第9話

「あ、あの、アルエさん? どうしちゃったんですか?」


「ちょっと、なんなの?」


 困惑したシオネとリリシアに覗き込まれ、私はますますテーブルの下で縮こまった。


 二人の目線がしくしくと肌に突き刺さる。きっと奇妙な生き物を見る目をしているに違いない。私だって、つい今しがたまではつらつと話していた相手が、突然豹変してテーブルの下に潜り込んでしまったら、そんな目で見てしまうに決まっている。


 だが頭ではわかっていても、なんの心構えもなく相対させられた馴染みのない相手に、どう接すればいいのかが分からない。いや、ある意味とても馴染んだアルエのユニットメンバーではあるのだが、だからこそ、私なんかがどんな顔をして向き合えばいいというのか。


「も~っ! サヤカってそんなに人見知りだったっけ!? お仕事で知らない人に会っても、もっと普通にしてたじゃん!」


「無理無理無理無理……仕事では割り切って取り繕ってるだけで、私は基本人見知りの引きこもりオタクなの! ましてや無関係の私が【ふりーくしょっと!】の顔合わせに割り込むなんて、どんなに厚い面の皮しててもできるはずないでしょ!」


「無関係なんかじゃないって、サヤカはわたしのママなんだからっ! ほら、二人とも心配してるからっ」


「気味悪がってるんだよ、こんな突然現れたアラサーオタク女を心配なんて……」


「してるよ、ほら! 顔上げてっ!」


 頭を鷲掴みにしたアルエに、ぐいと顔を上げさせられた先に、好奇や奇異の目はなかった。二人の少女が、私を心から案じて様子を見てくれている。


「ねえ、ほんとにどうしたの。具合悪いの?」


「大丈夫、ですか? お水とか、持ってきましょうか?」


 頬が熱くなる。初対面で年下の女の子たちを不安にさせて、なにをしているんだ。仮にも社会人をしている冷静な私が、人見知り限界オタクの私の頬をひっぱたく。しかもこれじゃあ、恥ずかしい思いをするのは私ではなく、アルエだ。推しに恥をかかせていいはずがない。限界オタクな私も、人見知りの情けない私を引っぱたいた。


 震える膝に力を込めて、どうにか椅子に座りなおす。目線はまだ、落ち着きなくいじりあう両手を見ていたけれど。


「あ、その、えっと……驚かせて、ごめんなさい。私は、安方沙也加っていって、えっと……なんて説明すればいいのか」


「待って、本名は教えなくていいって言ったでしょ」


「わ、わかってますごめんなさい! けど、私はアルエの中の人でもないし、ハンドルネームもSaYaKaだし、っていうかそもそも名乗ってもわからないと思うんですけど」


「あれ……SaYaKaって、もしかしてアルエさんが前に話してた、いつか紹介したい大好きなイラストレーターさん?」


 大好き、って。


 はた、と思いついたように投げ込まれたリリシアの言葉に、私はますます挙動不審になる。なにそれ聞いてない。


「そんなこと言ってたんですか?」


 横にいる金髪少女を見ると、てへ、とでも言いたげに舌を出している。くそう、あざとかわいい。


「言ってたんですかって、自分が話してたんじゃない。というか、今更アルエの中の人じゃないって、意味が分からないんだけど」


 そりゃそうだ。さっきまではアルエとして話していたのに、いまになって違うと言われても、納得できるはずなどない。


「その、信じられないかもしれないけど、二重人格なの。私とアルエは。だから、私はアルエじゃないんです」


 ぽかん、と。効果音が聞こえてきそうなほど、虚を突かれたシオネとリリシアが、目を丸くして私を見つめている。たぶん、真央から初めて真相を聞いたときの私もこんな感じだったのかな。


「二重人格って、マジで言ってる?」


「ほ、本当に本当なんですか?」


 またアルエが、後ろからぐいと身を乗り出して顔を覗かせる。


「ほんとだよっ! わたしとサヤカはおんなじ身体の中にいるけど、まったくの別人なんだっ! サヤカってば、わたしがずっと一緒にいることにも、この間まで全然気づいてなかったくらいだもんっ」


 シオネとリリシアが、また目を丸くする。


「あ、また! すごいです、声も顔つきも、本当に別人みたいになってます!」


「気付いてなかった、って……どうしてそうなるの。本当に、そういうロールプレイとかじゃないの?」


「順番に説明するのも、ちょっと恥ずかしいんだけど……」


 黙っているわけにもいかない。恥を忍んで、二人にこれまでの経緯を説明する。


 私は本当に、ただVtuberが好きな、趣味で絵を描いてるだけのオタクだったこと。いつの間にか生まれていた別人格が、私の妄想デザイン画をもとに、鳥羽アルエとしてバーチャル受肉を果たし、Vtuberとして活動し始めていたこと。私は私で、全く気付かないままアルエのファンになり、ファンアートやらなにやら描きまくっていたこと。とうとうアルエがそれを配信内で紹介してしまったことをきっかけに、ついに全貌を知ることになったこと。


 こうやって整理してみると、徹頭徹尾荒唐無稽が過ぎて、全部私の妄想ではないかとまたしても疑いたくなってくる。


 けれどそんな胡散臭い話を、シオネもリリシアも、終始真剣な表情で聞いてくれた。


「そういうわけで、私は沙也加であって、アルエじゃないんです……今日も本当は、ずっと存在しないものとして引っ込んでようと思ってたのに、アルエに急に引っ張り出されて」


 一緒に暮らすようになって痛感したのだが、アルエはなんというか、徹底的に陽キャなのだ。推しがどうとかという枠を超えて、とにかく肌感覚が違う。今日の顔合わせだって、私だったら初めて会う相手にあんなフレンドリーさは出せないし、まず顔を出すのが怖くて二の足を踏んでしまう。


 けれどもアルエは、まったくなにも気にせずに、行きたいと思ったところにずんずんと突き進み、あまつさえ私のことまで巻き込んでしまう。連れだされた先はあんまりに未知の世界過ぎて、私は戸惑ってばかりだ。


 そして、そんな戸惑う陰キャな私を見た二人は。


「すごい、すごいです! 自分の中に知らないうちに別の人格が宿ってたなんて、まるでタイラー・ダーデンやジョニー・シルヴァーハンドみたいです!」


「……思ってた”事情”の100倍込み入ってたわ」


 なんて目を輝かせたり、あきれ顔をしながら、信じてくれているようだった。


「あ、ご、ごめんなさい、思わずはしゃいじゃったりして。自分の中に知らない人格がいたなんて、きっと大変ですよね」


 しかもこっちを気遣ってもくれる。天使なのかな? 例えに挙げてたのがどっちもテロリストだったけど。


「信じてくれるんですか? 自分でもめちゃくちゃな話だと思ってるのに」


「もちろんですよ! だってアルエさんは、そんなウソをつく人じゃないって、私たち知ってますから!」


「正直、いまいち疑わしいんだけど……」


 純朴なリリシアに比べれば、シオネの視線はやや懐疑的だ。至極まっとうな反応だと思う。突然二重人格なんて言われたら、誰だってそんな顔をする。


「けどまあ別に、そういう設定でVtuberやってるって話でも、別に変わりはないし」


 それでもまるきり否定しようとはせず、自分の中に落とし込んで納得しようとしてくれている。やっぱり天使なのかもしれない。


「ふふーん。二人なら、絶対サヤカのこともわかってくれると思ってたんだっ」


 横を見ると、なぜかアルエがめちゃめちゃどや顔をしていた。まあ、こんな素敵なユニットメンバーを見せられたら、そんな顔をしたくなるのも仕方がないだろう。


「じゃあ、このタイミングで会おうって言い出したのは、サヤカ……さん? が、アルエの存在に気付いたからってこと?」


「そうそう、それなんだけどねっ」


 事情を呑み込み、当初の質問に立ち返ったシオネが尋ねると、アルエは「ちょっと代わって」と私を立たせ、席に座る。「あ、代わった」「ほんとに別人の顔になるわね」少女たちの囁き声が聞こえる。私にはアルエの姿が見えているため、いまひとつ実感がないのだが、傍目には私の人相が入れ替わっているように見えるのだろうか。


 席に座ったアルエは、ずい、と身を乗り出す。


「もちろん、OKがもらえたから二人に会いたかったっていうのもあるんだけど、二人にサヤカを紹介もしたくってっ」


 陰と陽で真逆な私たちだけれど、それでもだんだんと、アルエの思考回路が分かってきたような気がする。この子は自分の大好きなものを、自分の大好きな人に見てもらいたい。たぶんだけれど、それしか考えていないのだ。その『大好き』の枠に自分なんかがいていいのか、とは思うが、とにかく彼女は、自分の好きなもの同士を引き合わせたい一心で、この場をセッティングしたのだろう。


 そう考えると、私の姿で勝手に出歩かない、という部分には気を利かせてくれるのに、私を彼女たちに紹介するときは、あんなに強引だったのかもわかる気がする。そりゃあ、最初から紹介されるって言われていたら、私は意地でも行かないと言っていただろうから。


 なるほど、なるほど。ならばまあ、驚きはしたけれど、紹介が終わった以上私の出番はここまでなのだろう。


「わたし考えたんだっ。サヤカにわたしたちの、公式イラストレーターになってもらうっていうのはどうかなってっ!」


 待っっっっっっっっっっっっっっっっって。

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