第八部 文化祭

第33話 舞台袖の暗がりの中で

 私たちの通う高校の文化祭は『木犀祭もくせいさい』と呼ばれ、九月の終わりに、土日の二日間にわたって開催される。


 中高一貫の私立進学校なだけあって、広い敷地を活用した様々な催し事は、二千人を超える生徒たちによって活況を見せている。

 小学校を卒業したばかりの中学一年生から、大学受験を控えた高校三年生までが入り混じって祭りを盛り上げるその様子は、公立の中学校から来た私にとっては半ば不思議な光景で、なんだか不思議とワクワクする。


 中高それぞれの教室棟をはじめとして、職員室のある本館、音楽室や図書館が入っている特別棟、売店やカフェテリアのセミナー館、二つある体育館のほか、美術棟やら弓道場やら様々点在する施設のあらゆる場所で何かが行われていて、とてもじゃないが、二日かけても全ては回りきらないだろう。

 中庭やちょっとしたピロティですら、何もイベントがない時間帯は無いんじゃないだろうか。


 その中にあって、第一体育館の二階アリーナは、休憩場所としても解放されていて、いわばフリースペースな空間として、生徒もお客さんも緩く利用している。


 そのステージで行われるパフォーマンスは、どの団体にも属さない『何かしたいヤツら』のノンジャンルな表現の場であり、ゆっくり座って休憩する人たちのひと時のBGMとして楽しませる、いわば賑やかしというような立ち位置のようだった。


 その性格上、私たちを目的に見に来るお客さんというのはあまり見込めないけれど、何となくその場に居合わせる人たち、という観衆はある程度望めるだろう。


 上等だ。

 チャンスがあるなら、掴めばいい。人がいるのなら、振り向かせればいい。客を集めることすら難しいステージに比べれば、全然勝算はある。


「……結構ひと、入ってるよ。三十人くらいいるかも」


 客席の様子を見に行っていたツバサが、青い顔で舞台袖に戻ってきた。

 出番が近づくほどに、その小さな顔は青褪めていっている。昨日のハグで気合を注入してあげたつもりだったけど、まあ、本番の緊張を完全に払いのけるほどの効果はさすがに無いな。


 ちなみに、ツバサは三十人くらいって言ったけど、さっき私が袖からチラ見した感じでは、四、五十人くらいは入ってる。休憩場所でもあるから客席は暗めだし、まばらに埋まっているせいもあって、パッと見で人数を正しく把握するのって、結構難しいんだよね。

 まあ、ツバサの緊張の度合いを考えれば、少なく見積もっている分にはいいか。


「良い事、良い事。人が多けりゃ貰える拍手も多いもんね」


「うう~……キズナちゃんは慣れてるからなぁ……」


「大丈夫、そのうちツバサも慣れるよ」


 手を取って、体をほぐすためにブラブラと揺すってやる。暗くて分かりづらいけど、今にも吐きそうな表情のツバサ。私が貸したジャージ姿で、されるがままに腕を揺らされている。


 今日の私たちの恰好は、さすがに体操服じゃなくて、パフォーマンス用に見繕った私服の衣装だ。

 私は、フード付きのスタジャンにショートパンツで、キャップを逆さまにかぶってちょっとストリートっぽいスタイル。

 ツバサはステージ映えする私服をろくに持っていなくて、私のをいろいろ試させてみたんだけど、「ストリングが引っかかる」だの「動きづらい」だのとぶうぶう文句を言うので、最終的に私のお気に入りのジャージを着せたら納得して落ち着いた。まあ、似合ってるからいいけど。

 小柄なツバサがシンプルなジャージにひざ丈のショーパンを合わせると、とってもキュートだ。


「私と一緒にいたら、何回でもステージに引っ張り上げてあげるからさ」


「むぅ~~、覚悟しとく……」


 眉根を寄せながらも、うなずくツバサ。

 ここで渋りながらも前向きな答えが返ってくるようになっただけでも、かなり進歩だと思う。それに、目を覗き込めば、その奥に怯えながらもしっかり火が灯っていることが見て取れて、緊張だけに支配されている訳じゃないって分かる。


 大丈夫だ。ちゃんと、戦うためのスイッチは二人とも入ってる。


「もうすぐ出番ですから。準備しておいてください」


 舞台袖の暗がりの中で、係員の声がする。


 さあ、いよいよ本番が近づいてきた。


浅葱あさぎさん、九凪くなぎさん、頑張ってね」


 そこに近づいて声を掛けてきたのは、生徒会副会長の各務かがみさんだ。


 本来は、彼女は生徒会の代表として本部にいるべき人間なのだけど、このお祭り騒ぎの中で実質的な最高責任者である彼女でさえも現場を飛び回っていて、こうして人手不足の場所に駆けつけては指示を出しているらしい。いまは、たまたまこの場に居合わせているだけだ。


 ちなみに、生徒会長は相変わらず『私用』で留守だそうだ。


「いよいよ本番ね。緊張してる?」


 そう言って、各務さんは笑顔を向けてくれる。暗がりの中でも、彼女の淑やかな笑みはなんだか落ち着きをくれる感じがする。


 何だかんだ、文化祭の手伝いをするうちに、この人とも少しは仲良くなれた気がする。気を張っていると恐いときもあるけど、基本的には細やかで優しい女の子だ。


「久しぶりにお客さんの前で演るからなあ、ドキドキワクワクだわ」


「場慣れしてる人は良いよなぁ……」


 ツバサはまだ小声でブツブツ言ってる。


「ふふ。袖からだけど、私も楽しませてもらうわ」


「そもそもは各務さんが持ち込んできた話だしね。ちゃんと見届けてもらわなきゃ」


「あら、あなたたちの名前を出したのは、大垣先生よ?」


「そう? でも、生徒会の代表はあなただもん。私は、各務さんに巻き込まれたと思ってるよ」


「ふふ。それじゃ、しっかり楽しませてもらわなきゃね」


「やめてよ、余計に緊張するじゃんかぁ……」


 緊張感に満ちた舞台袖で、三人額を寄せ合って小声で話していると、奥から「各務さーん」と呼ぶ声がした。各務さんは返事をして、「行かなきゃ。呼ばれてるわ」と微笑みを残して離れていった。


 再び、静寂が戻ってくる。

 舞台では、私たちの一つ前の組が、もう始まっていた。


「……副会長とも仲良いみたいだね」


「え? なに、ツバサ。あ、ひょっとして妬いてるのぉ?」


「違うよ。何だかんだでキズナちゃんも友達つくるの下手そうだから、安心してるの」


「なんだと、この。いっちょ前な口をききやがって」


「わ、ちょっと、暗いから危ないって。ころぶよ?」


 ツバサの首根っこを締めるフリをしてじゃれていると、不意に、ガタン、と何かが床に落ちるような音がして、「各務先輩!?」と誰かが小さく悲鳴を上げるのが聞こえた。


「何、どうしたの?」


 音がした方に駆け寄る。

 舞台袖から二階の音響室に上がる階段の下で、音響スタッフの青木さんが蒼白な顔をしてしゃがみこんでいた。舞台音響の手伝いをする中で覚えた顔だ。


「あ、浅葱先輩! あの、各務先輩が急に倒れこんじゃって!」


 見れば、青木さんの膝に抱えられるようにして、各務さんが倒れているのが分かった。

 すぐに私もかがみこんで、彼女の顔色を確認する。


「怪我は? 階段から落ちたの?」


「い、いえ。私が階段の中頃から呼んで、上がって来ようとしたところでした」


 暗くて分かりづらいが、見たところ怪我をしている感じではなさそうだ。反応をしない各務さんの顔を見ようとすると、横からツバサがスマホのライトで照らしてくれる。


「真っ青だ……貧血かな。なにか、持病があるとか聞いたことは?」


「いえ、私、分からなくて……」


 青木さんの声が震えだす。いけない、この子まで恐慌状態になっては、収拾が付かなくなる。

 私は落ち着いた声色を意識しながら、青木さんに声を掛ける。


「大丈夫。各務さんのことは私に任せて」


「でも、この後のことで指示を貰わなきゃいけないことがあって……」


「分かった……うん、じゃあ、私はそっちの対応をする。ツバサ、各務さんを保健室に連れて行って」


 そう言いながら振り返る。ツバサはライトの薄明かりに照らされて、複雑な表情をしていた。


 でも、ステージが、出番が。そう言いかけて、喉まで言葉が登っているのが分かった。私も、苦い気持ちがこみ上げてくるのを感じた。


 このトラブルを解決するために動けば、ほぼ確実に、自分たちの出番には間に合わないだろう。


 あれだけ準備も練習もしたんだ。二人でぶつかり合って、仲直りして、時間も気持ちもたくさん込めて本気で取り組んで作ってきたんだ。このまま、披露すら出来ないなんて。


 それでも、目の前で倒れている各務さんの方が優先に決まっている。「ツバサ……」声を掛けると、彼女は目をつぶってうなずいた。


「うん。副会長は私が連れてく。あと、次の出演者もすぐに来てもらうよう声かけて……」


「その必要はない」


 不意に、舞台袖への入り口から聞き覚えのある男子生徒の声が割って入った。


 大塚大堂だいどう、生徒会長その人だった。


〈続く〉

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