第10話 出番を終えて

 最初の一音とともに、九凪さんの手が反応して、ヨーヨーが弾き出される。


 鋭い一投目だ。


 指に掛けて、紐の上にマウント。そこから目にも止まらぬ速さでコンボが繋がっていく。


 九凪さんが選んだBGMは、映画のサントラだという、歌詞のないインスト曲だった。アップテンポで始まった曲調に合わせて、次々と矢継ぎ早にトリックが繰り出される。


 速い。いつも傍で見ていて感じていることだったけど、この場で他の選手たちの後で見ると、それがさらに強調されて感じられる。


 会場からどよめきが漏れる。やっぱり、皆から見ても速いんだろうか。それとも、難しい技を決めたのか? 「すげえ、やるなぁ……」どこかから、感嘆の声が聞こえる。そっちを見そうになって、剥がしかけた視線をステージに張り付け直す。少しでも、見逃したくなかった。


 曲の最初のサビが終わる。体の前でのスピードコンボから、音ハメを意識した、〈ラセレーション〉のコンボ。パーカッションのビートに合わせて、ストリングが空中を飛んで、円を描き、ヨーヨーを捕らえる。一回ごとにヨーヨーがふわっと空中に浮いて、思わず固唾をのんでしまうトリックだ。あれ、ちょっと音とズレてるかも。緊張してるの?


「あっ!」


 タイミングがずれて焦ったのか、ヨーヨーが紐の上に乗らず落ちてしまった。ミスだ。


 九凪さんは唇を嚙みながら、冷静にヨーヨーをコントロールして、一旦、バインドで巻き戻して仕切り直す。

 まだ大丈夫。これまで見てきた選手も、結構多くの人がミスをしていた。明楽店長も、「ミスはするものだよ」って言ってた。ここから、ここからだ。


 構成は進む。今度は縦系コンボといって、体の真正面に向けて投げたヨーヨーを使ってトリックをするパートだ。といっても、詳しいことは正直よく分からない。とにかくスピードが速くって、ひとつひとつのトリックは私には見分けられなかった。


「ミスが目立つわね」


 明楽店長の呟き。え、そうなの? 私、全然分からなかった。あの一回のミスだけだとばかり思っていたけど、他にも失敗していたってこと?


 そのとき、おおッ、と背後の席が一斉に歓声を上げて、思わずビクッと背中がすくんだ。

 これだ、これが明楽店長がこの席に私を連れてきた理由の「臨場感」ってやつ。


 実は、客席の後ろ三分の一は、「選手席」になっていて、出番の遠い選手が座って観戦しながら待機出来るようになっている。

 その選手たちの反応が、この会場の空気を盛り上げる熱源になっているんだ。


 ステージ上で難しいトリックが決まる度に歓声が選手席から一斉に上がり、ミスがあれば揃って溜息を漏らし、演技が終われば健闘を称える大きな拍手を鳴らす。ライバルが敵情を観察する、というのよりも、もっとアツい熱を、「お前はどんなものを見せてくれるんだ?」っていう期待感を感じる。前向きなムードかつ、心地いい緊張感が満ちている。いい空間だ。


 その選手席からまた歓声が上がった。ステージの九凪さんは、コンボの最後で上空に飛ばしたヨーヨーを、体の後ろに回したストリングで綺麗にマウントしたところだった。上手い、さすが! まだやれる!


 だけど、予選で与えられている九十秒という時間は短い。あっという間に、構成のラストスパートになだれ込み、最後のトリックが決まって曲が終わる。戻ってきたヨーヨーをキャッチして、九凪さんは演技を閉じた。


* * * *


「あ、九凪さーん!」


 ホールを出てエレベータホールの方へ向かっていた私は、ステージでの演技を終えた直後の九凪さんが歩いてくるのを見つけた。


 九凪さんは私に気づくと、名前を呼びながら小走りに駆け寄ってきて、そのまま私に抱き着いた。


「浅葱さん!」


「うわ、ちょっ、大丈夫!?」


 バランスを崩しそうになったけど、なんとか踏ん張る。ヨーヨーバッグを手に持ったまま、九凪さんは私の体にしがみつき、そのまま顔を肩に押し付けてきた。ステージから降りたばかりの熱い体が密着する。


「やってきたよ、私。見てて、くれた?」


「う、うん、見たよ。ちゃんと見た」


 突然のハグに動揺が隠せない。っていうか、九凪さんの体熱い。呼吸も上がってるし。まるで、舞台の熱をそのまま連れてきたみたいだ。


「よかったぁ」


 絞り出すような九凪さんの声。私はその声色に、何だかちょっと胸がざわついた。言いようのない不安がよぎったような気がしたけど、根拠のないそれは努めて無視する。いまは、九凪さんをねぎらってあげなきゃ。その小さな背中をポンポンと軽く叩いて撫でる。


「お疲れさま。演技、すごかったよ。私、すごい集中して見入っちゃった」


「うん。ちょっとミスもあったけど、結構いい出来だと思う。浅葱さんと一緒に練習したおかげだよ」


 ようやく呼吸が平静に戻ったころ、九凪さんが私の肩に手を置いて、ゆっくりと体を離す。


 ちょっと落ち着いて視野が広がったところで、周囲の人の視線を集めていたことに今更気付いて、ちょっと恥ずかしくなってきた。でもそんなことより、汗のにじむ火照った顔の九凪さんが間近で笑っている事の方が全然大事。ああ、いい笑顔。はい、心のスクショ。


「私なんて、何もしてないよ」


「ううん、ずっとモチベーションだもん。今日も明日も、誰かと一緒に練習出来るっていうのが嬉しくって。浅葱さんがいてくれたから……えへへ」


 興奮して早口でまくし立てた九凪さんは、そこで言葉に詰まり、困ったように笑った。

 私は、肩に乗せられた手を優しく掴んで離し、そのまま九凪さんの手を引いて元来た方向へ歩き出した。


「とりあえず、席いこっか。明楽店長もいるよ」


「げ、店長いるの」


「うん。いろいろ解説してもらってたの」


 喋りながら、ホールの中へと戻る。九凪さんは「また細かいところいっぱいダメ出しされるよ」などとぼやいていた。


〈続く〉

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