第37話

 わたしは今日で、Vtuberを引退します。そう、マイクに向かって告げた、はずだった。


 なのにどうしてだろう。わたしは横から突き飛ばされ、ベッドにひっくり返って、カメラの前に座るわたしを見ている。いや、わたしアルエじゃない、カメラの前に座っているのは、サヤカだ。


「うそ、なんで……」


 そんなはずがない。サヤカは消えてしまったんだ。わたしに愛想を尽かして。わたしに身体を譲って。そのはずなのに。わたしがVtuberをしている限り、この身体に居座り続ける限り、帰ってくることはない。そのはずだったのに。


「サヤカ、なんで」


「なんで! なんで、引退なんかしようとするの!?」


 久しぶりに見たサヤカの顔は、大好きな笑顔ではなく、はじめて見るぐちゃぐちゃにゆがんだ泣き顔だった。


「な、なんでって」


「いまそう言おうとしてたよね!? Vtuber引退しますって、そう言うつもりだったよね!? どうしてそうなるの! 私はもう、私なんかからアルエを解放したくて、私なんかがアルエを縛ってちゃいけないから、だからもう二度と表には出ないようにしようって決めてたのに! なのになんで引退なんてことになるの!? もっとすごいVtuberになるんじゃなかったの!?」


 いきなり戻ってきて、いきなり浴びせられたサヤカの怒鳴り声に、頭が真っ白になる。


 なんで戻ってきたの? なんで怒ってるの? サヤカはわたしを見限って消えたんじゃないの?


「待って、待って、わかんないよ。サヤカがわたしを縛ってたって、どういう意味?」


「だってそうでしょ。私は、私が叶えられなかった夢も、持ち腐れてた承認欲求も、全部アルエに押し付けて、その上今度は、アルエの時間まで奪おうとしてたんだから! だから決めたんだよ、アルエは私なんかに縛られないで、もっともっと高みを目指してほしいって。そのためには、私は消えてしまった方がいいんだって……」


 突然いなくなって、突然戻ってきて、突然怒鳴られて。


 頭の奥がカッと熱くなって、目の前で火花が散った気がした。


「なにそれ……なにそれーっ! サヤカのバカっ、勝手なことばっかり言わないでよっ! サヤカの時間を奪ってたのはわたしのほうじゃんっ! いつもサヤカはわたしのこと見ててくれたのに、公式イラストレーターになってほしいとか、デートしたいとかわがままばっかり言ってたんだよっ! サヤカにはサヤカのやりたいことがあるのなんて、当たり前だったのに、わたし、自分のことしか考えてなくて……だから、だから……」


 違うのに、こんなことを言いたいんじゃないのに。


「サヤカがプロになったら、もうわたしのことなんか見てくれないんじゃないかって、そんなのやだってわがまま言って、だからわたしがサヤカに見放されちゃうのも当たり前で……!」


「どうしてそうなるの!? ただ私は、少しでもアルエのママとして、胸張って一緒にいられるように、自分でも結果を残していきたいって思ってただけなのに……私がアルエを見放したりするはずないでしょ! むしろ、アルエたちのネームバリューに便乗した卑怯者なんだから、軽蔑されるべきで、」


「サヤカがわたしを生んだんだから、わたしのものはサヤカのものだよっ! なのに、なのに……うわああああああん!」


 もう我慢なんてできなかった。不安と、不満と、言いたかったけれど言えなかったことをありったけぶちまけて、とっくに決壊していたわたしの感情は、最後の最後で大洪水を起こす。


「なん、なんで、なんでアルエが泣くの……ふ、ぅぐ……っ」


 そういうサヤカも、もうとっくに我慢の限界みたいで、両手で顔を押さえて、しゃくりあげながら嗚咽を漏らしている。


「ごめ、ごめんなさいぃ……いなくなっちゃやだよサヤカぁ……!」


「ぅぅぅう……わた、私も、ごめん、ごめんね……」


 あとはもう、二人してみっともなく謝りながら、のどが枯れるまで泣くばっかりだった。



 意識を閉ざしていた一週間。


 ぼんやりとした時間の経過だけを感じながら、私はひとり、暗く深いまどろみの中を揺蕩っていた。すべての感覚と感情を閉ざし、膝を抱えて、後悔の渦の中に沈み込んでいく。次第に、自分がどんな暮らしをしていたのか、誰と過ごしていたのか、顔も、名前も曖昧になって、私という意識が、つま先からだんだんと霧散していくのを感じていた。


 だって言うのに、未練がましいというべきか現金が過ぎるというべきか、アルエの配信が始まった途端に、私はアルエの中で覚醒した。こんな、存在しているのかいないのかも曖昧な状態でも、推しの配信を見逃すわけにはいかないなんて、人間の執着というものは底が知れない。


 ところが、配信でアルエがとんでもない話をし始めると、もう戻ることはないと決めたはずの身体に、私は飛び込んでいた。そうしなければ、きっと今度こそ取り返しのつかないことになると、根拠のない確信に突き動かされて。


 で、二人して大泣きして、ようやく荒ぶっていた感情が、落ち着きを取り戻し始める。アルエも目元を拭って、鼻をひとつすする。


「……サヤカ、ひどい顔してる」


 そして開口一番これである。さすがの私も、もう推しに遠慮とか、そういう段階は通り過ぎているのではっきり言うが、この子かなりのガキンチョだ。


「アルエこそ。絶対配信で見せちゃダメな顔でしょ」


「えへへ、だって……あぁっ!」


「な、なになに」


「わ、忘れてたっ! 配信!」


「え……あッ!?」


 そうだった。アルエが配信中に、引退宣言しようとしてるのを止めに入ったのだった。ということは。


 ≪お気付きになられましたかw≫

 ≪マジで泣いてるんだが≫

 ≪よかったねえよかったねえ≫

 ≪SaYaKaママおかえりなさい! はじめまして!≫

 ≪考えてること口にするのって大事なんだなあ≫

 ≪マジで二重人格? 普通に二人で話してるように聞こえる≫

 ≪や、雰囲気完全に別人だけど、確かに同じ人の声だわ≫


「待って待って待って待って嘘でしょ私の声も全部乗ってたのここまで全部!?」


 ≪はいwwwww≫

 ≪いい、親子喧嘩でした……≫

 ≪大丈夫! 泣いてたのは黙っておくから!≫

 ≪切り抜きしますね!≫

 ≪うーんこの≫


「あ、あはははっ。みんなに聞かれちゃった。わああ、さすがに恥ずかしいかもっ」


 ≪貴重な照れアルエ≫

 ≪とりあえず円満に終わりそうでよかった≫

 ≪もうこれで引退する必要ないんですよね?!≫


「あーっ、そうだったっ! あんなにみんなに心配かけて、やっぱり続けますって言うのもカッコ悪いけど……サヤカはもういなくなったりしないよね? なら、」


「……ます」


「え?」


 ≪あっ(察し≫

 ≪この展開は≫

 ≪落ち着いて、まずは深呼吸して≫

 ≪押すなよ、絶対押すなよ?≫


「消えます。探さないでください」


「ええーっ!? なんでなんでなんでなんで!?」


「当たり前でしょ私なんかがアルエの配信割り込んじゃっていいわけないファンの皆様に申し訳が立たない死にます殺してください」


 ≪wwwwwwwwww≫

 ≪だと思ったよ!wwwwwwwww≫

 ≪まあここまで盛大な事故みたいなもんだしなあw≫

 ≪アルエが言わなそうなこと早口で言いまくるのほんと草≫

 ≪いやー好きだわSaYaKaママwww≫


「お願いマジで無理ですこの先どんな顔して生きていけばいいのあああああ消え方が分からない! 前回はなにも考えずに意識を絶てたのに!」


「待って、待ってーっ! 落ち着いてサヤカ、もーっ! 話を聞いてってばーっ!」


 はちゃめちゃに締まらない配信にしてしまったことは、本当に申し訳ないと思っているけれど。


 ともかく私は、こうしてのこのこと戻ってきて、アルエに不本意な引退なんてさせずに済んだのであった。

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