10~秘密~

「ま、おり……?」


 真織は膝の間に顔を埋めていたはずなのに、踊り場で倒れていた。

 彼に近づく。

 真っ青な顔をしている彼の肩を、私は思わず強く掴んだ。


「真織‼ 真織‼」


 真織の名前を呼びながら肩を揺らすが、彼はびくともしない。


 彼の肩から手を放し、唇を噛んで階段を上がる。鉄の味がしたが、そんなことには構わずに階段を走った。


 職員室のドアをノックして、「失礼します」と中に入る。


「養護の先生、いますか!?」


 近くを通った教師に訊ねると、怪訝そうな顔をしたあと、先生を呼んできてくれた。


「あの、西階段で男の子が倒れちゃって……!」


 そして先生と一緒に西階段へ向かった。


「あ、魁くん」


 先生が真織の名前を呼び、彼を持ち上げる。

 真織を知っているのだろうか、と思ったが、今はそれどころじゃないと、そんなことは頭から抜け落ちた。


「保健室に行くけど、えーっと……霞瑞さんも来る?」


「あっ、はい」


 先生と二人で保健室へ入る。


 先生は真織をベッドに寝かせて注射を腕に打ち、他にも慌ただしく動いて色々なことをしていく。

 私はそれをぼーっと眺めることしかできなかった。


「あの、真織、大丈夫ですか……?」


 私が訊ねると、先生は振り返って「大丈夫だよ」と微笑んでくれた。


 五分ほどして、よし、と先生が腰に手を当てた。


「もう大丈夫。今は眠ってるだけだから」


 先生のその言葉で私は腰が抜けてしまい、その場に座り込む。


「椅子、座っていいよ」


 私はそばの椅子に腰をかけた。


「ごめんね、保健室にいなくて」


「いいえ……」


「霞瑞さんがいてくれてよかった」


 先生が近くの椅子に座り、私に微笑みかける。


 思わず涙が溢れて、また「いいえ」と首を横に振り、涙を拭った。


 真織はどうして倒れたんですか?

 そう訊きたかったけれど、私には訊く勇気なんてない。


「そういえば用事があるんだった」


 先生が立ち上がる。


「あ、でもなあ……」


 そう言って先生が真織と私を交互に見た。


「行っていいですよ」


 私が頷くと、先生は「ごめん、ありがとう」と、そして「何かあったらすぐに職員室に来て」と言って保健室を出た。


「愛彩」


 びくりと肩を震わす。


 振り返ると、まだ顔色の悪い真織が私を見つめていた。


「え、あ……」


 なんて声をかけたらいいのかわからずに固まる。


 大丈夫?

 どこか調子悪いところない?

 ……どうして倒れたの?


「ごめんね、迷惑かけて」


「ううん」


 真織はふーっとため息をつき、また「ごめん」と謝る。


 私は彼の近くに椅子を持って行き座る。


 沈黙が訪れた。

 何を話せばいいのかわからない。


「実は、僕……」


 長い沈黙の後、真織が口を開いた。


「実は、愛彩に隠してた秘密があって……」


 私はうん、と頷き続きを促すと、彼は俯き小さく深呼吸をしてから顔を上げ、私を見つめた。


「――病気なんだ」


 そんな彼の言葉に、うそ、と言葉をこぼす。

 真織は苦しそうな笑顔を浮かべていた。

 笑っているのに、彼の苦しさがその笑顔に滲み出ていた。


 うそ。

 なんで?

 なんで彼が病気なの?

 代わりなんて、いくらでもいるでしょう? 神様。

 ほかの人でもよかったじゃん。


 そんなことを思った。


 神様が憎くて憎くて仕方がない。

 自分が病気だと知ったときにはこんなこと思わなかったのに、なぜだろう。


「心臓の病気なんだけど、……二十歳まで生きられるか、わからないんだ」


「えっ」


 私は目を見開く。


 心臓の病気?

 二十歳まで生きられるかわからない?

 二十歳なんてあっという間だ。


 あることを決意する。


 私は苦しくなる息を無視して、「私も」と口を開いた。


「……私も、病気なの」


 そんな私の言葉に、今度は彼が目を見開く。


「沈海病って言って、息が、苦しくなる病気」


「沈海病?」


 真織の問いかけにうん、と頷く。


「知ってる」


「え?」


「僕、検査してるときに沈海病も疑われたから……」


 そうなんだ、と私はまた頷いた。


「沈海病って、海に沈むような息苦しさから、沈海病って名付けられたんだって」


「へえ、知らなかった……」


 初耳だった。


 そして、真織にもう一つ知らせないといけないことがある。


「それと――余命三ヶ月なんだ」


 真織が唖然としたように「え」と声を漏らした。


 本当?と訊かれたので、本当、と答える。


「だから私、もうすぐ……死ぬの」


 私は自嘲的な笑みを浮かべた。


「あはは。私が死んでも、家族と花梨以外悲しまないし、別に何も変わらないからいいんだけど。……それと……もう、生きることは……諦めてる」


 なぜか涙が溢れそうになって、俯いて唇を噛んだ。


「――愛彩が死んだら、僕が困る」


 私は驚いて顔を上げる。


 真織がじっと私を見つめていた。


「僕が悲しむ。僕の世界が変わる」


 私は黙って彼を見つめ返した。


「だから……、だから、まだ希望を持って。生きることは諦めてる、だなんて言わないで」


 そんな真織の言葉に、涙が溢れた。


 彼は優しい。暖かい太陽みたいな存在だ。


「っ、私もっ!」


 気が付いたら、泣きながら声を上げていた。


「私も、真織がいないと困る……真織がいないと、悲しい」


――真織こそ、死なないで。


 すると彼が優しく頷き、私の手をぎゅっと握りしめてくれた。


 真織の手は暖かくて、まだ彼が生きていることを伝えてくれるようでひどく安心した。そして突然睡魔が襲ってきて、私の意識は途切れた。

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