第17話 文化祭のお誘い
その日、いつものように私とツバサが放課後の空き教室で練習していると、突然部屋のドアが開いた。
「おーう、やってるかぁ」
現れたのは、例の大垣先生。ツバサに聞いたところによると、ヨーヨーの練習のためにこの教室の使用許可を取ったりして、名目上の責任者になっているのが大垣先生らしい。結構ありがたい人だったんだね。セクハラとか言ってごめんよ。
「先生、どうしたんですか珍しい」
「おう、浅葱。お前もすっかりヨーヨープレイヤーだな」
まるで私も親戚の子であるかのように、ニカ、と笑いかけてくる大垣先生。体育会系オーラ全開でちょっと暑苦しいけど、うちのクラスの体育は担当外なのに私の名前を最初からちゃんと把握していた辺りは、地味にすごいと思う。
と、その影に隠れるようにして、もう一人、女子生徒がついてきていた。私たちと同じ色の上履きを履いたその子は、深緑色のカチューシャでまとめた緩いウェーブの髪を揺らし、大垣先生の前に立った。
「どうも、生徒会の各務櫻子です」
「あ、えと。こんにちは」
その子には見覚えがあった。確か、入学式のときに新入生を代表して挨拶してた子だ。一年生にして生徒会の副会長に就任し、会長の右腕として辣腕を振るっているという噂を聞いたことがある。ウチの学校は中高一貫だから、中学三年生が高校生徒会の選挙に参加することも可能なんだとか。
「副会長、何の用?」
ヨーヨーを構えたままのツバサの声には少し険がある。練習を遮られて嫌だったんだろう。
各務さんはその声にこもったトゲを気にも留めない素振りで受け流し、品の良い笑みを浮かべた。
「練習のお邪魔をしてしまってごめんなさい。実はお二人に、文化祭のステージにご興味が無いか聞きに来たの」
「文化祭の、ステージ?」
怪訝顔の私に、各務さんはゆっくりうなずく。
「ええ、第二体育館のホールに客席を並べて、一組あたり持ち時間八分で好きにパフォーマンスをする時間を設けているの。部活やクラスとして発表する以外の、有志の生徒が出演する枠ね」
「浅葱は今年からうちに入ったからあまり馴染みが無いかもしれないが、軽音部に所属していないバンドや、漫才コンビ、アイドルユニットから、去年はヒューマン・ビートボックスをやってた奴もいたな」
各務副会長の説明を補足する形で大垣先生が口をはさむ。先生は頭の後ろを掻きながら続けた。
「今年の募集はもう終わって、タイムテーブルまで決まりかけていたんだがなぁ。二年生でコントをやるトリオがケンカ別れしたらしくて、急に出演を取り止めにしたんだよ」
「なんでも、リーダーいわく『チョコボールのキャラメルを食べない奴らとお笑いなんか出来ない』らしくて。まったく、困ってしまうわ」
はあ、と頬に手を添えて各務さんは深く息を吐く。そんな無茶苦茶な理由でキャンセル食らったら、そりゃ、ため息も出るわ。
「そういう訳で、ひと枠空いてしまっているの。別に、そのぶん時間を短くしてタイムテーブルを組んでもいいんだけどね。会長のご判断で、せっかくだからもう一度募集をかけて、トライアルを開いてみてはどうだ、と」
「トライアル?」
「ええ」
各務さんはうなずいて、人差し指を立てる。
「出演希望者を募って、事前に我々にパフォーマンスを見せていただき、勝ち残った一組だけが文化祭のステージ出演権を手に入れられる、まあ事前オーディションのようなものね。審査は、文化祭実行委員から数名と、我々生徒会、それに顧問の先生で行うことになるわ」
各務さんに手で示されて、大垣先生がうなずく。ああ、そうか。大垣先生って生徒会の顧問でもあるんだっけ。
「で、どうだろう。お前たち二人で、ヨーヨーのパフォーマンスをステージでやるというのは。せっかくだし、興味ないか?」
「へえ、面白そうじゃん。ねえ、ツバサ」
私は乗り気だった。もともとステージに上がることの多い活動をしていた人間だし、人前でパフォーマンスというのは、文化祭だろうが何だろうが興味を引かれる。ましてや、ヨーヨーの全国大会を観て熱意が上がっている今なら猶更だ。
しかし、振り返った私が見たツバサの表情は、不機嫌そうなままだった。
「そんなことしてる暇ある? 文化祭って、ジュニア大会の二週間前だよ」
言いながら、ツバサはヨーヨーを振り始める。ジャー、とベアリングの音が響いて、ツバサの手の間でヨーヨーとストリングが跳ぶ。
「それに、持ち時間八分って言ってたけど、八分間もパフォーマンスで時間を埋めるのって、結構大変だよ? ジュニア大会はひとり二分だから、その四倍の長さの構成が必要になるってこと。そんなの作る時間も、練習してる時間も、私にはない」
シュカン、と乾いた音を立てて〈バインド〉。練習用のプラスチックヨーヨーがツバサの手に戻る。
「私は、大会に全力を尽くしたい。絶対に最高の演技に仕上げて、勝ってみせる」
ヨーヨーをまっすぐに見つめながらそう呟くツバサ。その目には、小早川サラとの直接対決に向けた炎が静かに燃えている。全国大会での忸怩たる結果のリベンジでもあるから、その眼差しは真剣だ。
「キズナちゃんは? はじめての大会だし、まだまだ出来るトリックも少ないでしょ? そんな内輪でやるような小さなステージなんかによそ見していていいの?」
「舞台の大きさなんて関係ないよ。十人や二十人でも、お客さんの前でパフォーマンスが出来るチャンスなんて、そうそう無いんだよ?」
「ジュニア大会の観客なら、百人くらいは来るよ」
ツバサの頑なな言葉に私は首を横に振る。
「違うよ。ヨーヨーの大会にわざわざ見に来る百人と、文化祭の中で偶然ステージを観に来た数十人の観客とじゃ、全然違う」
「それじゃ、キズナちゃんが一人で出れば?」
「それは……やっぱり、私ひとりじゃ八分はもたせられない。実力的にどうしても、ツバサの力が必要になると思う。それにさ、ステージパフォーマンスの経験も絶対に競技に役立つよ」
「私は時間の無駄だと思う」
こちらを見もせずにそう切り捨てるツバサの態度に、私も段々と気が立ってくる。
「小早川サラさんに勝ちたいんでしょう? そのためには何でも吸収する、くらいの気概は無いわけ?」
「パフォーマンスっていうけど、要するにヨーヨーの素人にも分かるように見せなきゃいけないわけだから、大会の構成よりもレベルをずっと下げなきゃいけないんでしょ? それだったら、最初から大会に全力を向けた方が良いに決まってる」
「だから、大会のステージとパフォーマンスのステージは全然別物なんだってば」
「大会に出たことも無いキズナちゃんが言っても、説得力ないよ」
「ステージには、何度も立ってきた」
いつのまにか私は熱くなっていた。いけない、感情的になりすぎちゃ。頭のどこかで警鐘が鳴るのを聞きながらも、熱に浮かされるように胸に手を当てて、言葉が強い勢いで飛び出すのを止められない。
「全国大会を観て、少しわかった気がするんだ。今のツバサに足りないもの。ねえ、ステージの経験できっとツバサは成長できるんだよ」
「私に足りないもの?」
ぴく、とツバサの眉が動いた。
「何が分かるっていうのさ。自分がステージでやりたいからって、私を巻き込もうとしてるだけでしょ? 本気で競技ヨーヨーやったこともない人が、いい加減なこと言わないでよ!」
「はぁ!?」
カチンときた。声を荒らげてしまう。
「私がいつ本気じゃ無かったのさ! まだ初めて一ヶ月かそこらだけど、これでも真剣にやってるつもりだよ? 大会に出るのだって、本気で少しでも上位を目指してる!」
「なら脇道に逸れないで練習しなよ! 私の練習時間だって、どうなるのさ! これで大会に間に合わなかったりしたら、キズナちゃん責任とれるの!?」
放課後の教室に、二人の怒声が響く。私は一歩も退く気がないし、ツバサも譲歩するつもりは一切無さそうだ。
私たちの間に、バチバチと火花が散る。視界の端で、オロオロする大垣先生が見えた気がしたけど、今は気にしてらんない。この分からず屋の鼻っ柱を何とか折らないと、気が済まない!
そんな、牙むき出しで睨み合う私たちに向けて、各務さんが、パン、と手を打った。私もツバサも、険しい形相のまま振り返る。
「それで、出ます? トライアルには」
「出るわ!」
「出ません!」
私とツバサの声が重なって、また、キッ、と互いを睨む。「お前ら落ち着け、な?」と冷や汗を流しながらなだめようとする大垣先生の横で、各務副会長はバインダーに何か書き込んでいる。
「わかりました。それじゃ、とりあえずエントリーで登録しておくわね。取り消しは後から出来るから、また変更があったら教えてください、と。あ、トライアルは文化祭の二週間前、九月の第一週に行うから、よろしくね」
事務的にそれだけ伝えると、各務さんは顔を上げて、にっこりと上品に笑った。
「それでは、お二人ともごきげんよう。練習中にお邪魔しました。さ、行きますよ、先生」
「お、おう……お前ら、その、仲良くしろよ?」
心配そうな大垣先生を引っ張って、各務さんが教室から出ていった。ピシャ、とドアが閉まると、険悪な雰囲気の私たちだけが夕暮れの教室に残された。
〈続く〉
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