第六部 ツバサの追想

第26話 川向こうの女の子

 友達ができた。川向こうの街に住む女の子だ。


 浅葱キズナちゃん。


 この春に引っ越してきたらしくて、四月から私と同じ高校に通っている。本人は少し気にしているみたいだけど、クセのあるショートカットがキュートで、それでも本人はちょっとクールというか、大人っぽいところがある子。


 明るくて、大人っぽくて、でもこだわり始めるとムキになったりもして。あと、ときどき私を見る目がなんだかちょっと変なんだけど、まあ、それでも、思いやりがあって前向きな良い子、だと思う。


 出会った日の夕方、私のヨーヨーをもっと見たいと言ってくれて、私が大会で散々な結果だったときも、隣にいて、そして手を握ってくれた。それどころか、次は一緒に大会に出る、だなんてびっくりするような事まで言ってのけて。飛び上がるくらい嬉しかった。


 そして、いま、私をステージパフォーマンスの舞台に巻き込もうとしている。私にとっては新しい、キズナちゃんにとっては古巣の場所。私が、ずっと軽んじて向き合ってこなかった世界。


 小学生で競技ヨーヨーに出会ってからは、私は夢中になってヨーヨーばっかりやってきた。そんな私の世界にとって、キズナちゃんはまるで異星からの闖入者みたいに突然やってきて、そしていつの間にか、私の手を取って一緒に歩いてくれている。彼女にとってはそれが自然みたいな振る舞いで。いま、私は前に進む原動力を、少なからず彼女から貰っている。


 ヨーヨーが元で学校に友達が出来るなんて、思いもしてなかった。


* * * *


 昔から、ヨーヨーをやっている事を知られるのは、面倒なことだった。


 まず、最初は変わったおもちゃで遊んでいる子と思われる。次に、玩具に本気になってる変な奴、という風に見られるようになる。それが『変わった子』になって、気が付いた頃には、私の背中にはそのレッテルが、自分の力じゃ剥がせないくらいにべったりと貼り付いていた。

 当然、積極的に話し掛けてくる子はいなくて、私も引っ込み思案だったのも手伝い、皮肉にも大会の順位が上がるほどに、友達の数は減っていったように思う。


 中学は、だから頑張って勉強して私立へ行った。幸い、同じ小学校の子は誰もいなくて、自分から言ったりしなければ、当然、私が競技ヨーヨーに夢中になっている変な女子だということはバレなかった。そもそも、プライベートを共有するほどに誰かに近づこうとはしなかった。


 居心地は決して良くは無かったけど、それでもただの『地味な奴』でいられる方が、変な目で見られるよりよっぽどマシだった。


 放課後と休日にヨーヨーを振っている時間、それが私の日々の中での主な時間だった。新しいトリックを覚えること、難しい技をハイスピードで繋げられること、そして、大会で前回よりも良い成績を残すこと。それこそが全部だった。


 練習場所は、家や公園、それに練習会や、高校に入ってからは、馴染みのショップの明楽店長と体育教師の大垣先生が親戚だったのもあって、放課後の空き教室を使わせて貰っていた。クラスメイトに混ざっているよりも、一人でヨーヨーと向き合っている方がずっと楽しかった。


 あの日、までは。


* * * *


 出会ったのなんて、ほんの数か月前のことだ。


 偶然、とキズナちゃんは言っていた。実際、そうだったんだと思う。


 当時、彼女は落ち込んでいたみたい。というのも、その頃心血を注いでいたものを、他の要因で辞めざるを得なくなってしまって、心にぽっかりと穴が開いた様な状態だったんだそうだ。


 これは教えてもらって驚いたんだけど、キズナちゃんにはお兄さんが一人いて、そのお兄さんと、もう一人お友達とで組んでいた音楽とダンスのユニットが、メジャーデビュー出来るかもしれない、というところまで行っていたらしい。キズナちゃんはサブ・ボーカル兼ダンス担当で、彼女自身、特に中学三年間はそのユニット活動に夢中だったみたいだ。


 ダンスが大好きだった、と照れながら言っていた。私はせがんで、放課後の練習のときにちょっと見せてもらったんだけど、すごく格好良かった。音楽の波に乗るみたいに自在にステップを踏んで、決めるところはブレイクダンスでバチっと決める。間近でダンスなんて見たことなかったから、感動しちゃった。


 私はダンスのことは何も分からないけど、キズナちゃんが2Aのルーピング・トリックがすぐに上達したのも、きっとリズム感や体の使い方が身についていたからなんだろうと思う。地元ではライブハウスやクラブでパフォーマンスすることも、少なくなかったみたいだし、本当に頑張ってたんだろうな、っていうのが私にも分かった。


* * * *


 キズナちゃんがステージパフォーマンスにこだわるのも、そういう経験があるからなんだろう。お客さんの前で披露するっていうことに、こだわりがあるんだろうと思う。


 私は、競技の世界、大会での活躍が一番だとずっと思っていたから、お客さん相手のパフォーマンスステージみたいなのを、どこか軽んじて見ていた。


 ヨーヨーを全然知らない人のレベルに合わせて、簡単な技しかできないし、やたらに大げさな表現で見せたり、技と技の間も競技に比べたらすごく時間を取るし。

 高倉さんのステージも何度か見たことがあるけど、やっぱり大会で見せる様な難しい技はほんの少ししかやらなくて、何だか子供だましみたいに見えてしまったんだ。

 私は観ながら、ずっとモヤモヤした気分で、本当はもっとすごいことが出来る選手なのに、って悔しくすら思っていた。あんなステージで、世界チャンピオンの本気だと思ってほしくなかったんだ。


 本当はもっとすごいことが、ヨーヨーには出来るのに。その思いが、私の気持ちをパフォーマンスのステージから遠ざけ、より競技らしく、よりスキル至上主義へと向かわせてしまっていた。ヨーヨーの力を信じる心が、却って見える世界を狭めちゃってたんだ。きっと。


 キズナちゃんは、その私の心の壁を衝き開こうとしている。彼女も彼女なりに、ヨーヨーの力、ヨーヨーの可能性ってやつを信じているらしくって、その中には、パフォーマンスとしてのヨーヨーのポテンシャルも少なからず入っているみたい。


 それは、私にとっては未知の世界だけど、キズナちゃんのその思いの発端にはどうやら私がいて、私のヨーヨーを一番に信じてくれている彼女だから、私は信じてみようと思ったんだ。


* * * *


 本当に、キズナちゃんには驚かされてばっかりだ。


 突然私の世界にやってきて、あっという間に深くまで入り込んで、今じゃ、キズナちゃん無しじゃ考えられなくなりそうになってる。本当に、いつの間にか。私の世界は変えられちゃった。


 もちろん、嫌なことなんかじゃない。最初はちょっと戸惑ったし、私はこわごわだったけど、キズナちゃんの真っすぐな気持ちが、すぐに嬉しさに変わった。


 ケンカだって、真正面からぶつかってくれて、ずっと粘って、私のことを諦めないでいてくれて、あんな風に気持ちをぶつけてくれて。本当に腹が立っていたけど、その分、仲直り出来て本当に嬉しかった。


 実は、中学のときも、一度、文化祭のステージに出てみないか、って別の先生に言われたことがあったんだ。でも、その時はすぐに断っちゃった。パフォーマンスには興味が無かったし、人前で、それも学校でヨーヨーをやって変に目立つのも嫌だったから。


 だから、今回も私はすぐ断ろうとしたんだ。だけど、キズナちゃんは譲らなかった。そのせいで険悪になっちゃったけど、でも、その後もキズナちゃんが諦めなかったから、ずっと私の心の扉をノックしてくれたから、そんな彼女の気持ちに素直になることが出来たし、そうなったら、前よりもずっとキズナちゃんのことが好きになってた。


 山中湖の畔で、サラさんに言われて初めて知った。キズナちゃんが、百本も入ってるストリングの替えがひと月で無くなるくらい、すごい勢いで練習しているってことを。その両手の中指についた真っ赤な跡が見えていたくせに、見えないふりをしていたんだ。


 それに気が付いた途端、なんだかすごく恥ずかしくなって、もう、腹を立てていたのとか、どうでもよくなっていた。急にキズナちゃんが眩しく見えた。


 キズナちゃんは、私の世界の中で、一番大事な友達だ。今ならそう、断言することが出来る。


 二人なら、私達なら、やれる。あの子はそう言ってくれた。


 力強かった。嬉しかった。どんなことだって、やってのけるって、そう思えたんだ。


 そう思えたことこそが、一番大事な宝物だって、分かったんだ。


 だから、私は文化祭のステージに立つって決めた。その為に、パフォーマンスのヨーヨーを練習する。


 彼女の気持ちに応えるために。彼女の期待を超えるために。彼女と一緒にステージを成功させて、満場の拍手をもらうために。


 私は、そう決めたんだ。


 川向こうのあの子と一緒に歩いて行く、って。


〈続く〉

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