第22話

「32万と、6,500円……」


 モニタに表示された金額は、私の思考回路を停止させるのに十分な威力を持っていた。326,500円。ついさっきまで行われていた収益化報告配信で、アルエに向かって投下された投げ銭の総額だ。配信時間にしておよそ2時間。後半は特に大きな告知もない雑談配信であったが、収益化へのご祝儀を含めて、わずか2時間で稼ぎ出した金額がこれである。


「わーっ! すごいねっ、ホントにこんなにもらっちゃっていいのかなっ。サヤカはどのゲーム買ったらいいと思うっ!?」


 横から画面をのぞき込み、無邪気にはしゃいでいるアルエだが、金額として彼女の人気ぶりを目の当たりにしてしまうと、もはやこの瞬間にもお金を払わなければいけないのではという気持ちになってしまう。というか、たった1回の配信で、収入はすでに私の月収を超えている。


「う、うん、なんなら全部買っても余裕過ぎるくらいだけど」


「全部っ!? そしたらこの先の実況配信、ずっと死にゲーになっちゃうよっ!?」


「さすがに疲れちゃうかな」


 どこかずれたツッコミに、そうだよっ、と頬を膨らませるアルエは、また画面を見て、へにゃりと蕩けるようにほほ笑んだ。


「でも……嬉しいなあ。これだけみんながわたしのことを見て、楽しんでくれてるってことなんだよね」


 そうだよ。それは間違いのないことだ。この子は、これだけ望まれているVtuberなのだ。私の中に生まれていた、まぶしくて仕方がない私の推し。


「よーっしっ! わたし、これからもっともっと頑張っちゃうよっ! まずはわたしの1周年配信、それにユニットの1周年配信も成功させて、もっとたくさんの人にわたしを見てもらうんだっ!」


 今から3週間後、アルエの活動1周年を記念した配信を予定している。すでに配信やSNSでも告知済みで、いろいろと企画やお披露目の準備も進んでいる。【ふりーくしょっと!】の1周年配信はその翌週だ。こちらへ向けても、ユニット曲の練習や収録など予定は目白押しで、今月はなかなかハードなスケジュールになりそうである。


 忙しいのはアルエばかりではなく、私もだ。二つの記念配信のために用意するイラスト作成も、もう大詰めに入っている。私の身体は二人分の忙しさに追われ、ここ何日かは睡眠時間をだいぶ削っているが、もうひと踏ん張りしなくては。


 それに、その先のことへも目を向けていきたい。


「私も頑張るから」


「えっへへっ! サヤカがわたしたちにイラストを描いてくれるなら、もう百人力だよっ!」


「あ、うん、もちろんそれもなんだけど」


 含みを持たせてしまった私の言葉に、アルエは首を傾げる。


「他にもなにかあるの?」


「えっとね……落ち着いたら、イラストコミッション、始めてみようかなって思ってるんだ」


「コミッションって、お金もらって絵を描くやつ、だよね?」


 イラストコミッション。つまりは個人から依頼を請けて、報酬と引き換えにイラストを描いて納品する活動である。


「えっ、えっ、サヤカどうしちゃったの? 前は、描いても誰にも見せたくない、なんて言ってたのに」


「やー、まあ、そうなんだけど。なんて言うか、ちゃんとアルエのママでいたいから……かな?」


 いままで私は、ただ趣味でイラストを描いては、ほとんど誰とも繋がっていないSNSに投下するだけだった。誰かに評価されるような場所に披露するのも怖かったし、その価値もないと、そう思っていた。


 けれどアルエのママとして名乗りを上げてからというもの、シオネたちも私のイラストを評価して作品を依頼してくれているし、紆余曲折の末ではあるが、アルエのファンたちにも好意的に受け入れられ、SNSのフォロワーも急増している。だからもう少しだけ、自分の実力を信じてもいいのかもしれない。恥ずかしくて死にたくなるときもあるが、それでも多少は卑屈にならず、そう思えるようになった。


 同時に、私がいまもらっている評価は、アルエが培ってきた人気にあやかっている部分が大半であることも、また事実だ。


 だからこそ私は、私の実力を試してみたい。アルエたちから離れた場所で、私個人としての作品がどれほど評価され、どれほど認められるのか試してみたい。


 そうして実績を作ってこそ、私は初めてアルエのママとして胸を張れるんじゃないだろうか。そう思ったのだ。


 まあそれに、やっぱり私にも承認欲求ってものがあったのだ。誰にも見せたくない、なんて言いながら、鍵もかけていないSNSに投下していたわけだし。


「始めたところで依頼なんて来るか、わからないけどさ」


「そんなのっ! 来るよ、絶対いーっぱい依頼されるに決まってるよっ!」


「そ、そうかな? そうなったら嬉しいけどねえ。まあどうせ高望みするなら、ゆくゆくはプロを名乗れるくらいになれたらいいなー、なんて」


 なんにせよ、いまのままの私では、アルエには到底不釣り合いなのは間違いない。アルエだけじゃない。シオネもリリシアも、なんなら真央だって、私よりもずっと先にいる。惰性と妥協でだらだらと契約社員をしている私のままでは、ずっと置いてけぼりだ。もう、そのままの私ではいたくない。


 この決意を、きっとアルエも応援してくれる。私はなんの根拠もなく、そう思い込んでいた。


「で、でも、そうしたらまた、すっごく大変になっちゃわない? お昼はお仕事して、夜やお休みの日は絵を描いて……わたしの時間もあるから、いまも寝るの遅くなっちゃってるし」


 いたのだが……?


「そこはまあ、どうにかやりくりしていくよ。絵で食べていく、なんていつになるかわからないから、すぐには仕事もやめられないし」


「あっ、でもほらっ、わたしもお金稼げるようになったよっ! もうお仕事しなくても大丈夫じゃないかなっ!」


「待って待って、そりゃ全然アルエのほうが稼げるだろうけど、推しに養ってもらうとか私の魂が耐えられるわけがないから!」


「じゃあじゃあ、わたしがイラストをお願いして、それに報酬を払うっていうのはっ!」


「確かにそれも仕事だし、公式イラストレーターだし、アルエたちの依頼はむしろ喜んで描くんだけど、いま話してるのは、アルエたち以外のイラストで仕事を請けたいってことだから……」


 どうしたのだろう。こんなに煮え切らない態度を取るアルエを、私は見たことがない。


「もしかして、アルエは私がイラストコミッション始めるの、反対なの……?」


「そ、そんなことないよっ! サヤカなら絶対すぐに大人気になっちゃうって!」


 恐る恐る尋ねると、アルエは首を振って否定する。けれど、金の髪をぶんぶんと振るしぐさがいかにも大げさで、どうしても私には、それが本心からの言葉には思えなかった。


「あっ、そうだっ! あのさ、サヤカはお仕事として、わたしたち以外のイラストが描きたいってことなんだよねっ?」


 なにを思いついたのか、アルエはぽんと手のひらを打って上目遣いに私を覗き込む。


「まあ、そう……かな?」


「だったら任せてっ! ぴったりの話があるんだっ! あ、もちろん、わたしからの依頼じゃないからねっ!」


 自信満々に豊かな胸を張るアルエの姿に、私は思わず首を傾げた。


 はて、イラスト作成の依頼を持ってくるような相手なんて、どこで知り合ったのだろう。アルエは人気と知名度こそ高いものの、物理身体が存在しないという事情も相まって、配信以外で接している相手はほぼいないはずだ。少なくとも私は、最初から全容を知っていた真央と、ユニットを組んでいた【ふりーくしょっと!】の二人以外には、アルエ知人友人の話は聞いたことがない。まだ私の知らない知り合いがいたのだろうか。それとも、どこかでイラストレーター募集の告知でも見たのか。


 いずれにしても、コミッションの話をしてから、アルエはどうも様子がおかしい。いやに歯切れの悪い素振りを見せたかと思えば、今度は仕事を斡旋するようなことを言い始める。


 アルエがなにを考えているのか、よくわからない。


 彼女の存在が発覚してからの日々の中で、私はこのとき、はじめてそんな不安を抱いたのだった。

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