第38話

 というわけで、戻ってきてしまった私、安方沙也加であるが。


「マジでアタシらがどれだけ気を揉んだと思ってるスか。安方サンが消えても誰も悲しまないとか、本気で思ってたスか? 昔っから自己肯定感低いのは知ってたスけど、いつも言ってるスよね、アタシが好きなものを否定しないでほしいって。それも忘れてたスか?」


 盛大に怒られています。ガチ説教です。


 先日のアルエ活動開始一周年記念配信での私の帰還は、配信を通じてネット中の視聴者へと届けられ、それはもう大層な話題になった。切り抜かれ拡散され、本当に二重人格なのか、あるいは単にそういう設定なのか、それにしては唐突過ぎやしないか等々、ファンの間でも議論の的だというがそれはさておき。


 リアルタイムで観てくれていたシオネやリリシア、そして真央は、配信終了直後にビデオチャットで連絡をくれ、情けない出戻りとなった私を、心底歓迎してくれた。本当に頭が上がらない。


 そこまではよかったのだが。


 カメラ越しの通話では到底言いたいことなど言い切れなかったらしい真央に、久しぶりにリアルで会うなり正座させられ、仁王立ちからの説教をいただいている次第である。


「も、もちろん、真央が私の絵を好きって言ってくれたこと、忘れてたわけじゃないんだけど、あのときはいっぱいいっぱいでそれどころじゃなかったというか……」


「だからそれが忘れてるってことじゃないスか! 実際どんな様子だったか知らないスけど、安方サンはアルエの時間と自分の時間を天秤にかけて、アルエを選んだスよね。それで取り残される人のことちっとも考えずに。いっつもそうなんスから、いい加減にひとりで突っ走る前に一言相談することを覚えてほしいスけどねこっちとしては……!」


「ごめ、ごめんなひゃ、ひだだだだだだ」


 手加減なしでほっぺたをつねり上げられた。尖った爪が食い込むおまけつきだ。痛い。


「ともかく、今後はもう、こういう暴走は二度とごめんスからね」


「うう……今後はちゃんと相談します……心配かけてごめんね、ほんとに」


「わかってもらえたならいいス」


 解放されてもまだひりひりするほっぺたをさすっていると、その手にそっと、真央の温かい手が添えられた。膝をついた真央の顔が、すぐ目の前にある。


「ついでにもうひとつわかってほしいスけど、アタシが好きだって言ってるのは、イラストだけじゃなくて、安方サン自身のことスからね。前にも言った気がするスけど、あんまり理解してもらってなかったみたいなんで、何度でも言うスよ。アタシは、安方サンが好き」


「え、あ、う」


 真正面から真顔でそんなことを言われて、言葉が出てこなくなる。頬が熱い。いま絶対、顔が真っ赤になっている自信がある。


「返事は聞かせてもらえないスか?」


 ずるい、そんな、普段は絶対しない、甘えた顔をするなんて。


「わ……私も、真央のこと、好きだよ」


「ん、よかったス」


 どうしても気恥ずかしくて、俯いてしまう。けれどちらりと盗み見た真央も、ちょっと頬を赤く染めて、目を逸らしていたから、おあいこだ。


「んんっ」


 咳払いがひとつ、間に割って入った。


「ひとんちでイチャつかないでほしいんだけど」


 振り向くと、心底呆れた顔のシオネと、真っ赤になりながらも興味津々で見入っているリリシアがいた。なにを隠そう、ここはすっかりお馴染みの、シオネのマンションの部屋なのである。


「い、イチャついてるわけじゃ……」


「そうスよ。イチャつくならもっと過激になるスから。実演するスか?」


「真央ッ!」


 本気か冗談かよくわからない真央の手を払うと、真央は肩をすくめて自分の席に座りなおす。すると、入れ替わるようにリリシアがやってきて、私の手を取った。


「ちなみに、私もサヤカさんのこと好きですし、すごく心配したんですからね?」


 お? なんだろうこの展開は。


「う、うん、ありがとう。ごめんね」


「それにもちろん、シオネさんもですよ」


「え、いや、まさかぁ」


「は?」


 シオネの顔がすごいことになっている。美人なので、睨まれると普通に怖い。


「ほらっ、シオネさん!」


「いや、私は別に……そりゃ嫌いじゃないし、感謝もしてるけど。年上のくせにめんどくさいし、手がかかるし、放っておけないというか」


 ぐうの音も出ないくらいダメなところをリストアップされているのだが、不思議と嫌な気持ちにはならない。というか、さすがの私でも、これが貶されているわけではないことくらいはわかる。


「つまりどういうことですか、シオネさん?」


「なんなの今日のリリシア……まあ、好きか嫌いかで言うなら、好きだけど」


 思わず私は、土下座していた。


「ツンデレありがとうございます……!」


「そういうの普通にキモいから!」


 そんな私たちを、真央はけらけらと笑いながら見ている。


「すっかりハーレムじゃないスか、安方サン」


「うう。いいのかな、こんなにみんなに好きって言ってもらって、帰り道で刺されたりしないかな」


「いいんスよ。それに、同じくらい自分でも、自分を好きって言ってあげてほしいス」


 自分で自分を好きと言う、か。なかなか難しいけれど、それが出来なくてここまでみんなに心配をかけてしまったのだ。少しずつでも、改善していかないと。


 密かに決意を固める私の横で、ふと真央は首を傾げる。


「ところで、こういう話のときに一番に食いついてきそうな子が、妙に静かスね?」


「ああ、それは……」


 私は部屋の隅に視線をやる。妙に静かなアルエが、リビングの隅で、膝を抱え、こちらに背を向けて座り込んでいる。


「ふーん、だっ」


「アルエなら、なんかすっごいへそ曲げてるよ」


「だって、サヤカに戻ってきてもらうためとはいえ、Vtuberやめろなんてさ。やっぱりマオもみんなも、わたしよりサヤカのが大事なんだって、本気で寂しかったのにさ。最初っからサヤカに止めてもらう作戦だったなら、そう言ってくれたらよかったのにっ!」


 だそうだ。私もついさっき聞いたのだが、アルエの引退宣言が真央の提案だったと知ったときには、驚いたし、私とアルエを天秤にかけられたようで、ちょっとだけ腹立たしかった。そうさせてしまったのは私なので、文句を言う権利もないのだが。


 唇を尖らせているアルエの言い分を伝えると、真央はきまり悪そうに頬を掻いた。


「あー……悪かったとは思ってるスよ。でも本気で引退するつもりじゃないと、安方サンに気付かれちゃうかもって考えてたんで」


 シオネもリリシアも、その筋立てを聞いた上で、アルエに気付かれないよう賛成していたのだという。


「真央は、もし私があそこで止めなかったら、どうするつもりだったの?」


「え? んー、考えてなかったって言うか、安方サンが止めに入らないはずがないって思ってたスから……」


 なんでそんな確信を抱けるのだろう。


「だって、今回の件でもよくわかったスけど、安方サンとアルエ、実はそっくりじゃないスか」


「え?」


「そっくり? どこが?」


 思わずアルエと二人、顔を見合わせる。似ているところなんてあるだろうか。なにもかも真逆なのに。


「いっぱいありますよ! 二人とも、実は自分に自信がなくて、周りに置いて行かれないように、たくさん悩んでて」


「思い込みが激しくて、一度結論を出すと勝手に突っ走って」


 シオネとリリシアが指折り数えているけれど、確かに、まあ、否定はできないかもしれない。アルエにそんな一面があることは、いままで知らなかったのだけれど。


「で、お互いのことが大好きスから。だから安方サンなら、絶対にアルエと同じことをするって、そう確信してたスよ」


「同じことって……あ」


 そうか。どうしていままで忘れていたんだろう。


 私がアルエと初めて出会ったのは、投稿したイラストを消そうとしていた私を、アルエが止めに入ったのがきっかけだった。自分なんかがアルエに認知されていいはずがないなんて、拗らせた自意識を暴走させて、アルエに関わる創作をやめようとしていたときだ。


 すべてが鏡写しだったのだ。なるほど、確かにサヤカわたしアルエなのかもしれない。


「そっか……えへへ、そっかあ。うんっ! ありがとっ、マオっ! それと、疑っちゃって、ごめんね?」


 隣に来たアルエの言葉を真央に伝えると、真央はもう一回、少しだけわざとらしく首を傾げてみせる。


「それはいいスけど、なんで直接伝えてくれないスか?」


「え、う、それはほら、ちょっと恥ずかしいかなって……」


 妙に落ち着きなく、視線を逸らせたアルエの口ぶりに、ピンときた。私の別人格であるアルエは、表に出ていないときは、身体の感覚を共有していないのだ。そして私は、真央のお説教からいまこの瞬間まで、かれこれ十分以上正座し続けている。


 つまり。


 私は正座のまま、アルエの身体をがっしと掴む。


「え、ちょっ、サヤカ待って、ダメお願いそれだけは」


「ダメだよアルエ、謝罪や感謝の気持ちは直接自分の口で言わないと」


「わたしの口じゃないもんサヤカの口だもんやめてダメお願い足が待って足みゃああああああああああ!」


 悶絶するアルエを、私は笑って、真央はつついて、リリシアがなぐさめて、シオネは呆れた顔で見ている。いままでとほんの少しだけ変わった私たちのところに、私は帰ってきた。今更のように、そんな実感が湧いてくる。


 けれど、今日は遊びに来たわけではない。感慨に浸る暇もなく、シオネが席を立つ。


「ほら、そろそろ準備するよ」


「あ、はい、もうそろそろ時間でしたね」


「ま、待って……まだ足がぁぁぁ」


 今日は三人のユニット、【ふりーくしょっと!】の一周年記念、初のオフコラボ配信の当日なのだから。

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