第五部 湖と不機嫌なあの子

第21話 夏晴れとスポーツカー

 とはいったものの。


「おはよー! 遅かったねツバサ!」


 ある晴れた夏の午前。JRのとある駅前に私はいた。


「……………………おはよう」


「おいおい、そこは『まだ集合十分前だぞ、お前こそ何時からここにいるねーん』ってツッコむところだぞー!」


「………………………………」



…………はあ。



 明楽あきら店長に大見得を切ってから二週間あまりが経つ。


 私はまだ、ツバサと仲直り出来ていなかった。


 だってさあ、期末試験とかあったし。

 試験期間中は大垣おおがき先生から練習禁止を言い渡されてたからなかなか会えないし。

 クラスの方でも文化祭の準備とかあったし。

 文化祭のステージでの演技構成のこととかで明楽店長とも話し合ってて、なかなか試験後も放課後練習とか参加できなかったし。

 眞一郎しんいちろうさんにももう一度お願いしに行って、ってバタバタしてたし。

 それに…………


 それに、あの日以来、ツバサが殆ど喋ってくれません。顔を合わせたとしても、ろくに目を合わせてくれさえしません。なんか、すんごいヘコむ。健気に話し掛け続けてるけど、私のライフポイントは、もう…………


 そんな感じで、会話の糸口すら掴ませてくれず、謝るどころか言葉を交わすことすらもままならず、ずるずると夏休みに突入してしまった、というわけ。


 でも、ここに来てチャンスが到来したんだ。


 というか、明楽店長のナイスアシストなんだけど、実はツバサと一緒に旅行に行くことになったんだ。今日から二日間、一泊二日で山中湖に! ただし、バイトでね! 二人きりじゃないのは、今の状況では、むしろありがたいと思った方がいいかもしれない。


 明楽店長のお店『スロウ・ダウン』はヨーヨー専門店なわけだけど、ヨーヨーの販促活動にも余念がない。本店や他の店舗の人たちと色んな所に出張で行って、イベントの中でパフォーマンスをしたり、お店の出張ブースを出したり、と様々な活動を行っている。


 今回は、山中湖畔で行われるアウトドアグッズのイベントにお呼ばれして、並みいるキャンプ用品店などに紛れてヨーヨーを売り、小さなステージでパフォーマンスも行うらしい。ついては、手伝ってくれる人員が欲しいので、明楽店長が私とキズナを引っ張ってきた、というわけ。サンキュー、店長!


 チャンスを与えられたからには、この一泊二日の中で何とかツバサのご機嫌を取り、文化祭のステージへの協力を勝ち取りたい。つーか、単純に仲直りしたい! もう無視されるのは嫌だもん!


 内心で気合を入れているそのとき、私たちの立つ駅前のロータリーに、一台のスポーツカーが入ってきた。


 ブルーメタリックの流麗りゅうれいな車体が滑るようにコーナーを回り込んで、私たちの目の前でぴたりと停車する。


 運転席の扉が開いて、サングラス姿の金髪ツインテール美女が車越しに立ち上がった。


「おはよう、二人とも。そして、お久しぶりね」


「小早川さん!」


 片手でサングラスを持ち上げて顔を見せたのは、小早川こばやかわサラその人だった。


* * * *


「にしても、高倉さんも、連絡が急なのよね。『推薦で大学が決まってるやつはどうせ暇だろ』とか言って。私のこと何だと思ってるのかしら」


 走り出したスポーツカーの車内で、さっそく口を尖らせたサラさんが不平を漏らす。サングラスを掛け、運転用の長いグローブを着けている姿はどこかのセレブみたいで、とても二歳上の高校生には見えない。


 ていうか、スタイル良すぎ。助手席に座った私からは、ノースリーブから伸びる細い二の腕も、ショートパンツから覗く滑らかな白い腿の脚線も、眩しいばかりに丸見えだ。トレードマークの長い金髪だって、近くで見たらめちゃめちゃサラサラだし。


 そのうえ、胸もばっちり大ボリュームでいらっしゃる。


「ねえ、二人だって、夏休みに入って遊びたかったんじゃないの? あんな山奥に連れ出されちゃって。浅葱あさぎさんも、嫌だったらハッキリ断らないとダメよ?」


「は、ハイ……」


 ちらちら盗み見ていたところに急に話しかけられて、ドキドキしながら答える。


「まあ、いろいろとお世話になってますし、私もツバサも」


「そうやって、人の良心に付け込む大人に負けちゃだめよ~。まあ、ツバサちゃんは半ば強制参加かもしれないけど。もはや身内みたいなもんだしね」


 サラさんがルームミラー越しにツバサに話しかける。


 ツバサは見向きもせず、相変わらずぶすっとした態度で後部座席から窓の外を見ていた。


「……別に。どうせ時間あってもヨーヨーの練習以外することないし」


「まーた、この子はそうやってヨーヨーばっかりなんだから。まったく、ヨーヨーバカの高倉さんに気に入られるわけよ」


 呆れたようにため息を吐く小早川さん。意外とお喋りなのね、この人。


「小早川さんは、その、高倉選手に呼ばれたんですか、今日は」


「身内なのよ、あの人。正真正銘のね。歳の離れた従兄妹で、何かっていうと私に雑用を押し付けてくるわけ」


 小早川さんと高倉選手の従兄妹かあ。なんか、かしましそう。


「車の免許なんて持ったのが間違いだったわね。推薦決まって時間あったから取っておいたけど、それからヒドいもんよ。あの人、自分が運転出来ないからって、殆ど付き人みたいに使われてるんだから、私」


 うんざりしたような声色で、だけどどこかちょっと楽しそうな響きがある小早川さん。なんだかんだ言いながら、仲は良いんだろう。なんか、大人な人に見えてたけど、ちょっと可愛らしさを感じる。


 クスっと思わず笑うと、気付いた小早川さんも口の端を持ち上げる。


「まあ、ヨーヨープレイヤーとしては一流だからね。一緒にいて学べることも多いわ。今年の全国大会の演技構成も、あの人のパフォーマンスからヒントを得たものだし」


「ああ、あれ凄かったです。予選とは思えないくらい迫力あって、夢中で観てました」


 思わずそう言ってから、あ、と思ってミラーをチラ見する。相変わらずつまらなさそうに窓の外を見るツバサの表情が、少し複雑に歪んだ気がした。いけない、この話題はツバサを変に刺激しちゃうかも。


「聞いたよ、キミも出るんだってね、今度のジュニア大会」


 小早川さんが、ニヤ、と笑って、サングラスの隙間から私を見る。


「えっと、ハイ。私も競技の大会に興味があって。まあ、初出場なので、お手柔らかに……」


 なんだか好戦的な目で小早川さんが見るから、ちょっと尻込みしてしまう。出来るだけ頑張るつもりだけど、あなたの相手ではありませんから。


「本当に興味があるんだか知らないけど……」


 後ろでツバサがぼそっと呟いて、ひやっとする。そっぽ向いてるくせに、全然聞いてるじゃん。それにめちゃめちゃ不機嫌じゃん。


 小早川さんが怪訝そうな目で私とバックミラーのツバサを見比べる。私は慌てて、


「そ、そういえば、小早川さんは今年で最後なんですよねっ、ジュニア大会は」


「え、ああ、そうね。高校三年だからね」


「大会に出始めてから長いんですか? 小早川さんは、いつからヨーヨーを?」


「サラでいいわよ」


 言いながら、サラさんはハンドルを切る。車はETCのゲートを通って、高速に乗る。


「いつからかなあ。初めてバインドヨーヨーを触ったのが小学二年生だったから、大会は四年生くらいかしら」


「ってことは、競技経験八年ですか。すごいですね」


「そう? スポーツの世界じゃ八年なんて長くないわよ。私も、バレエ歴はもっと長いし」


 バレエって、踊りのクラシック・バレエの方か。このスポーツカーを見ても思ったけど、実はこの人、結構お嬢様?


「あれ、そういえば、全国大会のとき、サラさんってキャリーバッグで来てませんでした? お家は、首都圏じゃないんですか?」


「あら、よく覚えてるわね。そう、実家は静岡なんだけど、夏休みで都内の別宅に遊びに来てるの。そこから山梨に向かう道中で、あなた達を拾う役目を任されたってわけ」


 別宅。あまりに縁のない言葉で、一瞬意味がわからなかった。都内のどこにあるのか訊いたらとんでもない答えが返って来そう。


「あら」


 ルームミラーを見上げたサラさんが、おや、という顔をした。私もつられて後部座席を見ると、ツバサがドアにもたれて寝息を立てていた。


 くすっ、とサラさんが笑う。


「黙って眠ってりゃ、可愛らしいのにね。起きてる間は生意気になっちゃって」


 私も、無愛想な表情じゃないツバサの顔を久しぶりに見たような気がする。小柄な体をシートの隅に押し込むみたいにして小さく眠っているツバサが、なんだかいやに遠くに感じる。


「あなたたち、ケンカでもしてるの?」


「……わかります?」


「そりゃもう。あからさますぎるでしょう。主に後ろの子がさ」


 ですよね。私は早く仲直りしたいんですけどね。


「ま、事情は知らないけど、焦らなくても大丈夫よ、きっと。この子も、ちょっと素直になれないだけだろうし」


「そうですかね……」


「そうよ。焦らず待ってあげて。仲直りの好機は必ず訪れるわ」


 そう言ってシフトレバーを握るサラさんは、妹を見るお姉さんの表情をしていた。


 好機、ねえ。


「ねえ、本人も寝てることだし、昔のあの子のこと、聞かせてあげようか」


 黙って考え込み始めた矢先、サラさんがものすごい気になる方向の話題を向けてきた。


「……聞きましょう」


 私はシートに座り直し、手を組んで身を乗り出す。一つのエピソードも聞き漏らさない姿勢だ。


 私がもしメガネを掛けていたら、さぞかし反射で光っていたことだろう。


〈続く〉

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