第14話 ようこそ『スロウ・ダウン』へ

「お店?」


「ヨーヨー専門のショップがあるの。私たちの家の近くだよ。どうせ、その指だと少し練習はお休みした方が良さそうだし」


 確かに。これ以上の無理はあまりしたくない。正直、授業中とかペンが擦れるたびに痛かったんだよね。


「じゃあ、今から行く?」


「うん、ちょっと待って、片付けるから!」


 そう言って、ツバサは楽しそうにヨーヨーをカバンに片付け始めた。


* * * *


「いらっしゃーい、浅葱ちゃん」


 ツバサに従って入った店内で待っていたのは、あの赤いメガネの明楽店長だった。ショップって、この人の店だったのか。


 小さな店舗の『ヨーヨーショップ スロウ・ダウン』は、駅から歩いてすぐ、線路沿いの通りにあった。それは通学にいつも使っている私鉄の路線で、毎日電車から見ているはずなのに、まったく目に留まったことがなかった。


 もともと町のおもちゃ屋さんだったのが、明楽店長のお父さんが脱サラしておじいさんから受け継いだ時にヨーヨーを扱いはじめ、それが段々と主体になっていき、ついには専門店になってしまった、という経緯のお店らしい。


 こぢんまりとした店内には、壁に棚に、ヨーヨーやその部品、メンテナンス用品なんかが所狭しと並べられている。棚の各所には、それぞれのメーカーのロゴマークらしきものが掲げられていたりして、なんだかスポーツショップみたいだ。いや、ここも競技スポーツの専門店か。


「で、今日はどうしたの?」


 エプロン姿で腰に手を当てた明楽店長に訊ねられて、ツバサは私を手で示す。


「キズナちゃんにヨーヨーをあげたんだけど、さっそく使い倒してストリングがボロボロなの。どうせだからまとめて買っておいた方が良いかなって思って」


「へえ。随分熱心に練習してるのね」


 指の赤い痕を見て、そう笑顔で言う明楽店長。みんなこの指に気付くけど、そんなに目立つかなあ?

 そして、明楽店長はツバサの方を向くと、笑顔をさらに深めて右手を出す。


「ほら、ツバサもヨーヨー渡しな。どうせメンテナンスはサボってるんでしょ。見てあげるから」


「うっ……」


 図星を指され、すごすごと自分のヨーヨーをカバンから取り出すキズナ。「どれどれ……」と明楽店長はおもむろにそのヨーヨーを手に装着して軽く投げ下ろす。


 シャー、という聞き慣れた音。うん、やっぱり、借りてるプラスチックヨーヨーとキズナがメインで使うメタルヨーヨーだと、音が違う。こっちのが、硬質でシャープな感じがするね。


「うーん。まあ、思ったよりは大丈夫そうね。ベアリングの洗浄だけしておきましょう」


 手元でいくらかヨーヨーを動かしてみて、そう述べる明楽店長。その手元の動きを、私は思わず凝視してしまった。軽く投げて動かしただけみたいな風だったけど、めちゃめちゃばっちり複雑なコンボを決めていたんじゃないの、いま。しかも、速い。


 驚く私を、にっ、と笑顔でキズナが覗き込んできた。


「びっくりした? 店長、昔は選手だったんだよ。全国や、世界大会でも結構いい戦績残しててさ」


「ま、エキシビション扱いの女性部門だけどね」


 言いながら、ピィィン、と弾くような音を立てる〈バインド〉をし、紐の撚りを直しつつキャッチする明楽店長。


「ほら、ツバサはこの子のメンテナンスをしてあげなさい。お店の奥使っていいから」


「え~、店長やってよ」


「バカ言うんじゃないの、自分のヨーヨーくらい自分でメンテしなさい。私は浅葱ちゃんにストリングの説明からしなくちゃいけないから」


「ストリング、って、ヨーヨーの紐のことですよね。そんなに種類あるんですか?」


 訊ねた私の言葉に、にっ、と笑って明楽店長が答える。


「そうね、ざっと数えても三十種類以上ってとこね。ノンブランドの物から、定番が数シリーズ、他にも各メーカーが出している物とか選手と共同開発したシグネチャーモデルとかがあって、あとは太さのバリエーションが結構あるから」


「そんなにあるんですか……」


 バインドヨーヨーで使うものとルーピングヨーヨーで使うもので太さが違うのはツバサから聞いてたけど、太さ以外に何が違うんだろう。なんてことは、口にしたが最後、たぶん明楽店長の語りが止まらなくなりそうな気がしたので、やめておく。


 しかし、紐ひとつで三十種類ね。


「初心者にはさすがに関係のない話だけど、こだわる人は色までこだわるわよ。単に見た目じゃなくて、色を付けている染料の違いで微妙にフィーリングが変わってくるって」


「色って……それ、実際本当なんですか?」


「そうねえ、ヨーヨーって一分間に五千回転とか回るのよ。一秒だと八十回転以上ね」


 言いながら、手近にあった試遊用のヨーヨーを手に取って、投げて見せる明楽店長。指に掛けてマウントし、そのままストリングの上でヨーヨーを滑らせて見せる。


「回転軸の部分にはベアリングが入ってるから摩擦は小さいんだけど、こうやって、トリックをしていると、どんなに上手くたって当然少しずつはヨーヨーの内側にストリングが当たるよね」


 そう言って、ヨーヨーに対してストリングを斜めにすると、シュルシュルシュル、と言う音を立ててみるみる回転数が落ちていくのが分かる。しまいに、姿勢を保ちきれなくなって、ぼとり、とマウントしていたストリングから落ちてしまう。


「それに、どんなに重いヨーヨーでも、せいぜいが七十から八十グラムくらいだからね。ちょっとの差でも大きく響いてくるってこと。あとは、やっぱり染料が違うっていうのは、ストリングに染み込んでいる成分が違うってことだから、紐の硬さや重さにも微妙に影響してくるわね。ストリングを飛ばす様な、〈スラック〉系とか〈ラセレーション〉系みたいなトリックを多用する人は特にこだわるかな。ま、トップ層クラスの選手の話だけどね」


「繊細なんですねえ」


「ま、初心者はそこまで大仰に考えなくていいわ。定番ストリングの定番の太さの中から好きな色を選んでいきなさい」


 試遊用のヨーヨーを棚に戻して、明楽店長はストリングの棚へ案内してくれる。

 本当に、ストリングだけでも上から下まで色々あって、こりゃあ、こだわり出したら大変だわ。でも、逆に言えば、納得のいくまで自分好みのカスタムが出来るってことだからね。パーツの種類が多いのはいいね。


「普通はこの辺りから選ぶわね。ちょっと、実際に振って、太さの違いを体感してみて」


 明楽店長はひょいひょいとどこからか何個かのヨーヨーを拾って手渡してきた。本体のヨーヨーはどれも同じで、巻いてあるストリングだけが違うみたい。


 フィンガーホールを作って指にはめて、軽く投げてみる。ヨーヨー界隈の人は、ヨーヨーを投げることを『振る』っていうけど、やってみるとなんとなく感覚が分かる。投げ下ろすと、振り子み1たいにヨーヨーが振れて、その勢いを使ってトリックに繋げていくんだ。


 覚えたばかりの〈ブレイン・ツイスター〉をやってみて、ほどき、〈バインド〉する。〈バインド〉にも本当はいくつも種類があるんだけど、ツバサや明楽店長がやるみたいなスマートで恰好いいやつはまだ出来なくて、それでも基本のやつは概ね百発百中で戻って来るようになってきた。


「おお、随分サマになってるじゃない」


 眺めていた明楽店長が、楽し気に口笛を鳴らす。なんか、くすぐったくてやりづらいなあ。


 渡された他のヨーヨーを試してみると、確かにストリングによって、太いのは回転が落ちやすいけど〈バインド〉はしっかり戻ってくるし、細めなのは長持ちするけど〈バインド〉の戻りがちょっと頼りない、といった違いが分かってくる。へえ、分かってくると、面白い。


「まあ最初は、試してもらった中でも中間くらいの太さが丁度いいと思うわね。あとは、ストリングの太さでフィーリングが変わってくるのを知っていれば、違和感を感じた時に、ストリングを変えればいいかも、って思えるから、覚えておいて」


 そう言って、十本入りの袋を渡してくれる。


「ストリングは、二日くらい使ったら交換してね。欲を言えば毎日換えてほしいけど、高校生のフトコロ事情だとなかなか厳しいと思うから。ま、一週間も二週間もストリング換えずに毎日練習してるあの子みたいなのもいるけど、切れたら危ないから本当にやめてね」


 明楽店長は、奥の部屋から「洗浄終わった~!」とニコニコ顔で出てきたツバサを指さしながら言う。ああ、そういうところ、ツバサは結構ズボラなのね。


「これからは私が一緒に練習するから、同じタイミングでツバサにもちゃんと換えさせるようにします」


 私が、ビッ、と胸を張って言うと、明楽店長に手を取られ、感激したように強く握られた。


「ああ、あなたみたいなしっかりした子があの子の友達になってくれて、本当に嬉しいわ。ツバサを、宜しくねぇ……!」


「任せてください、お母さん!」


「何の話してるの? その人お母さんじゃないよ?」


 呑気な顔をしたツバサが、頭にハテナを浮かべながら戻ってきた。うん、大丈夫。君のことは私が守るからね。


〈続く〉

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