第11話
「というわけで~」
ベッドに腰かける私の視線の先で、アルエはパソコンに向かい、大きく手を広げながら元気な笑顔を見せている。配信画面に映るシオネとリリシア、そしてコメント欄も、次に聞こえてくる言葉を今か今かと心待ちにしている。
「大発表っ! なんとわたしたち【ふりーくしょっと!】の、活動1周年記念配信が決定したよ!」
『しかもだ! なんと今回は、私たちとしては初めての、オフコラボ配信となる!』
≪やったあああああああああああ≫
≪きたあああああああああああ≫
≪もう1周年か、はやいなあ≫
≪有給取ります≫
≪オフコラボ、だと……!≫
≪有給ないので風邪ひきます≫
≪社畜ニキおつ……≫
≪そういえばオフコラボ初めてだよね≫
≪1周年配信なにするのー?≫
『当日にも大きい発表がある、とだけ言っとくけど、詳細はお楽しみに。いろいろ準備してるから』
≪あっ≫
≪シオネちゃんが、いろいろ、準備!≫
≪ほほう≫
≪絶対今シオネちゃんも待ちきれなくてそわそわしてるとみた≫
『してないから』
≪ほんとでござるか?≫
≪ほんとでござるか~?≫
≪正直に言ってごらん? ん?≫
『してない』
「えーっ! シオネもすっごく楽しみにしてるよねっ! わたしももう、決まってから毎日夜も眠れなくなっちゃってるんだからっ!」
『いやいや、当日に備えて夜はしっかり寝てくれたまえよ。なんて、かくいう私も、今日の発表がすでに楽しみで仕方がなかったんだけれどね。ここまでやってこれたのも、私たちを応援してくれている皆の愛があってこそだ!』
『それ1周年当日に言うべきじゃない?』
「あははっ、でもみんなのおかげなのはほんとだからっ。当日は、みんなにいっぱいいーっぱいお返ししたいと思ってるよ!」
≪めちゃめちゃ楽しみ≫
≪愛をもらってるのは私たちの方なのに≫
≪どこに振り込めばいいですか≫
≪いっぱい……お返し……ごくり≫
≪アルエをいやらしい目で見るな警察です≫
≪アッー≫
この配信を観ている誰もが、来る【ふりーくしょっと!】1周年記念配信というお祭りの予感に、昂揚し、胸を高鳴らせ、心を躍らせている。もちろん私だってそうだ。少しばかり内情を知ってしまっているが、それでもひとりのファンとして、当日の配信を心待ちにしている。
けれども私は、その昂揚に全身を預けることは出来ない。もちろん、彼女たちからの頼みごとを保留にしている、という負い目があるからだ。
あの初顔合わせの日。結局私は、返事を待ってもらうようお願いするに留まった。無理強いはしないと言ってくれるシオネとリリシア、そして絶対説得してみせるから、と息巻くアルエに申し訳ないと思いながら。
そしてあれから一週間。私はいまだに答えは出せずにいる。
「ねえ、お願いだよサヤカ~。わたし、この記念配信、いままでで一番いいものにしたいのっ! だから、力を貸してっ!」
告知配信を終えたアルエにそう頼み込まれても、首を縦に振ることができない。かといって、横に振ることも出来ないのだから始末が悪い。
「もしかして、ホントはわたしたちのイラスト、描きたくない? それとも、曲が気に入らなかったっ!?」
「まさか、そんなわけない!」
慌てて首を横に振る。これは断言できる。
私はアルエたちのイラストを描くのが好きだし、もちろんこの曲と配信に向けた意気込みもわかっている。
それに、シオネから送られてきた【ふりーくしょっと!】のユニット曲は、素人の私の耳でも、間違いなく名曲になると断言できる出来栄えだった。打ち込みのピコピコとしたメロディが楽しいアップテンポなポップスで、三人の特徴を表現した歌詞には、パートごとに歌や演技やゲーム、それぞれのあふれんばかりの好きが詰まっている。なにより、駆け上がっていくようなサビでは、これからもっともっとVtuberとしてビッグになりたいという、どん欲なまでの熱意が叩きつけられる。
一曲の中に、【ふりーくしょっと!】というユニットを表すすべてが盛り込まれているようだった。
だからこそだ。
だからこそ、この曲の発表を私のイラストで飾るなんて話に、おいそれと頷くことができずにいる。
「だって、もし私なんかが描いて、イメージぶち壊しにしちゃったらって思うと……」
「絶対そんなことにならないってっ! いつもわたしたちのこと描いてくれてたじゃん! もう、どうしてやる前からそんなに怖がってるのっ」
どうしてだろう。いや、理由はわかっている。私は、どうしようもなく中途半端な人間だから。きっと今回も、最後までやり遂げられずに終わってしまう。
ベッドの上で膝を抱え、俯いて首を振る。アルエの目を見ることもできず、それが精いっぱいの返事だった。
「むー……っ! もうわかったっ! サヤカがそこまで強情なら、こっちにだって考えがあるよっ」
「考え?」
なにか不穏なことを言い出したアルエの言葉に顔を上げる。ベッドの脇に立つアルエは、頬を膨らませ、腰に手を当てて仁王立ちしている。
「助っ人を呼びますっ!」
そして、胸を張って声高らかにそう宣言した。
◆
「で、アタシが呼ばれたってわけスか」
「そう! もうわたしだけじゃ全然頷いてくれないから、マオからも説得してほしいのっ!」
アルエが突然、スマートフォンで誰かに連絡をし始めたかと思えば、程なくして私の部屋を訪れたのは、やはりというべきか、真央であった。急いで来てくれたのだろうか、いつもよりメイクは大人しめで、洗いざらしのデニムパンツを履いている。
「ご、ごめんねほんとに、まさかうちに呼び出してるなんて思わなくて」
「や、全然大丈夫スよ。むしろ安方サンの部屋、久しぶりに来れて嬉しいス」
ペットボトルから注いだお茶を出しながら覗ってみれば、こんななにもない部屋だというのに、言葉の通り真央はどこか満足げだ。こちらの都合で呼びつけてしまった申し訳なさが、いつもと変わらず楽しそうにしている姿に安心する気持ちとぶつかり合う。安心の方が少し勝って、私はほう、とひとつ息を吐いた。
「それでまあ、アルエからだいたいは聞いたスけど、安方サン、なにをそんなに渋ってるスか」
そして、いつもと変わらず単刀直入だ。
「それは、その……」
「いまの安方サン、きっとまた自分であれこれ抱え込んじゃって、頭ン中ぐるぐるしてる状態スよ。話してみたら整理できるんじゃないスか?」
確かに、そうかもしれない。
いや、でも、なにが引っかかってるのかと言えば、真央にも話したことのない、消し去ってしまいたい恥ずかしい過去だ。
「安方サン」
もじもじと膝の上でこねていた手を、そっと真央が握ってくれる。
「別にどんな理由で悩んでたって、アタシは笑わないスから。むしろ、安方サンの話、聞かせてほしいス。たぶん、アルエもそうなんじゃないスか?」
「もちろんっ! ね、ね、聞かせて、サヤカ?」
ずるい。そんな言われ方をされて、これ以上心配かけられないじゃないか。こうなってはもう、開けるしかなかった。記憶の奥底にしまって忘れようとしていた、苦い記憶の蓋を。
◆
私にはひとつ、夢があった。
まだ高校生だったころだから、かれこれ10年以上前のことだ。
当時すでにどっぷりとオタクの道に進んでいた私は、あるアイドルアニメに出会った。光り輝く舞台に憧れ、ときに傷つき、ときに挫けそうになりながらも、ひたむきに努力を重ね、靴底をすり減らしながら夢へのきざはしを登っていく、少女たちの物語だ。
幼稚な私は一発で感化され、自分もそんな世界を夢見てしまった。身の程知らずにも。
もっとも、そのままアイドルを目指していたわけではない。私が夢見たのは、声優だった。アイドルアニメのステージイベントで、実際に歌って踊るような、いわゆるアイドル声優だ。
いまにして思えば無謀にもほどがあるが、当時の私はそれなりに本気で目指していたと思う。教本を買ってボイストレーニングをしてみたり、自分とは全く違うキャラクターを演じる練習をしてみたり。私の身体から鳥羽アルエとしての声が出るのは、きっとその時の名残なのだろう。
で、ある日、その姿を家族に見られた。
私の家族はオタクではなかったし、ほんの少しばかり、無神経だった。だから真っ先に飛んできたのは、笑い声だった。「あんたなにやってんの?」と。
それだけだ。
たったそれだけで、私は折れた。それ以来、誰かに何かを披露するのが怖くて仕方なくなって、当然声優になるなんて夢も、挑戦すらしないまま、そっとなかったことにしてきた。
私は、プロでも批評家でも、理解者ですらなかった人の笑い声で、あっさりと挫けてしまうような人間だったのだ。
だから、私の夢の話はそれきりだ。それきり、本気でなにかを目指そうとなんて、思ったことがなかったから。
◆
はあ。
澱のように胸の奥にたまっていたものを言葉にして吐き出して、私は深々と息をつく。改めて振り返ってみると、なんて情けない話なのだろう。自意識過剰だったひとりの身の程知らずは、笑い声たったひとつで挫折するような根性なしでもあった、というだけの話だ。
「だから、さ。私みたいな根性なしが、そんな大事な仕事を引き受けても、また途中で投げ出しちゃうんじゃないかって思って」
ほかにもある。
「逆にイラストは、ホントに趣味で描いてただけで、勉強とかもしたけど全身全霊打ち込んだ! って感じでもないし、それでプロの真似事なんて、おこがましいよ。SNSに上げてもタグ付けしなかったのは、やっぱり大勢に見られるのが怖かったからだし。だから、その……」
私なんて、【ふりーくしょっと!】の晴れ舞台を飾るのに、ふさわしくない。
口にすればするほど、その事実が突き刺さって、わかりきっていたはずなのに、胸の奥がしくしいくと痛む。ほんとに、未練がましい。
「……~~~~~~~っ! なにそれっ!」
「ひゃっ」
どんっ、と。
爆発したようにアルエが叫び、私に飛び掛かった。本当に不意打ちで、避けることも出来ずに押し倒される。
「サヤカは根性なしなんかじゃないよっ! 夢を一生懸命目指してる姿を家族に笑われたりしたら、誰だってショックに決まってるよっ!」
ぽたりと頬に暖かいものが落ちてきて、押し倒されたまま見上げると、私に馬乗りになったアルエが、大きな瞳いっぱいに涙を浮かべている。おかしいな、私が情けないってだけの話なのに、どうしてアルエが泣くのだろう。
「サヤカはすごいよっ! ただの趣味だなんて言うけど、わたしは知ってるんだからっ! 配信が終わったあと、誰よりも早くサヤカがイラスト描いてくれてたことっ! 簡単にできることじゃないよっ!」
「アルエ……でもそれは、単に感想をぶつけてるだけだし……」
「安方サン、起きれるスか?」
差し伸べられた真央の手を取ると、アルエも私の上からどいてくれる。手を引かれて身体を起こされて、気付けば私は、そのまま真央の腕の中にいた。
「え、ま、真央?」
「挑戦しないのって、一番後悔しちゃうよ。家族なんて気にしないで。私、好きなものを追いかけてる真央が、一番好きだから」
「え?」
普段と違う声音に驚く私の背中を、しなやかで、優しい真央の手がそっと撫でる。いつの間にか節くれだっていた心が、そっと撫でつけられるようだった。
「覚えてるスか? 学生の頃、ゲーム業界に行きたいけど親に反対されてる、って相談したアタシに、安方サンがそう言ってくれたス」
言われてみると、そんなこともあったかもしれない。いつもはつらつと自分の好きなゲームの話をしてくれる真央が、その時は酷く心細そうに、父親が経営するソフトウェア会社にプログラマとして入るよう言われている、と相談してきたのだ。
でも私は、無責任に背中を押しただけだ。大好きな後輩に、自分の好きを捨ててほしくなかったから。
「あれでアタシ、決心したスよ。安方サンに胸張れるように、好きなものはずっと手放さないでいようって」
思えばその相談の後からかもしれない。真央がスタッズキメキメの、パンキッシュなファッションに身を固めるようになったのは。
「でも、そんなことがあったんスね。あれって、安方サンの後悔の言葉だったスね」
「うん……ごめんね、情けない先輩で」
「なに言ってるスか」
背中を撫でていた手が離れ、真央と真正面から向き合う。真央の目は、いつも通り私をまっすぐに見つめている。
「おかげでこうして、いまも安方サンと一緒にいられるし、アルエなんて娘まで出来ちゃったスよ。昔に挫折したことがあるくらいで、アタシが安方サンのこと大好きなのは、これっぽっちも変わらないス」
「真央……」
「ちなみに聞くスけど、アルエたちに頼まれたイラスト、何枚ラフ描いてます?」
なぜばれてるのか。
「……3枚」
「えーっ!? いつの間に!? 全然そんな素振りなかったのにっ!」
そりゃあ、見せないようにしていたからだ。アルエがシオネから送られてきた曲を聞きこんでいる間に、こっそりと描いていた。【ふりーくしょっと!】のメンバーにじかに会い、曲を聞かせてもらって湧いてきたイメージを、忘れないうちに残しておきたかったのだ。
「やっぱり。安方サンは、イラストは好きだから描いてただけって言うスけど、努力したつもりなく打ち込めるのは、じゅうぶん才能スよ。だから安方サンは、もっと自信をもっていいス」
「そうそうっ! それにわたしは、サヤカが描いてくれなかったら生まれなかったんだからっ!」
いいのだろうか。本当に自信なんて、持ってしまって。おだてられて、いい気になっているだけなのかもしれない。けれど、真央とアルエの言葉を、私のイラストを好きだと言ってくれた、シオネやリリシアの言葉を、もう少し素直に受け止めても、いいのだろうか。
けれどやっぱり、まだ少し怖いから。最初は匿名で、まず1枚だけ描いてみても……。
ぽこん、と。
パソコンのビデオチャットに通話が届いたのは、その時だ。
「あれっ? シオネからだ。なんだろう、ちょっと出てもいい?」
画面を覗いたアルエに頷くと、通話がつながり、画面にアバター姿ではないシオネが映し出される。あまり表情の変わらない彼女だが、いつになく深く寄せられた眉根は、どうにも酷く緊張している様子をうかがわせる。
なにか、嫌な予感が背筋を走った。
「どうしたのシオネ、なにか連絡?」
『アルエ、あんたちょっとまずいことになってるよ。これ見て』
私たちは顔を見合わせ、送られてきたURLを開く。繋がった先に待っていたのは、大手の匿名ブログサービスだった。
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