第11話 好敵手、小早川サラ

「お帰り、二人とも。ツバサちゃんはお疲れ様」


「……あれ、店長お小言は? 反省会は?」


「ん~? 今はいいでしょ。大会中よ? ほら、次の人始まるから座って」


 通路に立っていた私達は、いそいそとシートに並んで腰かける。


「そういえば、九凪さんの荷物は?」


「あ、いけない、取りに行かなきゃ」


「これの後にしなさい」


 席を立ちかけた九凪さんの腕を掴んで、明楽店長が静かにそう言う。九凪さんは怪訝顔だ。


「次、どんな人なんです?」


 私も気になって聞いてみる。まあ、聞いたところで分からないだろうけど、と思っていたら、意外にも知っている名前が明楽店長の口から出た。


「小早川サラさん」


 さっきのあの人だ。控室で会った、金髪ツインテール美人。あと巨乳の。


「!!」


 九凪さんは、目を見開いていた。息を呑むと、無言でそのまま座り直す。小声で「見なきゃ、絶対」と呟いたのが聞こえた。


「続いての登場は、小早川サラ選手!」


 名前がコールされ、黒いTシャツ姿の小早川さんがステージ上に現れた。控室に現れた時はブラウスにワンピースの恰好だったけど、今はスポーティなショートパンツに着替えている。

 手にはグローブを着けて、ステージの真ん中で腕を伸ばしている姿はリラックスして見えて、その表情には程よい緊張感が窺える。


 やがて、聞き慣れた確認の手順が踏まれ、最後に小早川さんがステージ袖に向けてオーケーの合図を出す。


「それでは参りましょう。全日本ヨーヨー選手権大会、1A予選。小早川サラ選手です!」


 拍手が鳴りやまないうちに、音楽が始まる。素人の私にも分かる、リラックスした所作で小早川さんが最初の一投を投げ出した。

 BGMは、クラシックをポップス風にアレンジした曲だ。テンポは速くないけど、ドラムのビートがきっちりリズムを打っている。


 小早川さんは、その音の中で踊っていた。そう、彼女はヨーヨーと共に踊っている。他の誰の動きとも違う、そういう風にしか形容が出来ないフリースタイル演技だった。


 ゆったりとした余裕を持ちながらも、スピードのある動き。自然さを感じさせるトリックの繋ぎ。だけど、ヨーヨーの動きも、体の振りも、しっかりとリズムに乗っているのを感じさせる。あれは、クラシックバレエの動きだろうか? 足使いがきれいだ。ここまでの選手と一番違うのは、そこ。


 小早川さんの演技は足が止まらない。ゆったりと優雅に、だけど常に体が流れ、動き続ける。

 ヨーヨーの大きさに比べて、ステージは広い。選手たちは通常、フリースタイルの時間の中で、舞台の右に左に移動しながら演技をする。だけど、大抵はトリックを決めている間は足を止めていて、コンボとコンボの間で立ち位置を変えていた。

 小早川さんの演技は違う。九十秒という時間を一つの流れで繋ぎ、ヨーヨーと共に踊る『舞い』を見せようとしているようだった。

 そこには緩急はあれど、区切りはない。ひとつひとつのトリックの連続ではあるはずだけれど、常に動いている印象を与えていた。


「すごい……」


 九凪さんが驚いているのが分かった。私も同じ感想だったけど、きっと、ヨーヨーの事をいっぱい知っている分、その驚きと感動はもっと深いんだろう。


 最後までほとんど足を止めることなく小早川さんは踊り続け、最後に頭の上で綺麗にキャッチを決めて、その演技を終えた。


 喝采の拍手だった。選手席で見守る選手たちも、小早川サラの演技の間は息を呑んだように静かで、だけど熱気のこもった溜息がずっと会場を支配しているのを、私は感じていた。

 その、静かに溜まっていた興奮のボルテージが、演技が終わるとともに一気に解放され、大きな拍手と歓声が上がっている。まるで予選とは思えない盛り上がりだ。小早川さんは会場の期待を越えていったんだ。


 ステージ上の彼女は、演技中の優雅な表情から一転、破顔して、紅潮した頬と満面の笑みで歓声に応えるようにお辞儀していた。


「すげーだろ。あいつ、この予選のために、ずっとあの演技を練習してたんだぜ」


 不意に近くから男の人の声がして、見ればいつのまにか高倉選手が同じ列に座っていた。


「おわっ、いつの間にいたの!?」


 一番通路側に座っていた九凪さんが隣を見て、飛び上がって驚いた。


「よう、チビっ子、お前の番も見てたぜ。良かったじゃねえか、ミスもまあ、それほどまでに多くはなかったしな?」


 高倉選手が九凪さんに笑顔を向けてそう語る。九凪さんは、チビっ子扱いに渋い顔をしながらも、真面目に聞いて「ありがとう、ございます……」と返していた。何だかんだいっても高倉さんはすごい選手なんだろう。やっぱり、褒められればうれしいはずだ。

 その高倉選手の言葉は続く。


「だけど、スキル至上主義は早いうちに捨てろ。お前のはハイスピード・コンボのただの披露会になってる。観る人間のグルーヴが全く感じられてない」


「え……」


 突然の厳しい言葉に、九凪さんは言葉を失う。視界の端では、明楽店長が痛そうな顔で神妙にうなずいていた。


「見ただろ、あいつの演技を。アレがヨーヨーのフリースタイル演技ってやつだ。まあ、少々特殊なやり方ではあったけどな。それに、小早川サラは予選突破のために心血を注いで仕掛けてきやがった。あいつなりに、自分の実力を鑑みたうえでの作戦ってわけだ」


「それって……」


 高倉選手の言うことの意味が分かって、私の口から声が漏れる。高倉選手がうなずく。


「ああ、決勝は結果が振るわなくても構わない、とにかく予選を突破して決勝に進むことが目標っていう判断だ。すげえじゃねえか。ジュニアで表彰台に登ろうとも、あくまで客観的に自分を見て戦略を練ってる」


「でも、そんなの……サラちゃんだって、上位に行きたいはず……!」


「サラはな」


 焦ったように上擦る声を上げる九凪さんを、高倉選手が遮る。


「言ってたぞ。『今年はね』って。あいつは決して勝つことを諦めたわけじゃない。むしろ、来年、実力を上げて決勝で戦うために、今回は何としても決勝の舞台を経験したいってことだろ」


 その言葉に、九凪さんの目が見開かれ、開きかけた口が力なく閉じた。


「ちょっと、高倉君。あなた次の2A部門に出るんでしょう。油売ってていいわけ?」


「なーに言ってんですか、明楽さん。俺はシードですよ、今日は冷やかしだけ。あ、でもちょっと呼ばれてるのは本当だから、ここらで失礼するけどな」


 あ、そっか、この人チャンピオンなんだっけ……なんで、じゃあ選手控え室にいたんだ?


 高倉選手は腰を上げると、九凪さんの頭をポンポン、と優しく叩く。


「とにかく、お前も頑張ったよ。良かったぜ、本当にさ。お疲れさん」


と言い残して自分の方の席へ去っていった。前の方の招待席のところまで降りていったと思ったら、一緒に来ているらしい女の人に頭を叩かれている。あの人、どこに行ってもそういう感じか。


 でも、すごいな、本当に。今の話が確かなら、あの小早川サラって人、すごい選手になりそう。視野の広さと、さっき見た実際の演技の説得力。予選に照準を合わせて本気で戦うという決意。本当に他の人とは違う決意でこの場に臨んでいたんだ、あの人は。


 そして、九凪さんはその背中と競い合おうとしている。

 隣の九凪さんをそっと窺うと、半ば放心状態で難しい顔をしながら何か考え込んでいるみたいだった。私が見ていることにも気づいてなさそう。


 そうして、会場にも私たちにも衝撃を残した小早川さんの演技が終わり、大会はまだまだ続いていった。


〈続く〉

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