第20話
「でもさ、わたしほんとにびっくりしちゃったっ。シオネがこんなお嬢様だったなんてっ」
やや緊迫をはらんだシオネの吐露から一転。アルエは、練習の合間の一服にと用意された、シオネのそれとお揃いのティーカップを矯めつ眇めつしながら、感嘆の声を漏らす。閑話休題とばかりに俎上に乗せられたシオネは、急に振られた話題に、煩わしそうに紅茶に口を付ける。
「だから別に、お嬢様とかじゃないってば」
「でもこのマンションって、パパやママに用意してもらったんだよね? 家賃すごそう」
「将来資産運用するつもりらしいから、分譲だけど」
「……女子高通ってたりしてない?」
「まあ、中高までは」
「子供の頃の習い事は?」
「ピアノ」
「お嬢様だよっ!!!!!!!!!」
完膚なきまでにお嬢様である。こればかりは私も、アルエに同意せざるを得ない。シオネは眉をひそめ、助けを求めるようにリリシアを見るが、頼みの綱は苦笑いで目を逸らしてしまう。シオネは孤立無援であった。
追い詰めておきながらすごいすごいと目を輝かせるアルエに、とうとうシオネの口から深々としたため息が漏れる。
「……親に恵まれたのは認めるけど」
不服そうに唇を尖らせると、テーブルに頬杖をついてそっぽを向く。わざとらしい態度の悪さが、拗ねた子供のようで可愛らしいと思ってしまったのは内緒だ。
「なにからなにまで世話してもらってるわけじゃないから。ここに住んでるのだって、やりたいことがあるなら自力でやってみろって言われたからだし。言っとくけど、学費も生活費も、それにこの家の設備も、全部自腹だから」
全部自腹? 当然のことだとばかりのシオネの言葉に、私は思わず身を乗り出してしまう。
「えっ、この家のもの、全部シオネが自分で買ったんですか?」
「は? あぁ、サヤカか……そうだけど、なに?」
「あ、いや、どうやってそんなに稼いでるんだろうって、びっくりしちゃって」
曲がりなりにも私だって、一人暮らししている社会人だ。仕事をして賃金を稼いで、そのお金で暮らしていく気苦労は知っている。
こちとら、家賃光熱費に食費消耗品費、生活に必要な出費を差し引けば、自由に使えるお金なんていくらも残らない稼ぎの身だ。ゲームや液タブを動かすためにと奮発して、向こうしばらくは使えるパワーマシンを買ったときは、しばらくひもじい思いをしたものだ。まあその投資のおかげで、アルエがゲームをしながらキャプチャソフトを動かして配信しても耐えられているのだが、代わりにカメラやマイクの性能はさして高くないのが実情だったりする。
そんな生活事情の身としては、どこからそんなお金が出てくるのか不思議でならない。この家の防音室の器材なんて、もしも私が請求書を突き付けられたら、卒倒してしまうような値段だろうことは想像に難くない。
するとシオネは、なぜだか不思議そうな顔をして首を傾げた。
「どうやってって……なに言ってんの、私らがなにしてるのか忘れてる?」
どういう意味だろう。アルエを見ると、私と同じようにシオネの言葉に怪訝な表情をしている。一方でリリシアは、お金の出所に心当たりがあるのか、今度は私に向けて苦笑いを浮かべていた。
「サヤカさん、私たち一応、一線で活躍させていただいてるVtuberなので」
そこまで言われて、私はようやくその収入源に思い至った。
「あ、そっか配信チャンネルの収益。え!? そんなに稼げてるんですか!?」
「広告収入や課金コメントでね。まあ、他でバイトもしてるけど」
「配信の同接がコンスタントに四桁行くようになって、だいぶ金額変わりましたよね。といっても、私はまだ高校生なので、口座は両親に預けてますけど」
そうだった。
こうして会って話すことにもそろそろ慣れ、つい忘れそうになってしまうが、彼女たちはれっきとしたネットアイドルなのだ。それも三桁万人のチャンネル登録者数を抱える、間違いなく一線級の人気者。動画が再生された回数に応じて振り込まれる広告収入はもとより、ライブ配信中に直接視聴者から金銭が投げ込まれる課金コメントでは、配信のたびに数万円分の投げ銭が飛ぶこともざらである。時間単位での収入は、私なんぞ比べるべくもない。
そしてこの場にはもう一人、同じだけの人気を持つ配信者がいる。
「それで思い出したんですけれど、アルエさんはチャンネルの収益化はしないんですか?」
「ああそれ、聞こうと思ってたんだった。いい加減収益化してもらわないと、コラボ配信もしにくいんだけど」
【ふりーくしょっと!】の中で唯一、配信サイトのチャンネルを収益化……つまり配信活動を通じて金銭収入を得ることをしていないのが、アルエなのである。
彼女たちは普段は、個人のVtuberとして動画投稿やライブ配信を行っている。そこまでであれば、収益化していなかったとしても、趣味で行っている配信者として報酬を受け取っていないだけの話だ。だが他のメンバーとユニットを組んでいる中で、ひとりだけ収益化していないとなると事情が変わってくる。同じユニットに所属しているにも関わらず、視聴者から収入を得るか否かに差がついてしまうのだ。
ひとりのファン目線としても、同じように応援したいのにアルエにだけお金を払うことができない、というのは複雑な心境だった。
「ユニットチャンネルで配信した分の収益は等分する、って決めてるけど、それも全く受け取ってないじゃん」
どういうことなのだろう。どたばたして頭から抜け落ちていたが、長らく疑問だった問題に、私はアルエを振り返る。
「言われてみれば、私も気になってたんだ。なんで収益化しないの?」
するとなぜか、ぼすっ、と拳を肩に入れられた。痛くはなかった。
「できなかったんだもん」
はて、できなかった、とは? 確かに配信チャンネルを収益化するには、一定の条件がある。だが承認されるために必要なチャンネル登録者数や、配信の実績はとっくにクリアしているはずだ。
「わたしじゃ銀行口座作れなかったんだから、仕方ないでしょっ!」
あ。
「そ、そっか、アルエには中の人がいないから……でも、私の名義を使って作る手もあったんじゃ」
「もうっ、わたしはサヤカの名前勝手に使うなんてことしたくなかったのっ! それにマオにも相談したけど、わたしのファン数じゃ間違いなく税金が問題になるからやめとけって、そう言われたんだもんっ」
考えてみれば当然の話だ。
鳥羽アルエは、バーチャルの世界では名の売れた大人気Vtuberだが、リアルの世界では私の中に生まれ住まう存在だ。当然、公的な身分など持っているはずがなければ、個人名義の口座を作ることも出来はしない。加えて、シオネがどれほどの収益を器材に投資しているのかを見れば、収益化した際の収入金額が相当なものになるのは一目瞭然だ。仮に私が気付かないまま、私の名義や口座を使われていたら、真央の言う通り将来的に税の申告に影響が出ていたのは間違いないだろう。
つまるところ。
「ああ、そっか、二重人格って気付いてなかったんだっけ」
「サヤカさんがアルエさんのことを知らなかったから、勝手に収益化もできなかったんですね」
がっくりと肩が落ちる。なんでもなにも、ないではないか。
「私の存在が原因だった、ってこと」
考えるよりも先に身体が動き、フローリングに膝と両手をついて頭を下げる。ファンたちがアルエにお金を払う機会を、アルエが収入を得る機会を奪っていたのは、他でもない私だったのだ。到底許されることではない!
「ちょ、ちょっとサヤカさん!?」
「ああもう、いちいち反応が極端」
「もう、もうっ! 絶対そういう反応すると思って言い出せなかったのっ! サヤカはなんにも悪くないでしょっ! それにほらっ、わたし個人としては別に収益化してもしなくても、どっちでもいいかなって感じだったしっ!」
慌てて駆け寄ってきたアルエに肩を掴まれるが、フローリングから額は外せない。
「でも結果としてはアルエの、【ふりーくしょっと!】の活動まで阻害してたわけで……殺して! むしろ腹切って死ぬ!」
「だーかーらーっ!」
おわっ。
両脇に腕を差し込まれ、力強く身体を持ち上げられる。力技で上げさせられた顔の前には、優しく微笑むリリシアがいた。
「落ち着いてください。サヤカさんが死んじゃったら、アルエさんまで一緒に死んじゃいますよ」
「う、それは……でも……」
「とにかく、落ち着いてください」
窘められながら、リリシアに席に降ろされる。この子、見かけによらず力が強い……。
「まあ、事情はわかったけど。だったら、サヤカが許可すれば、なにも問題ないってことでしょ」
対面でシオネが、呆れた顔をしながら、なんでもないというように結論付ける。
そうだ。なによりもまずやらなければならないことは、それだ。
「も、もちろんなにも問題ないです! というか、すぐに口座とか用意するから、チャンネル収益化の申請しよう、アルエ!」
「ほんとにっ!? やっっっったーーーーーーっ! ありがとサヤカっ、大好きっ!」
「待って抱き着くのは胸がまばばばばばばば」
こっちが座ってるのに立って抱き着かれたらちょうど顔の位置が胸にですね!?
「まったく、いちいちお祭り騒ぎし過ぎ」
「でも、その方がアルエさんとサヤカさんらしいです」
罪の意識と激しいスキンシップに揉まれる私の耳に、呆れたような、微笑ましく見るような二人の声を聞く余裕など、もちろんないのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます