第一部 キミと出会いとヨーヨー

第2話 キミと出会いとヨーヨー

キーン、コーン、カーン、コーン――


 放課後の校舎に鳴るチャイムは、しとしとと降る雨音に混じって、誰もいない渡り廊下にも響き渡っている。


「はあ……」


 私は何度目かわからないため息を漏らした。


 今日から梅雨入りだっけ。窓の外では、暗い雲がもこもこと黒い下腹を見せている。空気はひどく湿気っていて、クセっ毛の私はヒジョーに機嫌が悪い。それでなくたって昨日からブルーなのにさ。


 兄貴と渋谷に行って、解散を告げられたのが、つい昨日のこと。明けて一日で気分がそう変わるわけもなく、空模様に似合う不景気なカオで放課後の校舎を歩いている。


 ついこの前まで、放課後も休日も関係なくがむしゃらに打ち込んでいたものが無くなって、目指すべき目標も無くなって、でもだからってすぐ家に帰るのもダルくて。それでこうして、一人で誰もいない放課後の校舎をあてもなく散歩してるってわけ。

 まあ、春に入学してからこっち、勉強に追いついたりユニット活動に忙しかったから、一緒に遊べる友達がまともにいないっていう事情もある。


 私の上履きだけの靴音が鳴る廊下。

 日中は数百人の生徒で溢れかえっている高校の校舎も、今は静かなもので、どこかの教室に残っている女子の笑い声や、音楽室で練習する吹奏楽部の楽器、誰かがドアを開く音が遠く反響してくるだけ。あとは、今にも止みそうなくらい弱いけど、辛抱強く降り続いている雨の音が聞こえる。


 いい加減、帰ろうか。放課後の徘徊はいかいにも飽きて、少しは時間も潰れたことだし、と思ったとき。


 私の耳が妙な音を拾った。


 自慢じゃないが、これでも耳は良い方だ。ユニットでは主にダンス担当だったとはいえ、ライブ会場や音源の音作りを間近で見てきた私の音感は、眞一郎しんいちろうさんにある程度しっかり鍛えられている。

 耳をそばだてる。放課後の雑多な音の中に、聞き慣れない小さな音が混じってる。目を閉じて、聞き分ける。


 シャー、という高い音だ。モーターとかハンドスピナーとかが回ってるみたいな、乾いた回転音。それが強くなったり、弱くなったりしている。周期的な変化じゃない。


 一瞬音が止まって、またすぐに再開する。特徴的なのは、止まる前に、キン、という高い金属音がすること。それが何回も繰り返されている。


 なんの音だろう。

 私はすっかり好奇心をくすぐられていた。いいじゃん。ちょっと、探ってやろうじゃないか。


 ただの無目的な徘徊から、放課後探検隊ってわけ。


* * * *


 音の発信源は、意外とすぐ近くだった。高校棟三階の、一番端っこにある使われてない教室。

 音に誘われて階段を上がっていくと、その教室はすぐ眼の前にあった。忍び足で近づいて、ドアの横で聞き耳を立てる。


 シャーッ、ジャッ、シャ、シャシャー、ジャッ、シャー、キン、って。こんな感じ。


 何かが動き回っているのは間違いない。でも、すごく広い範囲で動いてる感じじゃない。かといって、ハンドスピナーにしては動きが激しすぎるし、やっぱりちょっと聞いたことのない感じ。


 私は教室の後方のドアに身を寄せて、そっと手を掛けた。ここまで来たら、覗くっきゃないっしょ? 好奇心と探究心とヒマは若者の特権なのだよ。

 静かな廊下で息を潜め、そろそろと音を立てないように引き戸を細く開いた。そういえば、いつの間にか雨の音は止んでいた。


 空き教室を、雲間から斜めに差した夕陽が茜色に染めていて、その中に踊る影がひとつ浮かび上がっていた。


 はじめ、私の目には銀色の妖精と小柄な女神が美しく戯れているように見えた。

 他に誰もいない教室の中で、その長い髪の少女は指に繋がった細い紐で、丸い小さな妖精を操っていた。


 妖精は、例の、シャー、という音を立てながら上下に飛び跳ねていた。すぐに、それはヨーヨーだと分かった。丸くて、回転してて、紐がついていて。

 だけど、私の知っているヨーヨーは、こんな動きはしない。


 綺麗だ――――


 ハッとするほど印象的な光景だった。夕陽がいい感じに入ってきていて、ヨーヨーが上に上がる度に、ギラッ、って茜色に輝く。そして、小柄なその子は両手の間に張った紐を使って、ポーン、ポーン、ポーン、とリズムよく何度でもヨーヨーを操り続けている。


 ヨーヨーはまっすぐ上空に跳ね上がって、すとん、と紐の上に戻る。まるで繋いでいる紐が伸び縮みしているように、そのヨーヨーは何度も跳ぶのだった。

 さらに、上にだけじゃなく、斜めに、横に、下にと、その子はまるで体の一部みたいに自由にヨーヨーを跳ばした。その度に、両手の間の紐に戻って収まるヨーヨー。私はその不思議な光景に思わず見とれてしまっていた。


 ようやくその子がヨーヨーを紐の上から下ろし、何か動作をすると、キン、と高い金属音が鳴って、ヨーヨーは少女の手に戻っていった。

 あ、さっきのあの音。そう思ったその時、私のカバンのポケットでスマホが「リンロン♪」と場違いな着信音を立てた。


「あっ」


「……へ?」


 完全に目が合った。


 そのとき私は、ドアの隙間から首を突っ込んでいて、体も半分くらい教室内に入っていたから、もう逃げ場も何もない。


「へへ……」


 とりあえず、笑ってみた。気まずい沈黙に、背中を汗が流れた。


〈続く〉

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