第34話 ステージ(1)

「大塚会長!?」


「うむ、遅れてすまない」


 暗がりの中で分かりづらかったが、その声は他の誰にも間違えようがない。

 大塚会長は制服ではなく、上下スーツの恰好で現れ、各務かがみさんの様子と、私たち二人の顔を見て、それから青木さんに話しかけた。


「指示が必要なのは、音響のことか」


「は、はい……」


「次のステージは?」


 大塚会長が私たちをちら、と見ながら訊ねる。


「次の『HOP‘n WHEEL』のお二人のステージは大丈夫です。問題はその次からで……」


 青木さんの言葉を聞いた大塚会長が、うなずく。


「そうか。次の二人の演技が終わったら、ステージは一旦止めていい。司会に五分休憩を取るとアナウンスさせろ。それから、上から木谷きたにを呼んで来てくれ。あと、小暮こぐれも。その後で、悪いが青木くんは彼女を連れて保健室に。いいな?」


「っ、はい!」


 青木さんが息を呑んで、弾かれたように動き出す。不安げにちらちらとこちらを見ていた司会者の男子に駆け寄って、指示を伝えている。

 大塚会長は各務さんの体を軽々持ち上げると、立ち上がって私たちに向き直った。


「悪い、出番の直前にドタバタさせてしまって。ここからは俺が対処するから、こっちは大丈夫だ。君たちは、ステージに集中してくれ」


「会長……」


 大塚会長は、暗闇の中でも分かるくらい、歯をむき出しにして、ニッ、と笑った。


「約束しただろう。絶対に見に来るって」


 ツバサが目を見開く。

 ステージでは、前の組がパフォーマンスを終了して、お辞儀をしながら拍手を浴びていた。


「ほら、もう出番だ。いってらっしゃい」


「ありがとうございます。各務さんを、よろしくおねがいします」


「ああ、君たちも。グッド・ラックだ」


 親指を立てる大塚会長に見送られて、私たちはステージの袖の端に進んだ。


* * * *


 暗転したステージの上手かみて側、袖に控える私たちとは反対側に、机がひとつ運び出される。その上に小さな『何か』が置かれ、係員はそそくさと袖へ帰っていく。


 準備が出来たことが確認されて、司会役の生徒がマイクをオンにし、「それでは、続きまして」と喋り始めた。



 ふーーっ。

 深呼吸をひとつ。

 始まる前の緊張。

 胸がざわつき、血が熱くなる。

 でも、大丈夫。

 私なら、やれる。

 振り返ると、ツバサが暗がりの中で笑ってる。

 強がりだってすぐに分かる、こわばった笑みだ。

 だけど、どんなに硬い表情だったとしても、無理してでも笑ってるのを見て安心した。

 大丈夫。

 私たちなら、大丈夫。

 そう、信じられる。

 ニッ、と、ツバサに笑い返す。

 前を向く。

 さあ、やるぞ。

 ステージは私たちの時間だ。


* * * *


 音楽が流れ始める。

 掠れたレコードのノイズの上に、控えめなピアノの音が重なる。静かな曲調だけど、どこか気持ちが弾むのは、ジャズのスウィングのせいだろう。


 曲は、ドビュッシーの『月の光』。誰もが知っているその曲をジャズ調にリミックスしたお洒落なトラックを、眞一郎さんは一曲目に選んでくれた。


 無人の舞台上には、背景幕に当てられたスポットライトで満月が浮かんでいる。

 黒い幕の上にライトの黄色い光の円。それが、私たちがこのステージで依頼した唯一の舞台装置だ。


 今宵は満月。静かな夜に、私が歩み出す。


 月夜のひとり散歩のような気持ちで、舞台に出る。無造作に歩き出てきた私が、上からステージを照らすライトに浮かび上がらせられる。


 下手しもてから舞台に出てきた私は、どこか上を見上げながら、ステージを横切るようにして歩く。月を見上げるように。

 月の光。静かだけどどこかワクワクする調べに乗って、私たちのステージは始まる。


 ステージに立つ感覚を、久しぶりに味わっていた。


 観客の視線の集まる中に、誰の助けもない勝負の場に、自ら放り出される感覚を思い出していた。

 ここが、私の場所だ。


 やがて私は、舞台にポツンと置かれた机にたどり着く。その上に乗せられた青い小さな丸いもの。


 無造作に拾い上げる。なんだろう、これは。


 それは、厚みのあるUFOみたいな姿をしていて、二枚の円盤の間からは、細い紐の端が垂れさがっている。


 私は、合点がいったようにうなずいて、目線より高く持ち上げてみせる。銀の月と、クリアブルーのヨーヨーを比べるように。そう、どちらも丸いもの。


 愉快な気持ちだ。紐の先に輪っかを作って指を通す。すっかり慣れた動き。スピーカーからはパーカッションのリズムが聞こえ始める。


 まっすぐ下に投げ下ろす。手の下でヨーヨーが回る。何だろうと訝しんでいた観客が、納得する呼吸が分かる。

 手を、クイ、とスナップで持ち上げる。引き戻しのヨーヨーは、キュン、と唸りながら手の中に戻ってくる。現代のヨーヨーにはない、手になじむ形状。これはこれで好きだなあ、なんて関係ないことを思う。


 満足げにうなずく。次は、そのままゆっくり歩きながら投げる。散歩の続きだ。


 再びスリープするヨーヨー。そのストリングをつまみ、三角形を作った中にヨーヨーを揺らす。〈ブランコ〉だ。

 基本中の基本トリックだけど、バインドヨーヨーに慣れている私にとっては、実をいうと結構難しい。油断して形が崩れると、すぐに容赦なく戻ってきてしまうのだ。

 丁寧に、でもリズムよく。ブランコを解いて、キャッチする。


 曲調はリズムを得て活き活きとし始める。

 私も、〈エレベーター〉、〈ピンホイール〉、〈犬の散歩〉と昔懐かしいような基本トリックを続けて、舞台の下手しもて側に戻って来た。


 振り返って、ヨーヨーを投げる。円を描いて、手の中に戻ってくる。

 うなずく。


 ストリングトリックもルーピングトリックも出来るのが、この頃のヨーヨーの特徴だ。いまとなっては1Aと2Aに部門が分かれたそれらが、純粋に『遊び』だった頃のヨーヨー。楽しむための、楽しませるための道具。


 シンプルに投げてキャッチ。〈フォワード・パス〉。

 続いて体の周りを大きく一周させて、前方に戻ったヨーヨーをキャッチ。〈アラウンド・ザ・ワールド〉。

 フォワード・パスを上、真ん中、下の三連続で、キャッチ。〈スリー・リーフ・クローバー〉。これが意外と難しい。


 観客の中には、昔触ったことのある親御さん世代もいるのだろう、なんとなく、懐かしんで見ている雰囲気を感じる。食いついている。その感触を信じる。


 また端まで歩いた私は、再度振り返って、上を見上げる。右手を顔の高さに上げて、ヨーヨーを斜め前に投げ上げる。戻ってきたヨーヨーを真上に返して、空に弧の軌道を描く。〈リーチ・フォー・ザ・ムーン〉だ。


 美しく三日月の形に往復するヨーヨーの軌道に、パラパラといくつか拍手が広がった。良い調子だ。自然と始まる拍手ほど、安心するものはない。


 キャッチして〈リーチ・フォー・ザ・ムーン〉を終えると、後ろからもう一人の影が現れて、私の肩を叩く。観客の拍手が止む。


 舞台に現れた二人目の少女。ツバサは片手を差し出して、何かを求める。私が手に持ったヨーヨーを指すと、ツバサはうなずく。


 不審がりながらも、指からストリングを外して、その手に乗せる。受け取ったツバサはしばしそれを眺め、おもむろにポケットにしまったかと思うと、反対のポケットから、別のヨーヨーを取り出した。それを、半ば押し付けるように私の手に握らせて、そのまま、反転して舞台からまた去っていってしまう。


 残された私と観客。受け取らされたものは、またもヨーヨー。首を傾げながら、それを右手に装着して、試しに投げてみる。

 シャー、とベアリングの音を響かせて回るヨーヨー。スピーカーからの曲はいつの間にか消えていて、勢いよく回るヨーヨーだけが舞台を占める。不思議な形をしたヨーヨーだが、さっきよりもよく回るのは、見てひと目で分かるだろう。


 それを、引っ張り上げる。しかし、戻ってこない。


 驚く舞台上の私は、何度も手を持ち上げて引っ張るけど、ストリングの下でヨーヨーが跳ねるばかり。しかし、ストリングを指に掛けて、くるりと〈バインド〉して見せると、綺麗にヨーヨーは手の中に戻ってくる。


 そう、バインドヨーヨー、そしてフルメタルヨーヨーの時間だ。


〈続く〉

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