第28話 トライアル(2)

「ふぅ〜〜、センキュ」


 ピックを持つ手を振り上げて、そう言い捨てたのは、ロックバンドのボーカルの男子だ。


 漫才コンビに始まったトライアルは既に三組目の出番となっていて、その三組目のバンドも、たった今演奏を終えた所だ。


 カチ。各務かがみ副会長がストップウォッチを止め、「はい、ロックバンド『Hi=Vision』の皆さん、ありがとうございました」と声を掛ける。


 演技を終えたロックバンドたちが、汗をにじませながら背後へと下がっていく。教室の奥には、これもパフォーマンスをやり切って息の上がっているアイドル三人組。残りは私達と和服の男子だけだった。ツバサはちょっと焦ったような声で、


「ねえ、先にやらないで良かったの? なんか、勢いある方が点数高そうだったけど……」


とせっついてくるが、私は落ち着き払って答える。


「順番なんてどうでもいいよ。勢いの有り無しなんかで越えられないようなやつを見せつけてやればいい」


「そんなこと言って……」


「大丈夫。練習の成果を出せばいいだけだよ」


 不安そうなツバサの肩に手を置いて、笑いかけてやる。


 私たちは、この夏休みの間ずっと練習をしてきたんだ。それこそ晴れの日も雨の日も、ほとんど毎日ヨーヨーを振っていた。まあ、それ自体は、ツバサにとってはそんなに特別なことでもなかったみたいだけど。サラさんの言う『ヨーヨーバカ』も全然誇張じゃないんだよこの子。


 さすがに休みの間は学校の空き教室を使う訳にいかなかったけど、幸い互いの家が近いから一緒に合わせて練習もしやすかったし、何度かは練習会で広いスペースを使った練習もさせてもらっていた。


 使うBGMもDJシンイチロウの手掛けたモノだし、演技構成や演出については、明楽あきら店長だけじゃなく、練習会に参加している他の人たちにも協力してもらって改善を重ねてきた。どこから切っても私たちの演技には隙が無い。


 そして何より、他の誰よりも練習をしている自信がある。ここまでの組を見て来て、それはほとんど確信に近かった。


 ツバサが苦手としていた『観客に見せる』演技についても、私の経験から継ぎ込めることは可能な限り伝えたし、たまたま練習会に訪れていた高倉選手にまで意見を貰うことが出来て、最初に比べたらかなり磨くことが出来た。最近はツバサ自身にも少しずつ自信がついてきて、あとは、実際に人前で披露する経験をしていくだけだ。こればっかりは、こういったトライアルみたいな機会や本番を頼って場数を踏むしかない。


「お次、四番目のアピールはどちらがされますか?」


 次の挑戦者を促す各務副会長に対して、隣ですっと和服の右手が私達の方に向けられた。


「お嬢さんがた、どうぞお先に。私は最後の方が好いので。それに、名人上手は大トリに出るものと相場が決まっていますからな」


 謎の和装男子が、不敵に笑ってそう話しかけてきた。いや、この人見たことあるぞ。


「お嬢さんって、あんた隣のクラスの木村くんじゃん。同い年でしょうが」


「そう野暮やぼなことは言いなさんな。さあさ、先にどうぞ」


 どうやら落語か講談でもするつもりらしい木村くんにそう促され、「じゃあ」と私はツバサに目配せをして、手を挙げて前に出る。


「では、続いてはヨーヨーのパフォーマンスユニット『HOP‘n WHEEL』のお二人」


 呼ばれながら、私とツバサはヨーヨーバッグからそれぞれ使うヨーヨーを取り出して、準備をする。ちなみに、ユニット名は明楽店長の命名。


 教室中からの、奇矯ききょうなものを見る視線を感じる。各務さんと大垣先生以外は、私たちがヨーヨーをやっていることも、ただの玩具じゃない競技用のメタルヨーヨーなんかも初めて知ることになるだろう。


 背後から、「ヨーヨーだって」と半笑いの声が聞こえる。バンドのボーカルやってた男子か。


 覚えとけよ? 腰抜かしても知らないからな。


 ヨーヨーを並べながら、ツバサと目が合う。思ったよりテンパったりはしていないみたいだ。そう、この子だって、全国大会のステージにも立つような選手だ。舞台慣れ自体は、本人が思っているよりもしているだろう。拳を差し出すと、合わせてぶつけてくる余裕すらある。大丈夫、何も心配はないさ。よし、行こう。


「はい、準備オーケーです」


 各務さんにそう伝えると、彼女はうなずき、音響担当でスピーカーに繋がったスマホを操作する男子に目配せした。彼が手元を確認してうなずくのを見て、各務さんはストップウォッチのボタンに指をかける。


 ゆっくりと息を吸う。


「それでは、『HOP‘n WHEE』のお二人、どうぞ」


 息を吐く。短く、深く。最初の出番は私だ。


 書記の男子が再生ボタンを押し、サーっというホワイトノイズの後に音楽が鳴り始める。それを合図とともに私が教室の端から中央へと歩き出す。何十回、何百回と練習で繰り返した通りに。


 これが、私たちのヨーヨーパフォーマンスだ――――!


* * * *


 八分間。それだけの演技時間を終えて、二人してヨーヨーをキャッチしながらポーズを決めた時、私もツバサも、すっかり息が上がっていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……どうも、ありがとうございました」


 曲が終わったのを聞き届けて、頭を深く下げる。横でツバサも一緒にお辞儀をしている。


 誰もが無言で、私たちの息遣い以外、静寂が部屋を満たしていた。


 ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。一人分の拍手が聞こえた。


 顔を上げると、実に満足そうな表情で両手を打ち鳴らしていたのは、生徒会長の大塚大堂だった。


「すばらしい」


 一言、そう言った。


 それで、それを皮切りに審査員席から拍手がき上がった。それまでの三組とは拍手の熱量が違うのが、明らかに感じられた。各務さんも、大垣先生も、笑顔で手を叩いてくれている。


 思わず、お辞儀から半分顔を上げたまま、ツバサと見合わせてガッツポーズをした。ツバサの顔にも、手応えを感じた表情が浮かんでいた。


「実にすばらしかった。君たちは本物だ。間違いない、彼女らが一番だよ。なあ、そうだろう。この場にそれを違うと言える人間はいるか?」


 大塚会長はそう問いかけると、教室中を、生徒会の役員も、顧問の先生も、他の挑戦者たちも一人一人をぐるりと見回した。どこからも、誰も文句を言うことは無かった。


 おいおい、なんかすごいこと言い出したぞ、この会長。


「いや、いやはや、これは参った」


 唯一、参加者の中で声を上げたのは、私達の次に控えていた、和服姿の木村くんだ。ふところから出した扇子で頭をぴしゃりと叩いて、笑顔でうなっている。


「これはどうも、私の出る幕がすっかり無くなってしまいましたな。これほどのものを見せられては、完敗です。シャッポを脱いで大人しく引き下がるしかありません」


 名人上手の登場はどうした、と言いたくなるけど、本人は悔しい中にも満足そうな表情をしている。他の挑戦者たちを振り返る。バンドマンも、漫才師も、アイドルたちも、皆一様に悔しげながら、不満のある者はいないようだった。バンドのボーカルが呆気にとられた顔で口を開けていたのは、ちょっと痛快だった。


「審査員の皆さんもよろしいですか」


 各務さんが、そう問いかける。この場で唯一平常心を保っているのは彼女かもしれない。


 生徒会や実行委員のメンバーからも異論は無いようだった。


「私としては、木村くんの落語も楽しみにしていたのだけどね」


 口を開いたのは、文化祭実行委員の顧問をしている仙崎先生だ。大垣先生よりも二周りくらいベテランの世界史教諭は、禿頭を光らせて微笑んでいる。


「なかなか、そんじょそこらの生徒では、彼女らのパフォーマンスを超えることは出来無さそうだ。このまま木村くんに負け試合をさせるのも忍びない。これで決定でも、いいんじゃないかな」


 横で、大垣先生も大きくうなずいている。


 え、いいの? いや、勝つ気でいたのはもちろんだけど、こんな、半ば不戦勝みたいな形はさすがに動揺する。ちゃんとした審査もなしに? そんなに圧倒的だったってこと?


「特に、君。えっと、名前を聞いてもいいかな」


 大塚会長が、ツバサに向けて問いかける。いきなり指名されたツバサは慌てながら返事をする。


「あ、えっ、と。二年D組の九凪くなぎツバサ、です」


「九凪くんか。君のヨーヨーの技術は特に素晴らしかった。正直言って、ヨーヨーにこんなことが出来るなんて夢にも思っていなかったよ。驚きと感動で興奮してしまった」


 大塚会長は大きくうなずくと、机越しに右手を差し出した。


「是非、文化祭でもその腕前を披露してくれ。あまり大きなステージではないのが申し訳なくなってくるくらいだが、私もなんとか時間を作って、必ず観に行くよ」


「あ、ありがとうございます」


 ちょっとまだ戸惑いながら、ツバサも右手を出して応えた。


「私が君のファン一号にならせてもらう」


 力強く握手をしてそう言うと、大塚会長はそそくさとスマホをポケットから出してツバサと連絡先の交換をしていた。それから、ちら、と腕時計を見て各務さんに、


「では、出演者も決まったことだし、今日はもういいかな。私はこれからちょっと用事があるので、申し訳ないが、これで失礼させていただくよ」


と言うと、荷物をまとめ、さっさと立ち上がる大塚会長。すべてを承知していた様子の各務さんが「どうぞ」とうなずいて促すと、「では、先生方もご足労ありがとうございました」と頭を下げて、大塚会長は大股で教室を出ていってしまった。


 なんだか、去っていくところまでインパクトのある人だったなあ。こころなしか、彼が抜けたあとの教室は緊張感が半分くらい無くなっていた。


〈続く〉

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