第9話 観戦、全国大会

 それにしても、この会場に入ってからというもの、九凪さんの知らなかった面をたくさん見ている気がする。学校ではあまり目立たない子だけど、ヨーヨーの世界では知り合いもいっぱいいて、あんなに感情むき出しで喋るんだなあ、なんて。

 新しい友達の、新しい一面になんだか感心してしまう。


 エレベーターで観覧席のあるフロアに上がっていくと、赤いメガネの明楽店長が待ち構えていた。


「お、来たね、浅葱ちゃん」


「えっと、明楽、店長さん」


「はは、『店長』は……まあ、あっても無くてもいいか。じゃあ、行くよ。私が案内してあげる」


「え、物販はいいんですか?」


「ん、ああ、あっちは大丈夫。私がいなくても回る様に、バイト君に全部押し付けてきた」


「それ大丈夫なんですか……」


「なあに、新しく初めてくれた初心者ちゃんに、色々と解説のサポートをしてあげる方が、よっぽど大事な仕事だから。ホラ、業界の裾野を広げるためにはさ」


「本音は?」


「サボれてラッキー☆」


 うーん、なんとなく分かってきたぞ。さては、この界隈、ヘンな人多いな?


 私たちは、後方の中頃の席に並んで座った。明楽店長曰く、この辺が一番臨場感があるらしい。


「でも、ヨーヨーってこんな小さいんですよ? 遠いとよく見えないんじゃ」


 訝る私に、ニヤ、と笑って明楽店長が答える。


「まあ、見てなさい。ヨーヨープレイヤーたちの姿は、そんなにちっちゃく無いわよ。それに……」


と何か言いかけて、「ま、あとは始まってみれば分かるわ」とケラケラ笑うばかりだった。

 よく分からないけど、大人しく従うことにして、入場時に渡されたパンフレットを開いてみた。大会のスケジュールが書いてる。


「あれ、この大会って女性部門もあるんですか?」


 スケジュールの中に、「WOMENフリースタイル」という時間があって、私は驚いた。


「なんで九凪さんたちはこっちに出ないんですか?」


「あら、サラちゃんはそっちにも出るわよ。小早川サラちゃん」


 明楽店長は軽い調子で答える。「会ったんでしょ、さっき。あなたたちの声、エレベーターホールまで聞こえてたんだから」って、恥ずかしいなあ。


「でもね、現行のルールだと、明確に『全国チャンピオン』って名乗れるのは、1Aから5Aの主要5部門のみなの。女性部門は、あくまでエキシビションの立ち位置」


 簡単に説明しているようで、明楽店長の声には少し苦さが混じっているようにも、私には聞こえた。


「女子選手が増えて、もっとレベルが上がってくれば変わるのかもしれないけれど、今はそれが現状なの」


 そうか。私は唐突に理解した。この人も、元はヨーヨーの競技選手だったんだ。


「だから、ツバサやサラちゃんみたいな若い子が切磋琢磨して頑張ってたり、あなたみたいに新しく興味を持ってくれる子がいると、嬉しいのよ本当に。とても歓迎しているの」


 明楽店長は、隣に座る私にウィンクをする。


「まあ、そんなお姉さんの思いは重く受け取らないでいいから、都合の良いところだけ利用しなさいね。ツバサの友達だし、お店に来てくれればお安くしちゃうから」


 赤いフレームのメガネの奥でニコっと三日月形に笑って、その人はそう言った。この界隈は、変だけど好きなことに真っ直ぐな人が多そうだ。


「また、九凪さんと一緒に行かせてもらいます」


「うんうん、待ってるよ。女の子は仲良きことが一番かな♪」


 歌うようにそう言って、明楽店長は前を向いた。


「さ、そろそろ始まるわよ」


 ステージでは、日本ヨーヨー協会の理事が開会の挨拶を終えたところで、いよいよ大会の幕が開こうとしていた。

 大会は二日間に渡って開かれて、今日は各部門の予選が行われる。審査員による採点で残った各上位十名ほどが、明日の決勝へと進めるわけだ。


 明楽店長からそんな説明を聞いている間にも、眼の前には次々と選手が現れて、フリースタイル演技を披露していく。九凪さんとの練習で見たことのあるトリックや、全く初めて見るトリック。いろんな人が登場してはバシバシと演技を決めていく。予選は一人あたりの時間が短いそうなのだけれど、それでも、私の目には十分見ごたえがあった。


「凄いですね。こんなに皆、上手いんだ……」


「仮にも日本一を決める大会だからね。明日の決勝は、シード選手も出場するし、みんな今日以上に全力を出し尽くすから、もっと見ごたえがあるわよ」


 ふと、九凪さんは大丈夫だろうか、と思った。これまで、私は彼女しか見たことが無かったから、唯一無二の凄さに感じていたけど、このハイレベルな選手たちの中にあって、九凪さんはどのくらいなんだろう。私自身が丸っきりビギナーだから、全然分からない。


 もうすぐ九凪さんの順番のはずだけど、緊張していないだろうか。ときどき抜けていることがあるから、控室に何か忘れたりしていないだろうか。靴紐が解けて転んだりしないだろうか。私まで、急にドキドキしてきた。


「来たわよ」


 明楽店長がそう隣で囁き、司会が次の選手をアナウンスする。


「続いては、九凪ツバサ選手」


 コールとともに、会場から拍手が送られる中、九凪さんが現れた。あ、良かった。靴紐は解けてない。


「緊張してるわね、あの子」


「えっ」


 明楽店長の言葉に、思わず横を見る。


「大丈夫、誰だって緊張はするものよ。大事なのは、どれだけ練習してきたか。そして、それを信じられるか。本番のステージではそれが物を言うわ」


 眼鏡の奥の瞳は、まっすぐにステージを観ている。


「ほら、しっかり見てあげて。そのために来たんでしょう?」


 そう促され、ステージの上に視線を戻す。

 九凪さんは、予備のヨーヨーを舞台端にセットして、中央のポジションに立っていた。緊張をほぐすためか、腕をぶらぶらさせている。


「ジャッジ、オーケー? ミュージック、オーケー?」


 司会によって、審判員と音響スタッフの準備が確かめられる。ここまでの選手でも見てきた、ヨーヨーの大会での定番の手順らしい。そして、司会の声は「プレイヤー?」と訊ねる。


 ステージの中央に立ち、俯き気味に何度かうなずいた九凪さんが、顔を上げ、袖に向けて親指を立てる。「……オーケー」と司会が応える。


「それでは参りましょう。全日本ヨーヨー選手権大会、1A部門予選。九凪ツバサ選手の演技です」


 来た。

 九凪さんが、目を伏せた。


 私の世界が静寂になった。

 客席からは拍手が鳴っていたんだけど、もう、私の耳には届いていない。


 心臓がバクバクいってる。


 ステージの上では、ライトを浴びて九凪さんが構えている。


 右手を横向きに。

 肩の高さで静止させ、サイドスローの構えだ。


 息を呑む。


 急に、切ない感情が胸にこみ上げた。

 がんばれ。


 握った手の平に、爪が食い込む。


 スピーカーから、音楽が大きな音量で流れ出した。


〈続く〉

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