第4話
そっち行くスよ、と真央に言われたが、私は首を横に振ってそれを断った。
この部屋にいると、またなにが現実でなにが夢か分からなくなりそうだったし、このアルエらしき存在と二人きりというのも、いろんな意味で私のメンタルが保ちそうになかったからだ。限界アラサーインターネットお絵描き女のメンタルは豆腐なのだ。
真央と待ち合わせた駅前の繁華街まで来ると、さすが週末だけあって、もう深夜だというのにまだ通りには人の気配があふれている。普段なら人混みも、酔っ払いたちの無遠慮な笑い声も苦手なのだが、この時ばかりは、誰もが私と無関係に思い思いの夜を過ごしているという事実に、この世界は夢ではないようだと安心感を覚える。
ただし。
「わー! こんな時間に駅前来るのって初めてだよねっ! あっちもこっちもすっごくきらきらしてて、なんだかわくわくしちゃうなっ!」
なんて言う自分が一番きらきらしている推定鳥羽アルエの存在が、ますます私を混乱させる。
アルエらしきものは、部屋を出る私に当然のようについてきたし、マンションを出て駅前に辿り着いてもやっぱりそこにいて、目に映るものすべてが目新しいかのように、きょろきょろと落ち着きなく辺りを見回している。
「サヤカってば、お休みの日もあんまり部屋から出ないんだもん。こんなに楽しそうなものがいっぱいあるのに、ちょっともったいないなって思ってたんだよっ!」
「うぐ」
そして、唐突に陽の言葉で陰の者の脇腹を刺してくる。
「ご、ごめんなさい、引きこもり気質で……」
「あっ、あっ、ち、違うよっ! 別に全然悪くなんかないって言うか、おうちってやっぱり一番落ち着くもんねっ! あと、えっと、ゲームもできるし!」
フォローがますます刃を深く突き刺す。アルエはやっぱり太陽なんだなあ……陰に生きる人間にはその光は強すぎるんだ……。
けれども、見るからに現実離れした少女が周囲はばからず大声を出しているのに、道行く人は誰も気に留める様子がない。ましてや鳥羽アルエと言えば、個人Vtuberの中ではかなりの大御所だ。誰もが何かしらの形でインターネットに接続している今時分、通りがかる人々の誰一人としてアルエを知らないというのも、少しばかり考えにくい。
ということは、やっぱり。
「安方サン、お待たせしたス」
「あ、真央……」
小走りでやってきた真央は、レザージャケットにへそ出しパンツスタイルなんていう、いつも通りの強そうなファッションだ。
「真央ぉ」
その姿を見たとたん、推しに認知されてしまったこととか、いるはずもない推しが現実にいるように見えることとか、この数時間で私の身に降りかかった処理のできない出来事たちが、一斉に脳裏を駆け巡る。とどめの一押しが加わると、とっくに許容量を超えていた感情はとめどなく目からあふれ出てきて、堪えきれずに真央に縋り付いてしまった。
パンクファッション美人に部屋着に毛が生えたようなオタク女がしがみついている絵面は、だいぶ周囲の目線を集めてしまって申し訳ないと思うけども、私はもう正直いっぱいっぱいでそれどころではないので、どうか許してほしい。
◆
「にじゅう……じんかく?」
どうにかなだめすかされた私と、真央と、ついでに当たり前についてきたアルエらしき存在が入ったのは、24時間営業のカラオケボックスだ。屋内で、個室で、人目を気にせずゆっくりと話せる場所と考えると、他にいくつも選択肢はなかった。
そうして通された狭い個室で、落ち着いて聞いてほしいス、と前置きを付けて出てきた真央の言葉に、私は素っ頓狂なオウム返しをするのがやっとだった。
「待って、待って。え、どういうこと、全然呑み込めないんだけど。誰が誰の二重人格?」
「や、もういま言った通りス。Vtuberの鳥羽アルエは、安方サンの二重人格……これだと日本語おかしいスね。安方サンは二重人格で、アルエが安方サンの副人格なんスよ」
「……?」
つまり?
「鳥羽アルエは、いない?」
「いるかいないかって言ったら、いるスけど、現実にはいないっていうか」
「んん……えっと? じゃあ、これは?」
隣を指さすと、覗き込むように私たちの話を聞いていたアルエが頬を膨らませる。
「コレって、失礼だよもうっ!」
ぷんすこしている姿は推しそのもので、こんな状況でさえなければ、眼球に穴が開くほど焼き付けて脳内メディアに永久保存なのだが。
「安方サンには、そこにいるように見えるんスね。いまアタシにはアルエの姿は見えないスけど、配信のときのアバターがそのまま動いてるスか?」
「うん、そう……あれ? けど真央、さっきこの子と話してなかった?」
ビデオチャットで最初に真央を呼び出したのは、真央には見えないはずのアルエなのだから、それでは説明がつかない。
「わたしだってマオとおしゃべりできるよっ! 配信だって、いつもこうやってたんだからっ!」
「ひぇっ」
アルエは後ろから圧し掛かるように私の肩口から顔を覗かせていてつまり顔が、推しの顔が近い!
「いまのはアルエが言ったスよね。最初にアルエと話たときは、ほんとめちゃめちゃ驚いたスよ。姿はどう見ても安方サンなのに、全然別人みたいに振舞うんスもん」
どうやら真央には、私が鳥羽アルエとして話しているように見えているらしい。なんとなくわかってきた、つまり。
「鳥羽アルエって言うのは、私の中にいる別の人格で、私の目にはアバター姿で行動してるように見えるけど、実際は入れ替わるように私の身体を使ってる……ってこと?」
「だいたいそんな感じスね」
「やっとわかってくれたんだっ! もー、これで理解してもらえなかったら、どうしようかと思ってたよ」
二人ともほっと胸を撫でおろしているから、どうやらこの理解であっているらしい。なるほど、なるほど。
「嘘だーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
「なんでーーーーーーーーーーーー!?」
「そうスよね! 安方サンそんな簡単に納得しないスよね!」
「するわけないでしょ! アルエが私の別人格って……だって私、いつもアルエの配信を生で見てるんだから! どう説明付けるの!」
真っ先にぶつけた疑問に答えたのは、顎先に人差し指を当てたアルエだ。
「んっとね、わたしが配信してるとき、サヤカはわたしの中から配信を観ててくれたんだよっ」
「安方サンの認識ではただ配信を観ていただけなんスけど、実際には全部安方サンの身体が、安方サンのパソコンで配信してた、ってことス。アルエって別人格が起こした行動は、安方サンの記憶には残らないようになってたみたいスね」
「嘘嘘嘘嘘……声、じゃあ声は? どう聞いても別人の声でしょ? それともアルエのときはボイチェン使ってたの?」
「あー、アタシもそれびっくりしたスけど、安方サン、アルエのときはほんと別人みたいな声出てるスよ。なんかそういう訓練でもしてたのかってくらい」
「訓練なんてしてるわけ……」
あ。してた、ことはある。
心臓がひとつ飛び跳ね、背中がじっとりと湿っぽくなる。息が苦しい。顔が熱い。ダメだ、思い出しちゃダメ。
「サヤカ、サヤカっ! 落ち着いて、大丈夫だよ。ごめんね、いやな話だったよね」
うずくまった背中を、暖かい手がゆっくりと撫でてくれる。すぐ近くで覗き込んでくる碧い瞳は、本当に心配そうで、少し潤んですらいる。
ああ、この子は。ただただ一心に私の身を案じてくれて、心の底から優しくて、太陽みたいで。もしかすると、本当にずっと私が推していた鳥羽アルエなのかもしれない。そう信じたくなってしまう。
「大丈夫スか、安方サン。ごめんなさい、アタシなんか変なこと言っちゃったスか」
「ごめん、平気、なんでもないし、真央は悪くないから。でも、まだやっぱり信じられない」
ふう、と真央の鼻からひとつ息が漏れる。
「まあ、無理もないスよね。急にこんな話になって。アタシは、アルエが安方サンのイラスト紹介するって言いだしたとき、やめとけって言ったスよ」
「だってサヤカってば、いっぱいファンアート描いてくれてるのに、絶対タグ付けてくれないんだもん。わたしは早くみんなに紹介したくて……あっ」
なにを思いついたのかアルエは、急にぱっと瞳を輝かせると、ちょっと貸して、と私のポケットからスマートフォンを取り出して操作し始める。顔認証突破できるんだなと、しょうもない感想が頭の片隅にぼんやりと浮かんできた。
「ほらこれ、これ見て!」
ぐい、と差し出された画面に表示されているのは、私のアカウントでログインしているオンラインストレージのファイル一覧だった。細い指先がファイルの中のひとつをタップすると、一枚のイラストが表示される。
セミロングヘアの少女を、正面と、真横と、真後ろから描いた三面図。これは、デザイン画だ。説明されなくてもわかる。目の前にいる、鳥羽アルエの設計図。けれど、そんなことより重要なのは。
「これ、私のイラスト……?」
線の引き方、顔や身体を描くバランスに、あまりにも見覚えがありすぎる。
「そうだよっ! ほら、日付見て。わたしのデビュー日よりずっと前っ! わたしがサヤカから生まれたって、なによりの証拠!」
「で、でも、私こんなの描いた記憶……あ」
思い出した。これは、いつだったか戯れに描いた、私の理想のVtuberの妄想デザイン画だ。元気で明るくて、みんなの親友みたいなVtuber。アルエって名前だって、私が考えた。
どうして今まで忘れていたのだろう。
「ある日アタシのところに、突然安方サンじゃない安方サンから連絡がきたスよ。このデザインで、アバターを作ってほしいって。自分はVtuberになるために生まれた、鳥羽アルエなんだ、って」
「でも、でもじゃあ、アルエのママとパパって」
「うんっ! サヤカがわたしのママで、マオがパパだよっ! やっと一緒にお話しできて、わたしほんとにうれしいんだっ!」
そんな。そんなのって。
「解釈違いーーーーーーー!!!!!!」
「なんでーーーーーーーーーーーー!?」
「まーたなんか始まったスね……」
「アルエみたいな太陽が私みたいな陰の者から生まれるなんてありえない……! あっちゃだめなのそんな設定!!」
「ええ……このママめんどくさい……」
「そうスよ。安方サンは超めんどくさいスよ」
推しと親友の呆れ果てた声なんて聞こえない。聞こえないったら聞こえない。耳を塞いでるからとかではない。だって、そんな、推しが私の中にいて、私に笑いかけて、私の名前どころか、ママと呼んでくれているなんて、あんまりに都合がよすぎて。
仕方ないスね、と。暴走した私をなだめるときの、真央の深いため息が聞こえた。
「安方サンが推しに認知されたくない人なのは知ってるスけど、冷静に考えてほしいスよ。アタシがパパで、安方サンがママってことは、アルエは……?」
「……私たちの子?」
「ってことで、認知してあげてくれないスかね」
なにその、殺し文句。のろのろと顔を上げると、真央は少し困ったように笑っている。その隣で、捨てられた子犬のような顔をしたアルエ。うう、推しにそんな顔をさせたいわけじゃない。というかもう、内心では認めてしまっている。
どうやら、私の中に、推しがいるらしいと。
「あの、これ、なんて言うのが正解なのかわかんないんだけど、こ、こんなママでよければ……?」
恐る恐る差し伸べた手に、うわ、うわ、アルエの瞳が大きくまん丸く見開かれて、輝いて、きらきらと星が瞬いて。
「やったーーーーーーーーーーー!」
「おふぁあっ!」
らんらんと目を輝かせた推しに飛びつかれて、変な声が漏れる。そのままひっくり返った私の胸に、アルエはぐりぐりと頭を押し付けてくる。ひ、ひぇぇ、心臓が保たない……っ。
「サヤカ、わたしの一番のファン、わたしのママっ! やっと認知してくれたっ!」
「自分で言っておいてなんスけど、めちゃめちゃ最低なママに聞こえるスね」
「やめ、やめてええ……」
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