第12話

 推しのVtuberに裏切られた話、と題されたブログには、そんなアルエに対する”お気持ち”が延々と綴られていた。


「なに、これ……?」


 当のアルエは唇を震わせ、戦慄く瞳で画面を凝視している。


 急遽開かれた【ふりーくしょっと!】のグループチャットには、生身の姿のシオネとリリシアが並んでいる。モニタの前の私、アルエ、そして真央と同じく、揃って苦虫を噛み潰したようなしかめっ面だ。


『見たらわかるでしょ。アルエに対する”お気持ちブログ”だよ』


『どうも私たちの配信中に上げられたみたいです。いまはまだ、ブログに対してコメントが付いているだけなんですけど』


 リリシアの言葉にSNSを開いて見ると、なるほど確かに、ちらほらとコメントが飛び交い始めている。


 ≪タグなしイラストを取り上げるのはアウト≫

 ≪売名に利用されたってこと?≫

 ≪ちょっと有名になったからって個人勢が調子乗っちゃったかなー≫

 ≪別に騒ぐことでもなんでもない。タグ付けしてないイラストには触れちゃいけないなんてルールない≫

 ≪芸能人が自分のファンアート検索して紹介するとか最近あるあるじゃん≫

 ≪見られたくないならアップすんな≫

 ≪個人で見るのと、配信で取り上げるのは話が違くない?≫

 ≪そもそもこいつアルエのファンでもなんでもないだろ。女の僻みが滲み出てる≫

 ≪性別の話にすり替えようとすんな擁護乙≫


 SNS上のコメントを見る限り、いまのところアルエを擁護してくれるものとブログに賛同するものが、おそらくは半々といったところだ。


 まだブログを中心にコメントが交わされている、アルエという本丸にとってはボヤと言える段階だ。だが火種としては十分すぎる。コメントの中には、アルエの配信にいつも来てくれている名前もあり、誰もが喧嘩腰で言葉をぶつけあっている。


『まだ擁護してくれてる人の勢いもあるけど、すぐに野次馬が延焼させに来るよ』


『ど、どうしましょう、私こんなこと初めてで……』


『全員そうでしょ。けどそんなことより……』


 カメラの前で俯くアルエは、いままでに見たことのない表情をしていた。血の気の引いた顔は青ざめ、瞠られた眼は瞬きひとつせず、半開きの唇が時折小刻みに痙攣する。


「ごめ、ご、ごめんなさい……わたし、わたしのせいで、こんな、二人にも迷惑かけて……」


 このままアルエが炎上すれば、当然ユニットメンバーであるシオネとリリシアにまで類が及ぶ。少なくとも、このままでは1周年記念配信を無事に迎えることは出来ない。


『どうするつもり? こんなタイミングでトラブル起こして』


『シオネさん、そんな言い方』


『でも事実でしょ、このままじゃ私たちも無関係じゃいられないし、1周年記念配信なんかやってる場合じゃなくなるんだよ!』


『そ、れは……』


 非難がましい視線を向けるシオネの言うことは、正しい。これは間違いなく、アルエの軽率な行動が招いたことだ。自身が作詞作曲したユニット曲を披露する、そんな晴れの舞台を期待していたシオネが感情的になるのも、致し方ない。


「……ぅ、ひぐ」


 だけど、これ以上アルエを二人の前に座らせておくことは出来ない。誰よりも傷ついているのは、アルエ本人だ。いつだってまっすぐに相手を見て、はじけるような笑顔で話すアルエが、二人の顔をちらりとも見られないほどに。


「アルエ、ちょっとごめんね」


 席を譲ってもらい、私はカメラの前に座る。私とアルエが変わったのが分かったのだろう、シオネとリリシアが少しだけ目を見開くのが見えた。


 アルエはもう、とても話せるような状態ではない。声が喉に詰まり、言葉ひとつ発することができずにいる。なによりもこれは、アルエだけが起こした問題じゃない。私も当事者なのだ。あるいは、私こそ問題の発端なのだ。


「いま、アルエと代わりました。サヤカです……あの、今回のこと、ごめんなさい」


 たぶん今、私も人には見せられないようなひどい顔をしていると思う。このブログ主の言いたいことが、驚くほど理解できてしまって。まるでタグを付けずにイラストを投稿していた私の、内心をそのまま見透かされていたようで。けれども、自分以上にショックを受けているアルエの姿で、ギリギリのところで冷静さを保っていられている。


 私の方が年長者なんだから、私が一番落ち着いていなければ、と。


『い、いえあの、サヤカさんもなにも悪くは……』


『発端になったのが、あなたのイラストだから?』


 やっぱり、シオネの方が少し察しが良い。


「はい。タグを付けていないのに紹介されたの、私のイラスト、だから」


『そんな! ますますサヤカさんは悪くないです、巻き込まれただけじゃないですか!』


 首を横に振る。巻き込まれただけのはずがない。


 ある意味でこの騒動は、すべて私のせいだ。私がタグを付けていれば。もしくは、紹介された時点で、歓迎するコメントのひとつでも出しておけば。いやそもそも、もっと前からアルエの存在に気付いていれば、こんなことにはならなかった。長文お気持ちブログなんて出てこなかったし、シオネたちにも迷惑をかけることなんてなかったのに。


「私のSNSで、配信で紹介されたこと、気にしてないって言うつもりです」


『ほんとですかっ! だったら安心ですっ、紹介された側が問題ないって言えば、すぐに騒ぎも収まりますよねっ』


 根っから純朴なのだろう。リリシアは私の提案に、喜色を浮かべて手のひらを打ち合わせている。だが当の私自身は、そこまで楽観的にはなれない。


『……どうかな』


 まだ険しい顔をしたシオネも、やはり同じ意見のようだ。


『仮にそんなコメントを出したところで、アルエのファンが忖度してフォローしたってことにしかならないでしょ。アルエが不用意な行動を取った事実は変わらない』


 まったくもって、彼女の言う通りだ。


「それでも、少しは」


『少し収まったって仕方ないでしょ!!』


 っ。


『シオネさんっ! 落ち着いてください、ここで怒鳴っても……』


『なにもかもこの人のせいでしょ! 二重人格とか、あんたのややこしい”設定”のせいでこうなったんだから! いまから全部、自分の自作自演でしたって白状したら!? その方がまだ騒ぎも、』


『シオネさんッ!!』


 小柄で、ゆるふわロングヘアの、小動物みたいに思っていたリリシアの中の人から出た声は、いまこの場の誰よりも大きなものだった。


『言い過ぎです。落ち着いてください』


 打って変わって静かに諫めると、リリシアはちらりと私を見た。腹の奥底に溜まった重苦しい息を吐き出して、私は首を横に振る。


「ごめん……それは、出来ない。私はアルエじゃないから。それこそ、みんなに嘘をつくことになっちゃう」


『……だったら好きにして』


 ぷつり。ビデオチャットのウィンドウがひとつ閉じられ、参加者が私とリリシアの二人だけになる。リリシアは食い切らんばかりに唇を噛みしめ、目じりに涙を浮かべて俯いている。


 ついさっきまで、ほんの少し先に控えた記念日を前に、互いの期待をはやる気持ちで募らせあっていたのに。喧々諤々と延焼を続けるお気持ちブログとは裏腹に、私たちの間には、まるですべてが終わってしまったような沈痛な空気が満ち満ちている。


 私のせいだ。私なんかがいたばかりに、【ふりーくしょっと!】は瓦解しようとしている。


「えっと、リリシアさん」


『あ、はい……?』


「今晩はリリシアさんも休んでください。一度、アルエと話し合ってみます」


『で、でも』


「こうなったのは、私のせいですから」


 だからこそ、私が責任を取らなければ。彼女たちがこのまま、散り散りになったりしないように。一番年上の私が、腹をくくらなければ。


「私がどうにかします。絶対、このままで終わりになんてさせません」

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