第8話 あとは、大丈夫

 選手控室には本当は選手以外は入れないらしいんだけど、まだ集まっている選手も少ないし、ちょっとの間の付き添いなら、という条件で私の入室も許してもらえた。


 普段は会議室として使われているというその部屋は、長机を端に寄せて片付けられていて、壁に沿って椅子が並べられている。既に到着していた選手は、その椅子に荷物を置いて、部屋の中でヨーヨーの紐(ストリングって呼ぶんだって、九凪さんに教えてもらった)を交換していたり、選手同士で雑談していたり、一人で音楽を聴いて集中したりしている。


 私は、九凪さん以外がヨーヨーをしているのを見るのが初めてだったから、物珍しくてキョロキョロしちゃったけど、九凪さんは適当に空いている椅子にカバンを置いて、さっさと荷物を整理し始めていた。


「すごいね、当たり前だけど、たくさんヨーヨーをやってる人が集まるんだね」


「まだほんの少しだよ、いまここにいるのなんて」


 九凪さんは上着を脱ぎ、黒いTシャツ姿になる。左手に青い手袋も嵌めていて、本気モードだ。


「選手だって全国にはこの何十倍もいるし、ヨーヨープレイヤーの数は日本中に何万人もいるんだから」


 そう語る九凪さんはどこか得意げで、表情に自信が現れている。


「好きなんだね、ヨーヨーのこと」


「うん。私、これしか出来ないけど、ヨーヨーのことなら頑張れるよ」


 真っすぐにそう口にする九凪さんのことが、なんだか眩しかった。勝ってほしい。私はそのとき、心からそう思った。


「おーう、ツバサじゃん。どうした、ジュニアの大会じゃないぞ今日は」


 やけに陽気な声が聞こえたかと思うと、九凪さんの頭の上に大きな手が、ぼすん、と乗せられた。

 いつの間にか九凪さんの背後に立っていた、短髪のメガネを掛けた男性が笑顔でワシワシと九凪さんの頭を撫でている。気付いた九凪さんが、逃れるべく暴れだす。


「うがーっ、やめてくださいよ、高倉さん!」


「おっと、元気だなおチビちゃんは。今日はどうした、パパの付き添いか?」


「選・手・ですっ! ジュニアで入賞したから本戦に出れるんですっ!」


「おう、そうか。頑張れよ、未来のミス・ヨーヨー」


「馬鹿にしてますよね?」


「いやいや、まーさか。応援してるぜ、お兄さんはよぉ」


 ケタケタと笑いながら九凪さんをからかうその男の人は、ようやく私に気がついたように、こっちに向き直った。


「っと、こんにちは、初めましてお嬢さん。このチビっ子のお友達かな」


「チビ言うな」


「あ、えっと、はい。そうです。浅葱っていいます、どうも」


「へえ、浅葱ちゃん。君もヨーヨーをやるのかな。下の名前は?」


 にこやかに話しながら、すっ、とナチュラルに右手が差し出された。そして、その上から九凪さんが襲いかかり、がぶり、と噛み付いた。


「ぎゃーっ、痛えーーっ!」


「浅葱さんから離れて! このっ、このっ」


「ヨーヨープレイヤーの利き手を噛むなって! 怪我したらどうすんだよ!」


「自業自得だよっ! 名前を聞くならまず自分が名乗ってください!」


「あの、九凪さん、この人は……」


 私がおずおずと訊ねると、九凪さんは嫌そうな顔をしながら「この人は本当に無視していいから」と吐き捨てるように言う。その後ろから、その本人がひょっこりと顔を覗かせて、


「ひどいなあ、ツバサぁ。ちゃんと紹介してくれよ。浅葱ちゃん、俺は天才ヨーヨープレイヤーこと高倉淳一。今年も日本一を穫る男だ」


「日本一を……今年も?」


「……この人、全国チャンピオンなの。2部門を合計6連覇中でしたっけ?」


「そ。2Aと4Aに限っていやあ、この国に敵はいないね」


 平然と胸を張ってそう言う高倉選手。

 ヨーヨーの競技は、主として『1A』から『5A』の5部門に別れている。高倉選手がチャンピオンを獲っているのは、2A部門が2連覇中、4A部門が4連覇中で、九凪さんが出場する1A部門とはまた違う。らしい。これは、すべて九凪さんがその場で解説してもらったもの。渋い顔をしながら。


「ちなみに、4Aは世界大会も2連覇中だ」


 なんかものすごい選手、らしい。どうやら。さっきから九凪さんとのやり取りを見ていると、ありがたみが全然感じられないけど。

 なんか、九凪さんとじゃれ合ってると、そこらの男子高校生くらいにしか見えないよこの人。


「ねえ、ちょっとは静かに出来ないわけ?」


 控室の扉が開いて、また別の、凛とした涼し気な声が割り込んできた。


 入り口の方を振り返ると、金髪を大きな黒いリボンで二つに結んだ、大学生くらいの女の人が呆れ顔で立っている。髪型とは裏腹に、大人っぽい見た目の美人だ。


「外の廊下まで響いてたわよ。チャンピオンならチャンピオンらしく、堂々とした貫禄を見せたらどうなの? ちょっと目を離したらこれなんだから」


「お、サラ、戻ってきたな。聞けよ、こいつ今年は本戦に出るんだってよ」


 九凪さんの頭を、両手を使って二倍ワシワシしながら、高倉選手が言う。


「知ってるわよ。アタシだって出てたんだから、ジュニア大会は」


 ツカツカと近づいてくる、ツインテールの金髪美人。スタイルいいなあ、美巨乳だわ。って、ジュニア大会に出てたってことは、私と同じ高校生?


「こんにちは、ツバサちゃん。全国大会の場で選手として会うのは初めてね」


「うう、小早川サラ……」


 高倉選手の手を払いのけた九凪さんが、今度はまた違った敵意がこもった目で、その女の人を睨んでいる。対して、睨まれている小早川さんは、涼しげに九凪さんを見下ろす。

 その様子を面白そうに眺める高倉選手が、私の隣に来て話し掛けてくる。


「あの二人、バチバチなんだよ」


「バチバチ、ですか」


「ライバルってこと。元はツバサがサラのファンだったんだけどな。大会で選手同士として会ううちに、だんだんと倒すべき目標になっていった、ってところかな」


「勝手に解説しないでください」


 九凪さんが高倉選手をひと睨みして吼える。


 小さな頃の九凪さんが子犬のように小早川さんにキャンキャン言っている図を思い浮かべてみる。


「……ロリ凪さんも可愛いな」


「あれ、浅葱ちゃん、なんの話をしてる?」


 高倉選手がちょっと引いた目で私を見ていた。

 小早川さんが、九凪さんを見下ろす目をすっと細めて、涼しげに笑みを浮かべた。


「懐かしいわね。あのときの小さな可愛らしいお嬢ちゃんが、今やこんなに大きくなって、私を生意気に睨むんだもの。リボンはもうやめたの? 昔は私の真似をして同じ髪型で大会に出たりしていたけど」


「む、昔の話をしないでよ!」


「え、それってつまり、ツインテールのロリ凪さん概念ってこと……?」


「浅葱さんはどこに食いついてるの!?」


「ま、過去のことは過去として」


 小早川さんが話を切る。自分で持ち出した話をすぐに区切るって、どんだけ昔ばなしで九凪さんをイジりたかったんだろう。

 二人の間には少し身長差があって、見上げる九凪さんと見下ろす小早川さんとで上下から視線をぶつけている。


「ようやく全国の舞台でぶつかれるわね、ツバサちゃん」


「こ、今度は負けませんよ……!」


「ま、お互いせいぜい頑張りましょう。全国では、私も予選通過に必死だもの」


 そう言って踵を翻すと、「まずは、明日の決勝に上がることね」と言い残して小早川さんは手をヒラヒラとあっさり立ち去り、反対の壁際に場所を取りに行った。


 九凪さんは、その背中をしばらく睨んでいたけど、急にはっと気づくと、周りを見回しながら申し訳なさそうに私に手を合わせた。


「浅葱さん、そろそろ行ったほうがいいかも。選手も増えてきたし。あとは、大丈夫だから。なんか騒がしくってごめん」


「ううん、こちらこそ。えっと、じゃあ観覧席に行ってるね、私」


 周りを見れば、確かにそこら中で荷物を広げる人が増えている。高倉選手が後ろから九凪さんの肩に手を置いて、


「ツバサのことはこっちに任せて大丈夫だから、行ってきな。楽しんでくれよ。大会観るの初めてなんだろ」


と言った。真面目な表情をすると、この人もちゃんと大人の顔だ。


「はい、九凪さんのこと、よろしくお願いします。じゃあ、私、観覧席に行ってるね。頑張って、九凪さん!」


「う、うん。見ててね」


 九凪さんとガッツポーズの拳を合わせ、私は控室を後にした。

 背後では、高倉選手が「で、結局あの子の下の名前、なんなの?」って訊いて九凪さんにまた噛みつかれていた。


〈続く〉

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