第30話 各務桜子も憂鬱

 えへん、と各務かがみ副会長が咳ばらいをする。


「追加の仕事を頼みに来ました」


「ほらやっぱり見たことか~。まるっきり疫病神じゃんか!」


「ねえ、各務さん、もうちょっとキズナちゃんの負担を減らせないの? ヨーヨーの大会も近いから、最近キズナちゃん疲れちゃってて授業中寝てばっかりなんだよ。毎日のようにノートを貸す私の身にもなってくれたらありがたいんだけど」


 ん? なんか、さりげなく私への文句を遠回しに言われた気がしたけど。


 各務さんが、私たちを見比べてため息を吐いた。


「すみません。そうしてあげたい気持ちは山々なんですが、なにせこちらも人手不足なものでして、余裕がないのです。専門知識がある方に手伝っていただけると非常に能率が良くて」


「ほほう、非常に頼りになる専門家だって?」


「キズナちゃんはちょっと黙ってて」


 伸びかけた鼻をツバサに握られて、ぽっきりと折られる。崩れる私を尻目に、ツバサは各務さんに食い下がる姿勢を見せた。


「でも、それってそっちの都合だよね。ここまで沢山付き合わされると、さすがにこっちも困るんですけど。ステージパフォーマンスの質が落ちたら本末転倒じゃない?」


 おお、なんかツバサが矢面に立って私を守ろうとしてくれてる。ちょっと嬉しいかも。


 各務さんが、はあ、とアンニュイにため息を再度吐いて、素直に頭を下げた。


「申し訳ないわ。こちらから最初に声を掛けておいて、ご迷惑をお掛けするなんて、あってはならないとは分かっているんだけど……」


 困り顔の各務さん。憂いの表情にしっとりとした影があって、なんかこう、奥様っぽい色気がある。そして、よく見たら目の下のクマを化粧で隠しているのも分かった。どうやら、この人も大分疲れているみたいだ。


「っていうか、いつも各務さんが指示を出してるのしか見たことないけど、あの大塚大堂とかいう生徒会長さんは何をやってるの?」


 トライアルのときも随分前のめりだったし、文化祭に熱心なのかと思っていたけど、準備手伝いの間、一回も顔を見たことが無い。


 会長の名前が出ると、各務さんのアンニュイはさらに深まって、


「会長は……ちょっと、お忙しい方なの。ご本人もこちらに注力できないことを悔やまれているんだけど、今はどうしても手を離せない仕事があって」


「生徒会長をやっていて、この時期に文化祭以外に注力すべきことなんて他にある?」


「いえ、あの人は学校外でもご活躍されているの。今は、お兄様が立ち上げられたスタートアップ企業の手伝いをしていて。非常に重要な局面とのことで、そちらに掛かりきりになっておられるわ」


 なーんか、思いもしないような話が出てきた。兄弟のビジネスの手助けって、本当に高校生かよ、あの人?


 ツバサも意表を突かれたようで、怒気を失ってしまった。


「なんか……すごいね」


「最近は学校にも滅多に顔を出さないくらいで。よくオフィスに寝泊りされているみたい」


 それはそれは、修羅場なのだろうけど、学校に出席はしようよ? 高校生なんだし。


「でも、それで重要な仕事が全部各務さんに回ってきてる訳でしょう? 大丈夫? 私からも文句言ってあげようか?」


 心配そうな表情になるツバサ。そういえば、トライアルのときに会長と連絡先を交換してたな。


「いえ」


 だけど、ツバサの申し出を各務副会長はきっぱりと断った。


「こちらの仕事のことは、会長は私に任されていかれたの。その以上は、お手を煩わせてご迷惑をお掛けするわけにはいかないわ」


 しとやかな女性の表情の中に、はっきりとした意思と矜持きょうじを見せて、彼女は背筋を伸ばしていた。


「あのお方には、思う方へ存分に注力して、その辣腕らつわんをふるって頂きたいの。そのお助けが出来るのなら、私は喜んでこの身を粉にするのよ」


 静かに燃える、瞳の中の炎。それは凛と冴えて青く揺れていた。すごいな、三歩後ろを歩く大和撫子を地で行くような、縁の下の人なんだ。


「そっか……各務さんがそう決めているなら。でも、それにしたって、無理はするものじゃないよ。手助けできることがあったら何でも言ってね、各務さん」


 あれ、いつの間にか、ツバサも各務さんの手伝いをすることに積極的になってない? これが各務さんの人徳ってやつ?


「しかし、あの会長、下学年の女子にここまで助けてもらいながら、好き放題やってんのねえ」


「そういう、思いのままにご活躍される殿方を支えるのも、ひとつの喜びですよ」


 ふっ、と柔らかい笑顔を見せる各務副会長。なるほどね、この人たちはこの人たちで、そういう関係性で成り立っているらしい。私にはあんまり分からんけど。


 ツバサも同様で、腑には落ちていない表情を見せていたけれど、私はその肩をポンと叩き、


「各務さんも、そういう事情で精いっぱいなんだよ。私はもうちょっと手伝ってみるよ。まだ体力も切羽詰まってるわけじゃないし」


「本当? 頑張り過ぎて、倒れたりしないでよ?」


 不安そうなツバサに見つめられる。なんか、心配されるのも悪くないわね。


「まっかせなさいって。体力ならそこらの運動部にも負けないから」


 うなずいたツバサは、今度は各務さんの方を見て、


「クラスで暇そうな人を集めてみようか? うちのクラス、準備もあんまり無いから」


と提案する。何だかんだで彼女のことは案じているらしい。優しい子だよ。


「キズナちゃん、うちのクラスの子とも連絡先交換してたでしょ、たしか。連絡してみなよ」


「結局私がやるんか」


 あくまで、自分からは積極的に他人とコミュニケーションを取りたくないのねツバサちゃん。確かに、何人か連絡先知ってる子はいるけどさ。


「あのぅ、では、頼んでも良いかしら?」


 珍しく、控えめに申し出る各務さん。そう下手に出られちゃ、弱いなあ。困ったような上目遣いも色っぽいし。普段からそれくらい奥ゆかしくしてたら、もっと人気が出るんじゃない、この子。ま、本人は会長ひと筋みたいだけど。


「わかったわよ。私も自分の仕事が減るんなら、それに越したことは無いしね」


「ごめんなさい、恩に着るわ。そんな事まで任せてしまって、迷惑掛けるわね」


 しゅん、と肩を落として申し訳なさそうにする各務さん。こんなに殊勝なのも珍しい。さすがに疲れているんだろうか。


「ま、この忙しさもあと一週間くらいと思えば、もうひと頑張りね」


「キズナちゃんは、そのあとにジュニア大会が待ってるけどね」


「ああ、楽しいなあ! ヨーヨーと青春の日々!」


「浅葱さん、ヤケになっているけど大丈夫……?」


〈続く〉

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