアルエが、窓際の席に向かって歩いていく。先には、テーブル席に向かい合わせで腰かける二人の少女。


「シオネと、リリシア?」


 少女たちが顔を上げ、はっと目を見開いた。


「あー……アルエ、だよね?」


「アルエさんですかっ! わあ、とうとうお会いできました!」


 ひとりはボブヘアで、タイトなパンツルックに包まれる長い足を組んだ、澄まし顔の少女。誰が待っているかを知っていれば、すぐに分かった。彼女の姿は、まるでアバター姿のイメージをそのままリアルに投影したように、思い描いていた通りの印象を受ける。


 一方で、向かい合って談笑していたもうひとりの小柄な少女は、打って変わってまるで予想外の出で立ちをしている。ゆるふわにパーマがかかったロングヘアに、清楚でガーリーなチェック柄のワンピース。きゃっきゃとはしゃぐような笑顔は、配信で垣間見える子供っぽさを覚えさせるが、言われなければ誰だか見当もつかないだろう。


 熱い鼓動が胸の中で高らかに鳴り響き、囃し立てるように心を躍らせる。彼女たちこそ、七倉シオネと、リリシア・ランカスター、人気Vtuberユニットの二人の中の人なのだ。


 顔が熱くなるのを抑えきれない。ボブヘアの少女はクールな美貌の持ち主だし、ゆるふわロングの少女は小動物のような可愛らしさで、二人ともが、ファンの誰もが一度は空想したであろう通りの、まぎれもない美少女なのだ。


 いまの私は、アルエが表に出てるおかげで、誰にも存在を認識されていない。本当に良かった。アルエのみならず、シオネとリリシア、本当のVtuberの中の人二人に認知されてしまえば、私は今度こそどうなってしまうかわからない。いや、わかっている。死ぬ。間違いなく。


 しかし忘れていたのだが、感動しているのはなにも私ばかりではないのだった。


「……~~~~~っ! シオネ、リリシア! 会いたかったよ~~~~っ!」


 アルエはなにを思い余ったか、大声で名前を叫びながら感極まった様子で二人の手を握りしめ、って、なんてことをいきなりなんてことをしているのかこの子は!


「わっ、ア、アルエさんっ!?」


「ちょっとばか、声大きい!」


 ここはビデオチャット越しに対面している自室のパソコン前などではなく、若者たちが集まっている休日昼間のカフェの店内なのだ。突然そんな騒ぎを起こせば、店中の注目を集めることは至極必至なわけで。


 さらに言えば、アルエとシオネとリリシアといえば、ネット上では少なからぬ知名度を持つ名前なわけで。


「ご、ごめんーっ! 嬉しくなっちゃってつい……っ!」


「ああもう、店変えるわよ」


「わわ、ま、待ってくださいー」


 にわかにざわつき始めたカフェから、少女たちは慌てて逃げださざるを得ないのだった。



「もう、なに考えてんの、合流していきなり大声で名前呼ぶなんて」


「うう……ごめんってば~」


 おおわらわで飛び出たカフェから通りを渡り、路地を曲がった先のファミリーレストラン。どうにか腰を落ち着けたボックス席で、アルエはがっくりと項垂れ、腕を組んでおかんむりのボブヘアの少女から説教を受けている。まあ致し方ない。あんな街中で身バレなんて、たまったものではない。


「まあまあ、こうして無事移動できたわけですし」


 ゆるふわロングの少女が、ぽんと手を打って場を仕切りなおす。


「改めて、はじめましてアルエさん。私がリリシアの魂をやっております、えっと……」


「本名はいいでしょ別に。私が七倉シオネ、よろしく」


 もしかしたら印象と逆かもしれない、なんて思ったりもしたのだが、そんなことはなく、ボブヘアの少女がシオネで、ゆるふわロングの少女がリリシアで間違いないようだ。


「うんっ! わたし、鳥羽アルエ。よろしくね、二人ともっ!」


 アルエが先ほどよりは幾分抑えた声で名乗ると、三人はじっとお互いの顔を見つめあい、やがてほころぶように笑顔を浮かべる。


 ああ。


 これは≪ふりーくしょっと!≫の三人の、二度目の初対面なのだ。私は今、歴史的瞬間に立ち会っている。


 いまこの時、私はここ数日で初めて、アルエの別人格であることに感謝していた。本来ならば≪ふりーくしょっと!≫の三人だけが居合わせる現場を、こうして覗き見させてもらえるなんて、百年徳を積んでも遭遇できるかわからない僥倖だ。


 もちろん、いちファンでしかない私が、プライベートの彼女たちの姿を見てしまった申し訳なさもある。だが、彼女たちにアルエが認識されているということは、私はいまは誰からも認識されていない。オタクなら誰しも抱く、推しのいる空間の空気になりたい妄想がこんな形で叶うなんて。


「ふふっ、なんだか不思議な感じですね。いつも配信とかビデオチャットで話してたのに、こうして改めてはじめまして、って」


「そう? 私はまだリリシアのギャップがすごいから、はじめましてで全然違和感ないんだけど」


「たしかにっ! リリシアって言ったら、配信以外でももっとお芝居みたいな喋り方だもんねっ!」


「あ、あれは、アバターのときはリリシアってキャラになりきろうって、意識してやってるんです。シオネさんこそ、アバターのときそのままって感じでびっくりしたんですよ」


「私はもともと、あんまり演技とかするつもりなかったから。配信のときもほとんど素だし。まあ、一番驚いたのは……」


 シオネとリリシアの視線が、アルエに集まる。


「アルエは、絶対キャラ作ってると思ってた」


「わ、私もちょっと思ってました……」


「えーっ、そんなこと思ってたのっ?」


 それはそうだろう。こんな天真爛漫はつらつ元気娘が、リアルに存在しているなんて誰も思わない。


「わたしは生まれたときからずっと、こんな感じだよっ!」


 考えてみればアルエは、中の人が存在しない、現実に存在する非実在ストリーマーだ。配信のときだろうがそうでなかろうが、彼女は変わらない。この天真爛漫さこそが、もって生まれた性質なのだ。


 現実にいるはずのないVtuberが、まさしく目の前にいるだなんて、きっと彼女たちは思ってもいなかっただろう。


 ふうん、とシオネが鼻を鳴らす。


「まあいいけど。で、どういう風の吹き回し?」


「へ?」


 アルエと一緒に私も首を傾げる。


「どういう、って?」


「いままでずっと、事情があるからリアルでは会えない、って言ってたのアルエでしょうが。なんで急に会いたいなんて言い始めたの」


「そうですよ! いつかはオフコラボもしたいね、なんて話してましたけど、まさかアルエさんから言われると思いませんでした! もうその、ダメだった事情って言うのは解決したんですか?」


「あ、あー、それなんだけど、えーっと……」


 碧い目が、私を見た。え、なんでここでこっちを見るの。


 猛烈に嫌な予感が、背筋を駆け上って首筋をあわ立てる。いますぐ逃げろ、と本能が叫び始めるが、逃げようがない!


「実はねっ、二人に紹介したい人がいるのっ!」


 待って待って待ってどうしてそのタイミングで私の腕を掴むのやめてお願い引っ張らないでやだああああああああああ!


 抵抗もむなしく、私はたったいままでアルエが座っていた席に、入れ替わるように強引に座らされる。


 途端に、二つの視線が私を射止めた。シオネと、リリシア。二人の美少女が、いまのいままで欠片も意識を払っていなかった私を、怪訝な表情で見つめている。咄嗟に私は目を背ける。かといってどこを見たらいいかわからず、目線は店内を右往左往してしまう。手元が落ち着かず、指で指を探る。肩が縮こまり、頭が沈んでいく。


「あ、う、ぁの、あ……」


 言葉なんか出てくるはずもなくて、意味のない音が口から漏れ出すばかり。


 死にたい。最推しはアルエだが、シオネもリリシアも大好きなVtuberでなによりアルエのユニット仲間だ。いきなりその二人に見つめられるなんて、拷問にも等しい。


「え、アルエ……?」


「なんか、急に雰囲気が変わりました……?」


 ひ。


 あまりの居た堪れなさに逃げ出そうとした私の背中に、アルエが圧し掛かって肩口から顔を出す。今度ばかりは、すぐ隣にあるアルエの顔にドギマギする余裕もない。


「あのねっ! この人はサヤカ、わたしのママで、すっごく上手なイラストレーターなんだよっ!」


 やめてやめてやめて、私はそんな立派なもんじゃない。なにかの間違いでうっかりアルエの同居人になっちゃっただけの、ただのオタク女なの。


 唖然として私を見ている二人の目線に、とてもじゃないが顔を上げていられない。ずるずると椅子から滑り落ちるように、机の下に潜り込む。


「もう殺してぇ……」


 かすれた声でそう鳴くのが精いっぱいだった。

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