第35話 ステージ(2)

 曲は明るいアップテンポになる。低音のウッドベースとトランペットから、『バット・ノット・フォー・ミー』。

 今度はジャズのスタンダードをポップにアレンジした音源だ。


 軽快に回るヨーヨーの調べに良く似合う、どこかあっけらかんとした明るい曲調で、舞台はリズム良く回転しはじめる。


 触り慣れたバインドヨーヨーを手にした私は、かつてツバサに教えてもらったトリックたちを続々と披露する。

〈ブレイン・ツイスター〉から〈バレル・ロール〉。

 サイドスローからは、〈トラピーズ〉。

 そこからクルクルとリズミカルにヨーヨーを転がしては解いて遊んでみせると、軽い動きで〈サマーソルト・バインド〉を決める。


 徐々に、ヨーヨーは観客の知っている動きから離れていく。

 手始めには、ボトム・マウントからの〈ボヨン・ボヨン〉。ストリングの中をヨーヨーが横に跳ねる、不思議な動きに会場の空気がちょっとずつ変わっていくのを感じる。


 いい感じ。ちゃんと客席の呼吸をコントロール出来ている。


 そのまま、ヨーヨーをストリングの中でロックさせて空中に固定したまま、両手がヨーヨーの周りを回る〈マッハ・ファイブ〉をしてみせる。

 さらには、一度戻したヨーヨーをサイドスローから〈トラピーズ〉させて、上へ跳ね上げる〈イーライ・ホップ〉。


 一気に新しい世界へと引き込まれた観客は、拍手をしながら前のめりになっていく。BGMにも様々な楽器が重なって、いつの間にか目を離せない。


 何もかも、私のためなんかじゃない。

 軽快なトランペットには、どこかユーモラスな孤独が付き添っている。それは、舞台にただ一人の私と、それに合わせて踊ってくれるヨーヨーのよう。私たちのダンスは、言葉なんて無くても、ここに世界を作り出せるんだ。


 さらにいくつかのトリックや、それを組み合わせたコンボを決めてみせて、拍手をもらいながら、舞台の中央でお辞儀をして、私は一度上手かみてへと下がっていった。


 舞台を照らすライトは消えない。音楽も、うっすらとしたハイハットとベースのリズムで繋がっている。私と入れ替えに登場するのは、ツバサだ。

 振り返ることの出来ない私は内心で祈るようにエールを送る。

 頑張れ。やって見せろ!


 ツバサはステージの中央に立ち、静かに片手を肩の高さに構える。

 観客の方も見ないまま、仁王立ちになった小柄な体がただ一人、その時を待つ。私のパフォーマンスで温まった客席が、なんとなく、何が始まるんだろうと、うっすらザワついている。


 まだ、ここまでは本番じゃないよ。まだね。


 見てな。


 スタートは、ここまでと打って変わった打ち込みのEDM。ハリのある女性ボーカルが場を鋭く制し、空気が一変する。


 ツバサは動き出しからキレが良かった。


 直前までの緊張なんか忘れたみたいに、いきなり伸びの良いサイドスローから、複雑な、だけど動きのはっきりとしたレール・コンボ。観客の目が左右に踊る。

〈トラピーズ〉で指の間にマウントしたかと思ったら、ヨーヨーが生き物のように跳ね回り、ストリングの上を乗り換えながら、右に左にピョンピョンと跳ぶ。

 動きは収束し、スピードは増していく。あっと呑まれた観客の目が追えないスピードになったところで、弾けるように直上に飛んだ。


 ライトに照らされて輝きを見せるヨーヨーが、真っすぐにツバサの手の中に戻ってきて吸い込まれていく。〈バーティカル・バインド〉がBGMのビートに合わせてばっちり決まった。


 おおっ、とどよめき。

 袖で見ながら、思わず笑みがこぼれる。観客が戸惑っているのが分かる。

 それは、困惑しているわけじゃない。新しい世界への扉に、知らずのうちに足をかけていた者の驚きだ。


 さあ、見せてしまいな、ツバサ。


 バインドに合わせてしゃがんでいたところから顔を上げ、初めて観客と目を合わせるツバサ。

 湧き上がるように、挑発的な笑みがうっすら。立ち上がりざまに、片手でクイクイ、と客席を煽っていく。誰かが口笛を吹いた。


 曲は、ボーカロイド曲を女性シンガーが歌っているのを、ツバサの演技構成に合わせて眞一さんが長さを調整したリミックス。ビートの効いた楽曲の心地よいリズムに、客席も、ツバサもノっていくのが分かる。


 もう一度のサイドスローから見せたスラック系のコンボで、今度は観客の目がクルクル回る。

 ヨーヨーだけじゃない。ストリングも宙を飛び、空中に浮かんでいるヨーヨーを捕らえる。止まったり、浮いたり、急に反対に動いたり、ヨーヨーの動きは予想がつかない。それを操るツバサが、両手の周りで踊らせる。


 いきなりハイスピードにしても、観客の目が離れていない。よしよしっ、狙い通りだ。序盤から徐々にヨーヨーの世界へと丁寧に馴染ませるこの構成なら、大会で使うフリースタイル演技のアレンジでも、観ている人を振り落さない。


 それに、ちゃんとヨーヨーの動きがBGMのリズムにハマっているから、訳が分からなくても、見ているだけで気持ちいいはず。


 次は縦系のコンボだ。客に対して体を横に向けて、ボトムマウント。〈ボヨン・ボヨン〉、〈ポッピン・フレッシュ〉、〈シーシック〉と繋げていきながら、歩いてツバサはステージの上手かみて側に移動する。

 ヨーヨーがストリングの輪の中で跳ねる動きの合間に〈ボトム・マウント・ホップ〉や〈タジマ・バウンド〉を混ぜてアクセントを作り、観客の目を離させない。


 さらにサイドスローから〈イーライ・ホップ〉系のコンボ。ストリングの長さをいっぱいに使った大きなホップを飛ばし、体の前で後ろでマウントさせながら、BGMのリズムを刻んでグルーヴを編んでいく。


 体の後ろにヨーヨーを回して左右にホップさせる〈ビハインド・イーライ・ホップ〉を混ぜながら、ターンを踏むように体を反転させつつ、今度は舞台の下手側へと近づく。


 サビの直前。静かに投げ下ろしてスリープさせたヨーヨー。

 手を挙げて、観客を注目させる。


 一息入れて、一気に持ち上げる。

 空中に飛んだヨーヨーの周りを、ツバサの手が躍り、高速で何重にもストリングを掛ける。

 自由落下のヨーヨーに合わせて体を落としながら、最後のところで音に合わせてマウント。

 空中で掛けられたストリングが一気にヨーヨーに絡まり、ビシッ、と静止する。


 大技〈フック3.0〉が決まった。観客が沸いた。拍手が高まる。私も袖でガッツポーズを握る。ツバサの表情にも、自然な笑みが浮かんでいた。


 ここからは、熱に任せてツバサの得意なホリゾンタル系のコンボ・ゾーンだ。


 きっと、客席は誰も見たことのないヨーヨーの動きが爆発する。

 水平に投げられたヨーヨーを指に引っ掛けて、そのまま横向きにストリングにマウントし、ターン。水平に回転を保ったまま、ストリングに掛けたヨーヨーをぶん回すように体の左右へと飛び回らせる。


 空中を自在に勢いよく飛び回るヨーヨーの動きが、パワフルに観客の感情を昂らせるのが分かる。

 なんだ、あの動き。ヨーヨーが、横に回って、しかもそれがコンボでずっと繋がってる?

 驚きと興奮。ツバサのスキルに、会場が息を呑んで夢中になる。


 ホリゾンタルのまま、〈イーライ・ホップ〉や〈ジャーブル〉といったトリックを繋げていき、〈ターン・バインド〉で綺麗にキャッチ。

 ちら、と客席を横目に見たツバサはもう一度ホリゾンタルにヨーヨーを投げ出す。


 既に舞台は私たちのものだった。ツバサとヨーヨーが観客を巻き込んで、興奮の回転が熱を上げる。眞一郎さんのクラブミックスは体に響くうちに、観る者のリズムを自然と引き込んでいく。


 ここからは一気にツバサのステージが白熱していく。トリックを決めるたびに、拍手が起こる。歓声が上がる。盛り上がるほどに、舞台上のツバサもノりにノっていく。


 二分間、ジュニア大会で披露する演技構成をほとんどそのままにステージを駆け抜けて、上がりに上がったボルテージの中でフィニッシュの〈トルネード・バインド(D・N・A)〉を決めてキャッチしたとき、会場からは一斉に盛大な拍手が沸き起こった。


 いつの間にか、観客はみんなツバサを見ていた。舞台袖から見える、興奮した顔たち。


 ツバサは笑顔でお辞儀をする。さらに盛り上がるオーディエンス。はぁ、はぁ、と息を切らしたツバサがペコペコ頭を下げながら、指に着けていたヨーヨーのストリングを外し、ポケットにしまう。


 そのタイミングで、私がもう一度舞台に登場する。


 ストリートな私の装いに合わせるように、スクラッチの音が繋いで、BGMはヒップホップ調に。

 私はステージを笑顔で横切りながら、両手のルーピングヨーヨーを投げて、〈ツーハンド・ループ〉を軽く見せておく。


 右手のヨーヨーを下に投げ下ろし、スリープしている間に指に掛かったストリングを外す。タイミングを合わせ、巻き戻ってくるヨーヨーの勢いを利用して、そのままキャッチせずに、ヨーヨーを前に放る。

 昔ながらの〈ロケット〉のトリックで飛ばされたヨーヨーは、舞台上にまだ残っていたツバサへと飛び、キャッチ。もう一つのヨーヨーも、同じように〈ロケット〉で飛ばしてツバサにパス。


 受け取った二つのヨーヨーを両手に着けるツバサと、パーカーのポケットからもう二つのヨーヨーを取り出して着け直す私。二人が両手にルーピングヨーヨーを着けて用意が出来たら、舞台の真ん中で合流する。


 再びのスクラッチとともに、BGMが勢いよく展開する。

 曲はアメリカのヒップホップクルーの楽曲を繋いでリミックスした音源だ。これは、私から眞一郎さんへのリクエスト。オールドスクールなラップの曲調が、リミックスによってノリの良いダンスミュージックに変貌する。


 そのストリートな音楽をバックに、私とツバサはツーハンド・ルーピングでステージパフォーマンスを繰り広げる。


 二人でのコラボステージだ。


〈続く〉

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