第18話

「お、お邪魔しまーす」


「いらっしゃい。リリシアはもう来てるから」


 至極当たり前に設けられていたエントランスのインターフォンで、シオネに自動ドアを開けてもらい、これまた立派なエレベータに乗って、なんでもない顔をしたシオネに出迎えられた。


 いや、私の住んでいるマンションにだってセキュリティやエレベータはあるが、金のかけ方が雲泥の差だ。いったい家賃いくらなんだろう、ここ。


「か、菓子折りとか持ってきた方がよかったかな」


 自宅だからか、普段よりラフなシャツ姿のシオネに玄関から招き入れられ、当然のように並んでいた来客用スリッパに履き替えながら、私は肩を震わせる。そりゃ、もちろんお土産も用意はしたが、コンビニで買ってきたフルーツゼリーだ。ちょっとこの邸宅には似つかわしくない気がしてならない。


 アルエに囁いたつもりの私の情けない声に、シオネは振り返って苦笑いを浮かべる。


「えっと、サヤカ、だよね。変な気を遣わないで、この部屋とか、親のすね齧ってるだけだから」


 齧ったらこんな部屋に、しかもひとりで住まわせてくれる親がいるという時点で、生きている世界が全く違うのだが。


「一応聞くんだけど、アルエはいるの?」


「もちろんいるよっ、お邪魔してまーっす! もう、わたしびっくりしちゃったっ! シオネがこんなすごいところに住んでるお嬢様だなんて、想像もしてなかったもんっ!」


「だから、別にお嬢様とかじゃないから。準備してくるから、リビングで待ってて」


 ここはシオネの家であって、直接用があるのはもちろんアルエのほうだ。私も無関係ではないが、決して遊びに来たわけではない。


 案内されたリビングでは、鎮座しているダイニングテーブルで、そわそわと落ち着きなく周囲を見回すリリシアが待っていた。こちらは打って変わって、ワンピース姿で気合を入れておめかししている。入ってきた私たちの姿に、ぱっと表情を明るくする。


「あっ、アルエさん! こんにちはっ」


「リリシア、はろーっ! もしかして、待たせちゃった?」


「いえっ、私もさっき着いたばっかりですから。ただその、想像以上に立派なお家で、ちょっとびっくりしちゃって」


「やっぱりリリシアもそうだった? わたしとサヤカも、ホントにここであってるかなって不安になっちゃったもんっ」


「わかります。私もマンションの前で、もらった住所を何度も確認しちゃいました」


 談笑しながら、アルエはお土産をテーブルに置き、リリシアの隣の椅子に腰を下ろす。少しだけ椅子をずらして、リリシアに近づく。


「ところで、リリシアはどれくらい練習してきたっ?」


 そう、今日集まったのはほかでもない。【ふりーくしょっと!】として発表する予定の、ユニット曲の合同練習のためだ。以前にシオネから受け取った仮歌と楽譜で、それぞれ個別には練習してきた。今日は一度三人で集合し、各々の練習度合いを見ようという話になった次第である。


 話を最初に聞いたとき、てっきり私は、またぞろカラオケボックスにでも集まって練習するのだろうか、なんて考えていた。まさかそれが、シオネの自宅の、それもこんな高級マンションに集まることになろうとは、まったくもって想像の埒外である。


 ちなみにアルエは今日まで、部屋で布団を被って練習をしていた。配信やゲームの音声程度なら平気だが、声を張り上げて歌うのはいささか心許ないワンルームマンションだ。もそもそとベッドの上で丸くなり、布団の中で歌っている光景は、申し訳ないが傍目にはだいぶ面白かった。


「もちろん毎日練習しましたよ! でも、自分たちの歌、なんて初めてですから、うまく歌えてるのかだんだん良く分からなくなってしまって」


「それっ! わたしもそうなのっ! シオネの仮歌に合わせて歌ってみても、なんかだんだんそれでいいのかわかんなくなっちゃってっ!」


「ずいぶんいっちょ前なコメントしてくれるじゃん」


 振り向くと、いつの間にか戻ってきたシオネが、意地悪く笑いながらテーブルに寄りかかっている。


「そもそも音とかテンポとか合わせられてるのか、今日はそこから確認していくから」


「ひぇっ、今日のシオネなんかこわいよお」


「シオネさんは歌のこととなったら容赦ないですから、が、頑張りましょうねアルエさんっ」


 挨拶もそこそこに、三人は防音室へと移動していく。そう、防音室だ。なんとこの家には、歌の練習や収録をするための、専用の部屋があるというのだ。


 聞けばその部屋はもともと、隣の家に隣接していない物置部屋を、シオネが自力で改装して作ったものらしい。防音素材で部屋を囲み、収録用の器材まで完備されている。シオネを先頭に、アルエとリリシア、それに続いて私まで入るとさすがに手狭だが、三人が立って向き合う程度の空間は確保されている。


 さらには、普段配信やDTMで曲作りをしているのは、また別室なのだという。この部屋を見ただけで、シオネがどれほど音楽に対して本気なのかがうかがい知れる。かつて、学校帰りのカラオケ代すらも惜しくて、家の風呂場で歌を練習していた私なんかとは、気合の入れ方が段違いだ。持って生まれた環境が恵まれていることももちろんあるだろう。それでも、その環境をここまで整えたのは、間違いなくシオネ自身の執念のたまものだ。


「ど、どうすればいいのっ? とりあえず歌うっ!?」


 シオネの本気度合いに気おされたのか、珍しくアルエが上ずった声を出している。返事は、シオネの呆れ顔だった。


「んなわけない、喉痛めるでしょ。まず声出しから」


「はい……素人でごめんなさい……」


「き、気を落とさないでくださいアルエさんっ、私も全然よくわからないですからっ」


「ほんとに大丈夫かなこれ……まあいいや、行くよ」


 シオネがすっと背筋を伸ばし、慌ててアルエとリリシアもそれに倣う。すぐにシオネの喉から、のびやかで透き通るような声が流れ出し、二人もそれに続いて、戸惑いながら声を出す。


 三人が喉を慣らすための発生をしている姿を見ながら、私は密かに、まったく関係のない声が漏れそうになる口を必死で抑えていた。


 【ふりーくしょっと!】の三人が集まっての、初めての合同練習、の前段階としての声出し。私はいま、三人の初邂逅の場に続いて、とんでもない光景を目の当たりにしている。堂々と声を出すシオネ。ためらいがちながらも、よく通る声を出すアルエ。緊張してか、上手く声の出ないリリシアに、シオネがおなかに手を添えてサポートしている。


 もうすでにそれぞれ人気を確保していながら、これからさらに羽ばたいて行こうとしている三人の、準備運動を目の前で見ているのだ。私みたいな限界Vオタ木っ端インターネットお絵描き女なんぞ、配信でこの時の思い出話を聞いただけで百万回転生できそうな、尊さしかない光景だ。


 アルエが私の中に生まれてきたおかげで、私もその景色を共有させてもらえている。


 同時に、私の中にもちょっとした変化と決意が生まれている。少し前までだったら、尊さのあまりに打ち震え、あんまりに場違いな自分自身に絶望していただけだったかもしれない。だがいまの私は、アルエのママであり、【ふりーくしょっと!】の公式イラストレーターなのだ。その自負か、あるいはこの場に同席させてもらっている徳を返済せねばという気負いか、ふつふつと創作意欲が湧きあがってきているのだ。


 この光景をイラストにしなければならない。もちろんそのままではなく、配信のときのアバター姿に置き換え、【ふりーくしょっと!】の練習風景としてファンたちと共有しなくては。


 防音室の壁に吸い込まれていく三人の声を聞きながら、私は脳内メモリから魂のメモ帳に、目にしている光景を必死で書き写していくのだった。

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